「ファロン様。食事に参りましょうか。」
トランから大まかに見て北西の方向にあるゼクセン。
ファロンとグレミオは3年間旅を続け、あちこちの大陸を巡り、久しぶりにまたトラン共和国のある大陸に戻ってきた。別にトランに帰るつもりではなく、同じ大陸の西方や北方にある国を尋ねて回ろうと言い出したのはグレミオであった。
トラン共和国を避けるように、ハルモニアに上陸したのち、ぐるりと回りこんで、ゼクセンまでやってきたのはつい先日。
いい加減に歩き疲れ、今日の宿を取ったあとに夕食を取りに宿屋の中にあるレストランへと入っていく。こうして旅をしながら、各地の煮込み料理などを研究するのがグレミオの楽しみの一つとなっていた。
3年もの長きにわたって研究した料理は数知れず。集めたレシピを本にでもすれば売れるんじゃないかと思うほど。今日も目を輝かせて夕食を楽しみに席につくグレミオを見ながらファロンは苦笑していた。
「今日の夕食はなんですかねぇ?仔牛の煮込みゼクセン風?それとも…。」
にこにことしながら食卓について、運ばれてきた料理にグレミオは感嘆の声をあげる。
それはグレミオの期待していた以上の料理の数々。まるで子供のように目を輝かせて、料理を口に運び、味を確かめ、使われている調味料を想像する付き人にファロンはいつものことながら微笑ましいものを感じ、静かに、口元を綻ばせた。
「おい、聞いたか?とうとう、ハイランドがリューベやトトを焼き討ちにしたらしいぜ。」
不意に耳に入ってきた物騒な噂にぴくりとファロンが反応する。
「ああ、ハイランドの狂皇子の仕業だろう?ミューズが雇ったって言う傭兵の砦も落とされたっていうじゃないか。」
ハイランド、というとハルモニアの南、都市同盟の北にあるさほど大きくはない国だったとファロンは思い出す。
「へぇ。…あのクマみたいな傭兵隊長、かなりの腕だって聞いたがねぇ?」
クマという単語を聞いてグレミオはくすくすっと小さく笑った。
「クマ、ですって。…どこにでもそういう人、いるんですね。」
グレミオの言うのはフリックとともに消えてしまった、心優しい、クマと呼ばれていた男。
喧嘩ばかりしていたくせに、一番息の合っていた二人は最後の決戦で消え、行方不明になったままらしい。二人とも、というところが、おそらく二人で行動しているという証明のような気がして、それならば余計に無事であることを確信している。
旅を始めてから3年。ファロンはようやくあの二人のことを取り乱したりせずに思い出せるようになっていた。といっても、全く平然と、というわけにもいかないが。
「…相手があの狂皇子じゃあ仕方あるまい。…もっとも、そいつはうまいこと逃げおおせたらしいが。」
「あのルカ皇子を相手によく命があったもんだ。」
「ヤツは、トラン解放戦争にも参加してた強者だって言うじゃないか。」
その言葉にファロンもグレミオもびくりと反応した。
まさか。
ファロンがもっとその話を聞こうと立ち上がりかけたところに、先にグレミオが立ち上がっていた。
「すいません、その話、もう少し詳しくお聞かせ願いたいのですが。」
噂話をしていた人たちのテーブルへ、自分の注文したワインを片手にいつもの人懐こい笑顔で近寄って行って、尋ねていた。
「これから丁度ラダト経由でトランに入ろうとしていたんですよ。戦況によってはルートを変更しなければならないので…。」
グレミオは眉根を寄せて困ったような顔で言いながら、その人たちのグラスにワインを注ぐ。
「どうぞ。あまり高級なものではありませんが。」
といいながら彼らに見せるラベルはそんなに安くもないワインで。
「お、こりゃすいません。」
「せっかくだから、じゃあ、遠慮なくいただきます。」
そう言って男たちは嬉しそうにワインに口をつける。
「で、ミューズの傭兵がいたっていう砦って…どこですか?」
「ラダトの北東だよ。もう何にも残っちゃいないぜ。」
「全滅、ですか?」
「いや。生き残りはそこそこいるらしいぜ。…例えば、その隊長とか、あ、そうそう、副隊長の…なんだっけ、青いの。」
「「青いの!?」」
ファロンとグレミオが声を上げたのはほぼ同時だった。
「な、なんだよ、知り合いか?」
その声の大きさに男たちが気圧されて、思わず尋ね返してしまう。
「あ、い、いえ。前にトランで聞いたことがあるもんで。…ええと、青いのって…フリック…さん?」
「あ、そうそう、そんな名前だった。」
間違いない!
