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ファロンのことが好きになったのはいつからだろう。気がつけばいつもファロンの姿を目で追っていて、その頃にはグレミオを亡くしてあんまり笑わなくなっていたけれど、それでも時折見せる静かで穏やかな表情に、自分も顔が緩んで気持ちも穏やかになる。
 グレミオを亡くしても、悲しみを心のうちにしまって、まっすぐ前を向いて歩く彼女の姿を見た時、俺はオデッサがなぜファロンを次のリーダーに推したかが理解できた。
 だから、そのとき、これからはファロンを守って行こうと決意した。
 最初は解放軍のリーダーとして、オデッサの後任としてそう思っていたのだったが、いつしか俺の中にあるファロンに対する思いが変わってきて、最近では自分でも戸惑うことが多い。
 俺はオデッサを愛し、出身地である戦士の村の風習に従って一番大切なものとして携えている剣にその名を冠し、生涯オデッサへの思いを貫こうとしているのには変わりはない。
 だけど。
 いわゆる、その愛というやつの性質がオデッサへのそれと、ファロンに対するそれと違うことに最近になって気がついた。
 オデッサに対するそれはどちらかといえば「敬愛」に近い。
 無論、女性としてのオデッサも好きだったけれど、何よりもオデッサの持つ考え方や人間性を深く愛し、尊敬し、できれば自分もそうなりたい、オデッサの隣に立っても遜色のない人間になりたいといつも思っていた。
 今の俺という人間を形成する思考や行動力はオデッサの影響が強い。
 それほど彼女は俺にとって大事であるが、一方のファロンのことを考えると、俺はまた違う感情を覚える。
 ファロンの考え方が俺に影響を与えたとは思わない。どちらかというと俺はファロンが何を感じ、何を考え、どこへいこうとしているのか、それにはかなり興味があるし、その行く末を見たいと思っているが、ファロンの真似をしようとは思っていない。
 だけど、ファロンの姿を見ると、自分の持てる力の全てを尽くしてでも守りたいと思う。
 女性としてのファロンを考えると、俺とひとつしか違わなかったオデッサより当然のことながら随分と子供なのだが、だけど時折見せる笑顔や憂い顔に、突如心を乱されることも多い。隣に立ちたいと願っていたオデッサに対する気持ちとは違い、ファロンは隣に立つのではなく、側にいてその身を、彼女を煩わせる全てのことから守ってやりたいと思っている。
 そうなのだ。
 俺はファロンを完全に女性として認識し、普通のそこらへんにいる恋人同士と同じように、自分の腕に抱きしめたいと思っているのだった。それはオデッサの時よりも激しくそう思っているらしい。
 自分のその願いを改めて認識し、ため息をひとつついて夜空を見上げる。
 随分と年齢の違う、子供と言ってもおかしくない年頃の女の子にそんな感情を抱くなど、俺は自分でも気付かない何かまずい性癖でもあったんだろうかと心配したりもしたが、どうやらその思いが俺だけではなく、ビクトールやマッシュといった年上の連中にもあることを知って、ほっとしたり、逆に取られやしないかと子供じみた不安を覚えたりと忙しい思いをした。
 おそらくファロンは自分が無意識のうちに男にそういう思いを抱かせるような性質をしているのである。
 そして、その彼女は今、深い悲しみの中にいる。
 それは先日、尊敬している自分の父親を自分の手で倒してから。
 いつかはそんな日が来ることは周囲も本人も分かっていたけれど、その悲しみは思ったよりも深く、まだ癒えてはいなかったグレミオの時の傷をさらに深く醜くえぐり、彼女の表情は一層強張ったものになっていった。
 それでも、平静を装い、普段どおりに活動を続ける彼女の強さに驚き、心配し、でもその余りの不安定な精神状態に誰も彼女を労われずにいる。おそらくグレミオが生きていたのならそれができたのだろうが、そのグレミオも今はいない。
 唯一、小さい頃からのお付の一人であるクレオだけがファロンの心情を図ることができるが、それでもクレオにさえその悲しみを全てさらけ出すことはしない。それはクレオが自分のお付である前に、忠実な父親の部下であったことを分かっているから。それはパーンに到っては尚更のことで、結果、ファロンは小さい頃から一緒だった身内とも言える人間にさえ自分の悲しみを吐き出せないままに、鬱々とした毎日を過ごしている。
 一体俺に何ができるのだろう。
 誰にも言わず、胸のうちに全ての思いをしまいこみ、気丈に振舞う彼女だから。
 少しでもその苦しみを解いてやりたくて。
 だけど、その方法も何も思いつかず、俺はぼんやりとこうして夜空を眺めるしかない。
 こんなとき、オデッサだったら一体どうしたのだろう。
 「…なぁ、オデッサ。…俺はどうしたらいいと思う…?」