ファロンとグレミオは瞬間的に顔を見合わせた。
「一応、雇い主であるミューズに逃げ延びたって聞いたけどな。…ミューズもこの先、どうなるか分からないし。」
「なるほど。…ミューズもこの先は危険かもしれないと。」
「ああ。あのルカ・ブライトは何しろ都市同盟を滅ぼそうとしているくらいだからな。」
「ということは、都市同盟を通るのは危険ということですね。」
「まぁ、そういうことだ。まだサウスウインドウは無事だから、どうしても行くなら早いほうがいい。でなきゃ、ハルモニアまで行って、船でトランを目指すしかないな。」
「そうですね。ありがとうございます。教えていただいて助かりました。」
グレミオは男たちにそのままワインをボトルごと置いてきて引き上げてきた。
「ミューズだなんて…そんな近いところに…。」
グレミオの苦笑にファロンもうなづく。
確かにトランの北、ジョウストン都市同盟にいるなど思いもしなかった。都市同盟はトランの人間であるグレミオやファロンにとっては馴染みにくく、過去に何度も戦った長年の敵である。しかし、ビクトールの故郷ノースランドはその都市同盟にある。よく考えれば、そこへ行っていても全くおかしくはなかったのだ。
「ハイランドのルカ…。聞いたことある?」
ファロンの言葉にグレミオが首を振る。
「かなり残虐のようですが…。腕もおそらくたつんでしょうね。」
その言葉にファロンの表情が不安そうに曇る。
「…ミューズに…参りますか?」
グレミオの言葉にファロンは少し考えて、それからゆっくりと首を振る。
「…バナーに……。」
ファロンはそれきり口を閉ざしてしまった。
ゼクセンからグラスランドを経由して都市同盟の一員であるティントへ抜け、そこから都市同盟に入っていけば近いはずだったが、わずかな期間に戦況は激変していく。
グラスランドに抜けた時点でミューズが陥落し、サウスウインドウやグリンヒルといった他の都市まで制圧されたというニュースが入ってきて、ファロンたちは止む無くまたハルモニアまで戻ることにした。
そこから本来ならば船でトランを目指せばよかったのだが、ファロンはどうしてもビクトールたちの砦を見たいといってハイランドへ入り、そこからキャロを通って峠越えをしてきた。峠の出入り口は見張りが立っていたものの、ファロンとグレミオは賄賂をつかませて通らせてもらい、無事に峠を抜けてビクトールたちのいた砦を訪れた。
ハイランドの兵隊が見張っているところを、見つからないように木陰に隠れてファロンは感慨深そうに眺めている。
焼け落ちてしまったそれはかなり無残な姿になってはいるものの、残骸からはそれなりの規模の砦であったに違いないと推測される。ここに少し前までフリックがいたのだと思うと、中に入ってみたくなったが、ハイランド兵に見つかったら面倒なことになる。
ファロンとグレミオはそれを諦め、少し離れたところにあるラダトの街に落ち着いた。
「まずはここで情報収集、ですね。」
グレミオはファロンを伴って居酒屋へと入っていく。
ラダトの街はトトやリューベ、そして今見てきたばかりのビクトールたちの砦が無残な姿になっているのがまるで遠い世界のことのように至って無事である。
だけど、その空気にやや緊迫したものが流れているのは、つい先日、ここも一時はハイランドに占領されたことからである。もっとも、すぐにデュナン軍により解放されたというが、依然としてここもいつまた占領されるかわからない不安定な状況に置かれている。
「つまり、都市同盟の盟主であったミューズは市長が暗殺されて、盟主としての働きはおろか、市としての機能もしていない、ということです。」
一通り情報収集してきて、宿屋に戻ってきた二人は紙に書き出して入手した情報の整理を始めた。
「…それから、サウスウインドウも市長が殺され、市の行政は滞っているが市民は無事、…それとグリンヒルも占領下にありますが、市長代行はデュナン軍に逃れて存命、市民も無事…。」
紙にグレミオは表を作って書き込んでいく。
「ティント、マチルダ、トゥーリバーは無事。」
表を埋めた後、グレミオはファロンを見た。
「ここからが本題です。…ほとんど機能麻痺している都市同盟に代わってデュナン軍というのができました。リーダーはシェイという15歳の少年だということです。」
「15歳!?」
驚いた顔のファロンにグレミオがくすくすと笑いながら答える。
「別にそんなに驚くことはありません。ファロン様だって、リーダーとなられたのは15歳のときだったでしょう?」
グレミオに言われ、ファロンは自分もそうであったことを改めて思い出す。
だけど、自分は前のリーダーであったオデッサからの指名でリーダーになったのだ。自分で軍を興したわけではない。
「それで、ビクトールさんもフリックさんもデュナン軍に参加している、ということです。あの二人、デュナン軍の中心メンバーのようですねぇ。」
らしいといえばらしいですがというグレミオの呟きにファロンは苦笑する。
「本拠地は…もとのノースウインドウ…ビクトールの出身地ね?」
「ええ。…今はシーアン城というようですが。」
グレミオはそう言ってからファロンに地図を見せる。
「ここラダトからシーアン城まですぐです。…参りますか?」
ファロンはきゅっと唇を噛んで、しばらく考えるがゆっくりと首を振る。
「…戦況はどう?」
短いファロンの質問にグレミオが先ほどの地図を示す。
「まずは…五分五分、といったところでしょうか。ハイランドはルカ・ブライトが倒れて、妹婿のジョウイという青年が新しい皇王になったそうですが…そうそう、ハイランドにはレオンがいるようです。」
「レオン…?レオン・シルバーバーグ?」
「ええ。…ハイランドの新しい皇王についているようです…。」
その言葉にファロンの顔が曇る。
さきのトラン解放戦争で解放軍側に力を貸していたレオンは名軍師として知られ、その才能は実証済みである。トラン共和国が、大きな混乱もなく速やかに建国できたのは、無論マッシュの残した草案によるところも大きいが、レオンの手腕に拠るといっても過言ではない。そのレオンがハイランドについているとなるとデュナン軍にとって事態はかなりよくないような気がする。
「デュナンにはここラダトに住んでいたシュウという男が軍師としてついているようです…彼がデュナンについてから、勢力を盛り返しているようです。」
「…そう…。でも相手がレオンじゃ…油断はできないわね。」
「そうですね。…なかなか厳しい戦いのようです。」
グレミオの報告にファロンは頷いた。
「それから、つい先日、トラン共和国とデュナン軍は和平協定を結んだようですよ。…カスミさんが今、デュナン軍に義勇軍大将として参加しているそうです。」
「え?」
ファロンは驚いて目を見開く。
「デュナン軍としてはハイランドとの戦争中に背後から狙われたくない、そう考えているようですね。それと、兵の数がやはり足りない。…その両方の不安を取り除くべく、先日、デュナン軍のリーダーがトランを訪れたそうです。」
「そう…レパントが派遣したのね。」
ファロンは少しだけ安堵の息をついた。
「どうしますか?やはりバナーに?」
グレミオの問いにファロンは頷く。
「ここだと…いつまたハイランドに占領されるか分からないし…それに…。」
言いかけたのは自分の身分がばれてしまうとトラン共和国に迷惑がかかりかねない、といったことである。
バナーならば最悪、トランに逃れることができるし、デュナン軍、いやフリックに何かあってもすぐにかけつけることができる。
「わかりました。…早速、明日にでもバナーに参りましょう。」
グレミオはうなづくと部屋の電気を消した。
ファロンは川につり糸をたらしてからふうっと息をつく。
最後の戦いから3年。早かったといえば早かった。
旅に出て、いろいろなところを回って歩いて、でも毎日思い出すのはフリックのことだった。
あの最終決戦の日に王宮内で分かれて、それからずっとファロンは後悔している。