 呟いて見るけれど当然答えは帰ってくるわけはなく。
 俺は自分の無能さを呪うように頭を振ると部屋へと戻って行った。
 
 
 数日後。昼食をとりながら会議をしていた時のこと。
 仲間集めを推し進めようと、仲間になりそうな人間のリストを開いて相談をしていたのだが、ファロンの元気がない。
 いつもだったら先頭に立って意見を言っているのに、どこかぼんやりとしたまま、呼びかけてもいっこうに返事が返ってこない。
 挙句、ファロンの漏らした一言はかなり衝撃的で。
 「オデッサさんみたいに…なりたいなぁ…。」
 瞬間、俺は心臓が凍ってしまいそうなほどにショックを受けてしまった。
 ファロンはファロンで、オデッサのようになる必要はない。最近では、ファロンだったからこそここまで解放運動が順調に進んでこれたのではないかとさえ思っている。
 戦場の舞姫の呼び名通り、命をかけたやりとりの瀬戸際で顕現するその美しさと強さは見ている者を残らず魅了する。通常攻撃だけではなく、ソウルイーターという強力な紋章を使った攻撃の強さも人々の信頼を得るには充分で、だからこそ大の男も、エルフもコボルトも、さらには敵だった将軍たちもみんなファロンについてくる。
 これはオデッサでは成しえないことで、明らかにファロンだからこその話である。
 だから、俺たちはオデッサではなくファロンを必要としていたのに。
 「ごめん、…ちょっと疲れてるかも。…今日、休む。」
 自分でも失言だったと思ったらしく、慌ててそう言って立ち去ったファロンは酷く気まずい顔をしていた。
 どうしてオデッサみたいになりたいなんて言ったんだろう。
 ファロンはファロン以外の何者でもなく、また誰にも替え難いと言うのに。
 「バカなことを…。」
 マッシュのため息交じりの悔しそうな呟きに、彼の顔を見ると普段冷静で滅多に表情を崩さないのに明らかに困惑の色が現れている。
 「今はさほど差し迫った状況でもありませんから今日は解散でいいでしょう。」
 それでも気を取り直して穏やかに言うマッシュの言葉にみんながうなづいてがたがたと席を立った。
 俺はどうしたらいいのだろう。
 オデッサという名の呪縛は彼女をがんじがらめにしていて、いや、彼女だけではなく俺も充分にそれに縛られているのかもしれないが、どちらにせよそれが彼女の重荷になっていることには間違いない。
 俺たちはオデッサではなく、ファロンを必要にしているのに。
 俺は何も思いつかないまま重いため息をついて、席を立った。
 彼女が彼女らしくあるように、何かできないだろうか。
 ふらふらと城内を見て周り、何も浮かばず、いっそのこと外へ出てみようと対岸のカクまで渡って見る。
 ここから見るオデッサ城は湖の上に浮かぶ要塞で、通常の城とは明らかに景観を異にしている。城壁らしい石組みと天然の岩とがその外壁となり、どことなくおどろおどろしい雰囲気を醸し出し、ファロン達が初めて来たときにはその外観に違わず強力なモンスター達が城内を跋扈していたと言う。確かにそんな感じがするところであり、今でもそこに人が住んでいると知らなければよりつきたくないところでもある。
 だけどその城は今では随分と人がいて、店や宿屋、道具屋や紋章屋まである賑やかなところ。そしてその城の主は驚くほどに強く、心優しい少女で、だけどおよそ少女らしくない服装と、その出自と、今の立場とがあまりにも普通の少女として生きるには相応しくなくて。
 考えながら街中をふらふらと散歩していると、不意に足元から声がした。
 「あーっっっ!」
 そのものすごい声に驚いて慌てて下を見ると、そこには露天商がいて俺の足を、いや正確に言うと足の下をすごい形相で眺めていた。
 「…ネックレス…。」
 露天商の男の情けない呟きに慌てて足をどかすと、俺の足の下にはネックレスがあった。
 「あ、す、すまんっ!考え事していてっ!」
 慌ててしゃがんで見るとどうやら商品は無事らしい。汚れがついてはいるが破損などはしている様子はなかった。
 「もう、気をつけてくださいよー?」
 その男は恨めしげに俺を見ていった。
 「悪かった。…ほんと、すまん。」
 踏んでしまった商品の汚れを落とそうと手にとって見ると、それは綺麗な青の石が3つついたもので。
 「…綺麗だな。」
 思わず呟くと、露天商はにっこりと微笑んでうなづいた。
 「ラピスラズリっていうんですよ。両サイドにある石はトルコ石。どっちも綺麗な青でしょう?」
 それは深くて綺麗な青。群青色の深い青は彼女の冴えた心のような色で。両脇にあるトルコ石は綺麗な水色。その二つの色のコントラストが美しい。
 「これ。もらう。」
 それはきっと彼女に似合うと思ったから。
 
 
 我ながら唐突だったと思う。
 だけど、ポケットの中にある青い石のネックレスは今更返品もできないし、かといって自分で持っていても仕方がない。