何も言えず、何も出来ず、唯一フリックのためにできたことはオデッサの悲願をかなえたことだけで。他には何も出来なかった自分が情けなくて、悲しくて、悔しくて。もっと何かをしたかったのに。女の子らしいこと一つも出来なかった。
「こんなんだから、だめなんだよねぇ。」
ファロンは自嘲的に呟いた。
もともと恋人同士になどなれるわけもなく、自分ひとりの胸のうちにしまっておかなければならない思いだと分かっていたし、覚悟もしていたけど、だからこそ、フリックに何か一つでも喜んでもらえることをしたかったのに。
そうすれば、それで自分を慰めることが出来たのに。
こうしてバナーにいても、フリックの元へ行くことも出来ず、ただ毎日入ってくる情報に一喜一憂しながら彼の無事を祈るだけで。
こんなときに本当に自分の無力さを思い知る。
ため息をついて、釣り糸を川から引き上げると人の足音がする。
グレミオが迎えに来たのだろうかと振り返ると、そこには見たことのない少年がたっていた。バナーの村人の中にもいなかった気がするし、それに、なんとなく不思議な気を感じる。
「…誰?」
尋ねると、不思議そうな顔をして少年はこちらを凝視しているだけで。
「誰かーっ、助けてーっ!」
もう一度問いかけようとした矢先に山の方から男の子の悲鳴があがる。
「特にそこの人、助けて!!」
その声にファロンは持っていた竿をかなぐり捨てて、走り出していた。
結局。
子供の悪戯だったのが、思いもかけない大事件に発展してしまったとわかったのはその直後。ファロンはその場にいた一行と少年の救出に向かうこととなった。
「…5人…か。」
一行の人数は4人、それにファロンを加えて5人と呟くとシェイと名乗った少年が首を振る。
「もう1人いるよ。…今、そこの道具屋に薬を買いに行ってる。」
シェイと名乗ったこの少年は、件のデュナン軍のリーダーで、今日はこの先の山道に訓練に行く途中でこの事件に巻き込まれたのだという。それなりに腕はあるようだが、ほかのものはいかんせん訓練中で、水の紋章を持っている人間がいるにはいるが、それだけでは若干不安があるというので念のため薬を準備していくらしい。相手がどんな連中なのかわからないので、それはいい判断だと感心していると、向こうから誰か走ってくる気配がする。何気なくファロンが目を向けると、一番最初に入ってきたのは青の服だった。
その色に驚いて、慌ててそれを纏っている人物の顔を確認すると、それはファロンの知らない顔で。
「…買ってまいりました。」
「ありがとう。」
シェイは意志の強そうな表情の男から薬を受け取って袋に入れる。その青の男は軽くうなづいて、それからファロンの視線に気が付いて少しだけ首を傾げる。
「…何か?」
するとカミューがくくっとおかしそうに笑った。
「…マイク。お嬢さんにそんなおっかない顔をするものじゃない。」
「あ…ごめんなさい…。」
謝るファロンにシェイが苦笑した。
「…ああ、ごめん。ファロン、紹介がまだだったね。…僕達の仲間で、マイクロトフ。こっちのカミューと同じ、元マチルダ騎士団。青騎士団の団長をしていたんだ。」
それでファロンはようやく彼が青を身に纏っている理由を理解した。
それは残念なような、安心したような複雑な心境。
「マイクロトフ。こちらはファロン・マクドールさん。これから、誘拐された少年の救出に一緒に行ってくれる。」
にこ、とシェイはマイクロトフに微笑みかけて言うと、マイクロトフは少々苦い顔をする。
「…恐れながら申し上げますが。…女性をこういったことに巻き込むのは感心できません。」
「…うん、それはわかってる。…でも、彼女の力も借りた方が絶対にいい。悪いけど、前よろしくね。」
シェイはそういわれるのが分かっていたように返事をして、それから出発するぞと他のメンバーに合図をする。
隊列はカミュー、マイクロトフ、フリードが前に立ってすすみ、後ろをナナミ、シェイ、ファロンがついていく。
「ファロン。…どうしてここで釣りなんかしていたの?」
道すがら尋ねるシェイにファロンは少し困ったように微笑んだ。
「…することがなかったから。」
「…ということは、退屈してでもバナーにいるべき理由があったんだよね?…それは、なに?」
ファロンは見かけによらずこの少年の頭が切れることを確信した。彼のところにはあの二人がいる以上余計な詮索はされたくないと思い、どう答えたものかと少し考えた。シェイとナナミだけではなく前を歩く3人が無言なのも、その返答を聞きたいからであろう。
「…グレッグミンスターに帰るべきかどうか考えていた。」
無難なところでそう答えておくのが一番だろうと判断する。
「…君の国だろう?」
驚いたように言うとファロンはゆっくりと首を振ってからはっきりとした口調で言った。
「私の、ではない。トラン共和国はトランの人のものだ。」
その言葉にシェイはくすっと笑う。
「まるで他人事なんだね。」
「…私は…トラン共和国にいたことがない。」
答え終わるが早いか、ファロンはすっと顔を上げると棍を構える。なんだろうとシェイが前方を見ると、がさがさっと茂みからモンスターが出てきて途端に戦闘となる。
モンスターの気配を感じる速さに驚いていると、続いてファロンの冷静な声が飛ぶ。
「指示を。」
「あっ…じゃ、あっちのを。」
「分かった。」
ファロンはひらりと、指示されたモンスターの前に踊り出て、まさに舞うように腕を、その手に持つ棍を優雅に一旋させる。そして自分の位置に戻ると、あとには倒れたモンスターが残っているだけだった。
「う、わ…。」
シェイはその様子に誉め言葉も声にならず、間抜けた唸り声だけあげて、ぼうっと眺めていた。
「…シェイ、来るよ。」
ファロンの声にはっとして慌ててよけると、ファロンも自分めがけて襲い掛かってきたものをまるで踊るように後ろにステップを踏んでよけていた。
マイクロトフ、カミューも相手に切り込んでいくが、相手はまだ倒れない。
「くっそー…結構強いね。」
シェイが言うと、ファロンはうんと小さく頷いてからまたひらりと踊り出る。戦う姿は優雅なくせに、酷く冷静に、淡々と敵を打ちのめす姿に、思わずそこにいたみんなが見惚れてしまう。
「…あとは…よろしく。」
にこ、とシェイに笑いかけてシェイもナナミも慌てて攻撃に入る。
ほどなく、それらは倒せてみんな一息ついた。
「さすが…だね。」
シェイがファロンに声をかけると、ファロンは困ったような微笑を僅かに浮かべた。
「…こんなこと、あまり誉められたことじゃない。」
そう言ってから先を急ごうと歩き出す。
何回か戦闘を行いながら国境に程近いところまで行くと、男の子を誘拐した山賊にであった。彼らはすぐに退散したがその直後、グレイモスと戦い、結果、男の子は毒に犯されてしまい、やむなくグレッグミンスターに行くことになってしまった。
ファロンは一瞬、躊躇したものの、子供の命に代えることは出来ず、そのまま急いでグレッグミンスターを目指す。幸いリュウカンの治療で男の子は大事に至らなくて済んで、ようやく胸をなでおろした。
ソウルイーターがまた犠牲を求めているのだろうかとファロンは思ったが、男の子の命はなんともなく、それで余計に安心をしたのだ。
「…今日はうちに泊まって行くといい。」
王宮から出たときにはもう夕方になっており、これから5人がバナーに戻るとなると夜道を行かなければならない。それにリュウカンに預けてきた子供のこともあるので、グレッグミンスターでの宿がわりにファロンはそう申し出た。
5人を連れて、王宮を出たところにある自宅に行く。久しぶりに戻る自宅は全く変わっておらず、きちんと手入れされていて、外壁にも水染みひとつない。クレオがきちんと留守を護ってくれていたのだと思うと、嬉しさと申し訳なさで心の中が一杯になる。
「こ…ここぉ?すっごい家…。」
後でナナミが驚嘆の声を上げている。
「ねぇねぇ、ファロンさんって…実はお嬢様?」
その質問の返答にファロンは困ったようにうーんと首を傾げる。
「…名字を持っているんですから…。」