 だから。
 意を決してオデッサ城の最上階にあるファロンの部屋に向かう。
 俺たちの部屋のあるところから渡り廊下を渡っていくとファロンの居室である。
 「…ファロン…?いるか?」
 部屋の外から声をかけると、ベッドに突っ伏していた影がむくりと起きる。
 「悪い。寝てたか?」
 出直そうかと踵を返しかけると中からファロンの声がする。
 「起きてた。…大丈夫。」
 ベッドからごそごそと降りてくると俺の前に来る。
 「…大丈夫か?」
 顔色が少し悪く見えるのは気のせいだろうか。俺はファロンの楽なように、椅子に座らせると改めて体調を尋ねる。
 「全然平気。…頑丈だもん。」
 「そう思ってるだけだろ。…目の下、くまができてる。」
 すっと指で目の下を撫でると、びく、とファロンの体が強張る。
 不用意に触れてしまって、こちらも驚いて指を引っ込めると、ファロンは苦笑しながらうなづいた。
 「…ちゃんと寝るよ。」
 その笑い顔がいかにも辛そうで、俺はため息をついた。
 きっと毎日よく眠れていないのだろう。
 「あの…さ。…ごめん。…さっき、無神経なこと、言った。」
 ファロンは俺のため息を何か違うことと誤解したらしく、口ごもりながらそんなことを言い出した。
 「無神経なこと?」
 「…オデッサみたいになりたいって。」
 まるで判決を待つ被告のような悲壮な顔で言うファロンに、心配をかけないように笑って返事をする。
 「…別に無神経でもなんでもないだろ…?まぁ、あまりそう考えるのは歓迎すべきことじゃないけれど。」
 その返事がよっぽど意外だったのか、ファロンは首を傾げて、黒目がちの瞳をしばたかせた。
 「…つまりさ。…ファロンはそのまんまでいいんだよ。…他の誰でもない、ファロンだからここにみんながいる。な?そうだろう?」
 だけど、その返事にはファロンはあんまり納得できないでいるようだ。
 まぁ、仕方がないか。自分の能力に疎いファロンだから。
 俺は苦笑しながらポケットを探って、さっきのネックレスを取り出した。
 「…ファロン、これやるよ。」
 ファロンの手を取って手のひらを上に向けて開かせて、その上にぽんと先ほどのネックレスを置くと不思議そうに手のひらを覗きこんでいる。
 「…ネックレス…?」
 「さっき、カクで買ったんだ。…つーか、ぼんやり歩いてたら露天商の商品を踏んづけちまって…なんとなく弁償したほうがいいかなって思ったし…。」
 その言葉にファロンは驚いたような顔をしてから、その場面を想像でもしたのか一瞬後にくすくすと小さく笑う。思いがけず久しぶりに見たファロン笑顔に俺の方もほっとする。
 やっぱりファロンは笑っている方がいい。
 「……大事な人を亡くす辛さはわかってるつもりだから。…辛かったら我慢しなくていい、がんばらなくってもいい。誰にも言えなかったら辛いって俺に言えよ。」
 俺の言葉にファロンは一瞬きょとんとして、それからにこ、と今度は嬉しそうに笑う。
 「平気だよ。」
 笑いながら明るく言うファロンの顔を覗きこむ。
 「ほんとに?」
 「うん。フリックがそう言ってくれるから。大丈夫。」
 そういいながら笑顔のまま彼女は手の中にあったネックレスをつける。
 それは丁度襟元をくつろげていたファロンの鎖骨の間に綺麗に収まって、美しい輝きを放った。思った通りファロンの白い肌によく似合う。
 「似合うかな?」
 「ああ。よく似合うよ。」
 すると、ぱっと輝くようにファロンが微笑んで、その笑顔のまぶしさに俺は直視できなくなって慌てて視線を外した。
 「ラピスラズリとトルコ石だね。…どっちも12月の誕生石。」
 ファロンは嬉しそうに言う。
 「私、12月生まれだから丁度よかった。…ありがとう。大事にするね?」
 ファロンの嬉しそうな顔に俺はやっぱり照れてしまって、直視できないまま視線を窓の外の湖に泳がせてしまう。
 多分、俺の顔は今真っ赤なはずで、耳まで熱を持っているのが自分でもわかる。
 さほど高くないネックレスひとつでそんなに喜んでくれるとは思わなくって、喜んでくれるファロンの気持ちが嬉しくて、久しぶりの笑顔に照れてしまって、痛いほど熱を持った顔の赤みはなかなか引かない。
 慣れないことはするもんじゃないと今更思ったけど、それでもファロンが笑ってくれるのなら。
 「…戦いが終わったら…もっといいの買ってやるから。」
 ぶっきらぼうに言うとおかしそうにくすくすと笑っている。
 「期待しないで、待ってる。」
 すっかりと元気になった彼女は、そう言って、いつかのように悪戯っぽく笑った。
 いつか…ファロンを守りきることができたら。
 今度は指輪を買おうかと、ファロンの白い細い指を見ながら考えていた。
 
 
 
 
 END
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