カミューがそう言うと、ファロンは少しだけ険しい表情を浮かべる。
「…トラン解放軍のリーダーっていうから、ついつい、シェイと同じって想像しちゃってたんだけど…。」
気後れしたように言うナナミにファロンは微笑みかける。
「変らないよ…。…これだって…父が建てた家で、私が建てたわけじゃない。」
照れたように早口でそういいながらファロンは中に入った。久しぶりの家は何一つ変っていなくて、最後に出たままになっていた。
早速5人が泊まる手はずを整えたクレオがそれぞれを用意した部屋に案内していき、その間にグレミオが夕食の準備をしている。
その間に自分の部屋に戻ったファロンは感慨深げに部屋を見回した。
出て行ったときのままの部屋は綺麗に掃除されている。おそらくクレオがいつ戻ってもいいようにそうしてくれていたのだろう。調度品の位置も全く変っていず、最後に使ったペンの位置さえもそのままで、とても懐かしくて。涙が出そうになるほど、暖かくて。久しぶりに帰ってきた自分を迎えてくれたグレッグミンスターの人たちはみな、優しくて。
ここに帰ってきてもいいのだと、そのときにようやく分かった。
「ファロン様、夕食ですよー。」
ドアの外からグレミオの声がする。
「今、行く。」
ファロンはそう返事をして、食堂へと向かっていった。
「でね、そんときにさ、フリックとビクトールが来て助けてくれたんだ。」
シェイは夕食のあと、自分が戦うようになったきっかけを話してくれた。
フリックの名前が出るたびに、心の奥底がざわざわと疼く。
シェイたちは自分の知らないフリックを知っているのだと思うと、少しだけ羨ましくもある。今はどんな風になっているのだろうか。相変わらず、青いマントを羽織り、青いバンダナをしているのだろうか。
「そんなことがあったんですか…。」
グレミオやクレオばかりが驚いたのではなく、フリードやカミューたちもその話は始めて聞いたらしく、驚いたような顔をしている。
「…まぁ、それからはみんなも知ってのとおりだけど。…砦が落とされたときには、これから先、どうなることかと思ったけどね。生きてさえいればなんとかなるもんなんだって、最近わかったよ。」
苦笑しながら言うシェイにファロンも小さく頷いた。
「それにしても、ビクトールさんは相変わらずですねぇ。」
グレミオの言葉にクレオも笑いながらうなづいた。
「…そういえば、私達のときもビクトールだったね。」
その言葉にシェイはきょとんとしてクレオとグレミオを見る。
「…帝国軍に追われて、この屋敷を逃げ出して、宿屋に隠れたのはいいけど、街からぬけだせなくなった私達を助けてくれたのはビクトールだったんだ。…もっとも、あいつも食事代が払えなくて、踏み倒すための口実に私達を使ったんだからお互い様だけどね。」
クレオの言葉にみんなぷっと吹き出した。
「うわ、ビクトールらしいや。」
シェイの明るい言葉につられて我慢していたみんなからあはははと、明るい笑い声が起こる。
和やかに夕食を終えて、それぞれが部屋にひきとり、ファロンも自分の部屋に戻った。
久しぶりの自分の部屋で、愛用の棍を磨いていると、ドアのノックの音が響く。
「どうぞ。」
「ファロン…。」
顔を覗かせたのはシェイだった。
「…何か…?」
「うん。」
シェイが俯き加減で返事をする。
「中にどうぞ。」
さっきとは打って変わって沈んだ様子のシェイに、ファロンは直感的に来訪目的を悟って部屋の中に招きいれた。
デスクの椅子をシェイに勧めると、ファロンは予備の椅子を出して自分もそこに座る。
「あのさ…聞きたいことがあるんだ。」
言いにくそうにシェイが尋ねるのに、ファロンは了承の意味で頷く。
「…ファロンは…リーダーとして戦うこと…疑問に思っていなかった?」
なんとなく予想できたシェイの質問にファロンはどう返事をすべきか考え込む。
「僕、まだ15だし。…ゲンカクじいちゃんの遺児といっても…血は繋がってないのにさ。…それだけでリーダーなんて…おかしいって思うんだ。」
さっきまでの明るさとは全く違う、どちらかというと怯えたような表情に、ファロンはかつての自分と同じ悩みを見た気がした。
「…だけどね、みんなは僕についてくる。…僕に命を預けてる、運命を預けてる。…何度逃げ出したいって思ったかわからない。…だけど、僕はもう僕1人のものじゃなくって。」
ふうっとシェイが息をついた。
「この間、ティントというところでさ、このまま逃げちゃおうって、ナナミが言ったんだ。…でもね、できなかったよ。…僕は…僕を信頼してくれる人たちを裏切れなかった。…でも、辛いんだ。…どうして僕なんだろう。…なんでだろうって…。」
俯いて拳を握り締めるシェイは、少し震えているようだった。
おそらく、それはリーダーになったものしかわからない恐怖、孤独。みんなが自分に期待を寄せているからこそ、誰にも言うことの出来ない不安。シェイはそれらと戦っているのだろう。姉であるナナミにでさえ言うことも出来ずに。
「私は、リーダーでよかったって思ってる。」
ファロンは静かに口を開いた。
その言葉にシェイがファロンの顔を凝視する。
「…かけがえのない出会いがあった。…失ったものも大きかったけれど。…だけど、得たものも大きかったから。…自分の命を賭しても惜しくないものに…出会えた。」
ファロンはにこ、と微笑んでシェイを見つめた。
「私がリーダーであること、…帝国を倒すことだけが…私にできる唯一のことだったから。」
それしかできなかったことに、後悔はしているのだけどとファロンはシェイに気づかれないようにため息をついた。
「シェイは…守りたいものはある?」
尋ねられてシェイは首を傾げる。
「ナナミ…かな。」
「他の全てとナナミちゃんを比べたら?」
「…それは…。」
口篭もるシェイにファロンは僅かに微笑む。
「…私は…あった。…他の全てと引き換えにしても…護りたいものが。だから、リーダーでもよかった。…護るために、戦えるのなら。」
「その違い、なのかなぁ。」
シェイの呟きにファロンは頷いた。
「トランの英雄は、自身のエゴのため戦っていた。そのエゴがたまたま、自分の下に集まった人の願いと同じだっただけ。だから…本当は英雄でも何でもない。」
ファロンの言葉にシェイは少し悲しそうな顔をした。
「…そんな風に…自分のことを…。」
「本当のことだ。…私は…ただのどこにでもいる普通の人間。…違うとするならば…紋章をもっていること。」
そう言ってファロンは手袋のはまったままの右手を見る。シェイは自分の右手をそっと開いて見て、そうしてこれを貰ったときのことを思いだした。
おそらくそのときからこうなる運命になってしまったのだろうと、今更思う。
「…僕が戦っている相手って言うのはさ…。小さい頃からずっと一緒だった親友なんだ。…親友が…ハイランド王国軍を率いている。」
「…ジョウイ・ブライト…か。」
その名前をファロンが知っていることが意外だというようにシェイが驚いた顔でファロンをみつめる。
「…シェイはどうしたい?」
「できれば戦いたくない…けど…。」
「彼も…彼に命を預ける人がいて…彼1人の身ではなくなっている。」
「多分、そう。」
ふぅっとシェイが息を吐き出した。
「それでも…話し合う余地があるのなら、話し合えばいい。…一番いいと思われる方法を取っていくしかない。…シェイにはまだ希望は残されているんだろう?」
その言葉にシェイは少しだけひっかかるものを感じて首を傾げる。
「ファロンには…希望はない?」
「どうだろう。」
ファロンの悲しそうな微笑みが、暗に肯定している気がする。
おそらく、ファロンはトラン解放戦争で受けた精神的ダメージから未だ立ち直っていないのだと、シェイは理解した。
だから大統領の座を蹴ってまで旅に出たのだろう。
それほどまでに彼女を傷つけたものはなんだったのか、知りたいような気もしたが、彼女に直接聞くことはファロンを傷つけてしまうことがわかっていたから、それ以上を聞くことが出来なかった。
「僕に…守りたいもの…できるかな?」
「…その親友を守りたいと思えばいい。」
ファロンの言葉にシェイが目を見開く。
「君がもう後には引けないというなら、戦うことによって彼を救うことを考えればいい。たとえ、今は戦っていても、全力をあげて彼を助ける。…彼は、大事な友達なんだろう?」
シェイがこくんとうなづく。
「…多分ね、僕を逃がすために捕まって…生き抜くために暗殺を請け負ったんだと思う。」
「そうか…。…いい友達だね…。」
「うん。」
シェイが即座に返事をしたのに、ファロンは微笑む。
「…君は彼を救うために、全力で戦う。彼の軍と、彼を救うために戦うというのは可笑しいけれど、おそらく君達はこれのためにどちらかが負けるまで戦わなくてはいけないのだろうから。」
そういってファロンはシェイの右手にくっきりと浮かび出ている紋章をさす。
真の紋章の力がどれほど絶大なのかはファロンは身をもって知っている。ファロンは以前、本で読んだ紋章の成り立ちのことを思い出した。おそらく、シェイが継承したのは戦いを避けられない紋章だから。
「それならば、シェイが勝った後で彼が生き延びれる方法を考えてやるといい。…彼を生かすためにシェイが勝てばいいんだ。」
その言葉にシェイは最初、目を丸くして、それからこんどは苦笑する。
「ファロンって…。」
そう言ったまま笑いをかみ殺しているシェイの前で、何を笑っているかわからないファロンはきょとんとしている。
「すごいね。…やっぱり、トランの英雄だ。」
「…シェイ。」
嗜めるような口調にシェイは余計に可笑しくなってきた。
すごい発想の転換。
この前向きな性格がおそらく解放戦争を勝利に導いたのだろう。たとえ本人がそれに気づいていないとしても、周囲はその性格に励まされ、導かれ、そして成し遂げることができたのだろうとシェイはようやく納得した。
本人にとっては兄弟とも言える者を、父を、友人をその紋章のために亡くし、その戦争はどんなに辛いものであったろう。だが、それらの悲劇を乗り越えるファロンの姿は何よりも周りの人間にとって力強く、信頼すべきものだったのだろう。
「誉めてるんだよ。…僕、やっぱりファロンと知り合えてよかったよ。」
にっこりと笑うシェイにファロンは複雑な表情を浮かべた。
「ねぇ、ファロン。…僕、まだいろんなことを君と話したいよ。」
シェイの言葉にファロンは静かに頷いた。
「…私で…力になれるのなら。」
シェイは嬉しそうに笑ってから、跳ねるように立ち上がる。
「…いろいろと、ありがとう、ファロン。」
「どういたしまして。」
ファロンが微笑むと、シェイも微笑んで部屋から出て行った。
翌朝。
「かえって世話になってごめんね。」
別れ際にシェイが恥ずかしそうに笑った。
「しばらくここにいるから、気が向いたらくるといい。」
「ありがとう。」
シェイはそう言って荷物を持つ。
「いつでも、力になるから。」
ファロンの言葉にシェイは嬉しそうに勢い良くうなづき、あ、と思い出したようにファロンに告げる。
「…城に戻っても…しばらくはファロンのことは内緒にしておくよ。…君もその方が都合がいいだろう?」
「ああ。そうしてくれると、助かる。」
「でも、いつかは…そう遠くないうちに…僕の城へ遊びに来てよね?」
まるっきり無邪気な子供のように言うシェイにファロンはまるで姉のような気分になり、自然に柔らかな微笑が顔に昇ってきた。その笑顔に、満足そうにシェイは笑うと再会を約束する言葉を口にする。
「また、ね。」
「ああ、また。」
ファロンは言葉少なにそういって、毒の治療の済んだ少年を伴ってバナーへと戻っていくシェイを見送った。その後姿を見ながらぼんやりとフリックのことを考える。
シェイはそのうちにフリックに言うだろうか。
フリックはどうするのだろう。
そして、自分は。
ファロンは小さく首を振る。
もう賽は投げられた。彼と知り合ってしまったことが、この先どういう結果を生むことになっても、後悔だけはしないようにしようと心に決め、ファロンは自宅に戻っていった。
END
|