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テッドが死んだ。ファロンがショックで壊れてしまうのではないかと心配したが、平気なふうで、それは余りに不自然なほど元気で。
 だけど、いつもは瞬きの手鏡を使って戻るのを、この日に限って長い距離を歩いて、敵を倒しながら、わざわざトラン湖畔にあるカクまで戻って船でオデッサ城へと戻ったのだった。
 そうすることで城に戻るまで少しでも悲しみを柔らげ、仲間たちといつものように笑って接することができるようにと、時間稼ぎをしていることは同行者の誰でも分かることだった。
 それほど傷ついているのに、道中は何も言わず、泣きもせず、ただ前を向いて歩いているだけで、終ぞその細い体からは嗚咽のひとつも漏れてこなかった。
 しかし、ぎりりと噛み締めた唇が、切れないまでも山苺のような深紅になり、それが一層その美しさを際立たせていて、さらに悲しみをこらえる瞳が強い意思で見開かれているのもそれを助長していた。
 我慢強いのにもほどがある。
 このままこうしていたら、いつかは彼女の心が壊れてしまう。
 だから、俺はマッシュに緊急の作戦や会議がないことを確認するとファロンの部屋に急いで行ったのだった。
 「…何か…?」
 急に部屋を訪れた俺に、ファロンは不思議そうな顔をしている。別に泣いているわけでもなく、これからおそらく城内を回って歩こうとしていたのだろう。旅装を解いてはいるが休むような支度ではなく、普段の通りで棍も手にしたままである。
 「今日は急ぎはないから、たまにはつき会え。」
 そういって彼女の返事も聞かずに強引に部屋から連れ出す。
 「どこへ行くの?」
 「いいとこ。」
 そう言って彼女を連れてきたのは城の側にある小さな島。そこは大きな船ではいけないけれど、小さな船ならばかろうじて接岸できるところがあり、上陸ができる。何度か今まで調査のために来たことはあるけれど、普段は城の防衛上立ち入り禁止になっているので誰もこない穴場なのである。
 「ここ、立ち入り禁止じゃなかったっけ?」
 ファロンにそう言われてひょいと肩をすくめる。
 「ファロンなら大丈夫だろ?…それに。」
 うっそうと葉を茂らせた大木の元に羽織っていた青いマントを外してばさばさっと広げて敷く。
 「ここならこの木があって城からも見えないんだ。」
 そう言ってに、と笑って見せた。
 「なに?」
 ファロンがどうするのか分からないようで、首を傾げて立ったままでいる。
 「昼寝。気持ちいいぞ。」
 そう言って俺は先にごろりとマントの上に横になり、大の字になって寝てしまった。
 「もう…、帰るよ?」
 呆れたような声が頭上から降ってくる。
 「船は1艘しかないから勝手に帰るなよ。…俺が帰れなくなる。」
 「…誰かに迎えに来てもらえばいいじゃない。」
 「ここに来たのばれるだろ?」
 そういったまま、俺は昼寝に入る。ファロンはどうしたものか、しばらく困って俺の頭の周りをうろうろとしていたようだったが、やがて、帰るに帰れず、あきらめて隣に寝転んだようだった。
 ふわりと、ファロンの香りが鼻先をくすぐる。
 気配から、ファロンはマントの生地の一番端にいるようで、俺は寝ぼけた振りをして腕を伸ばす。
 「抱き枕〜。」
 そう言って華奢な体を抱き寄せれば、ファロンが驚いたようにじたばたともがく。
 「こら。暴れるな。」
 そう言って、腕に力を入れて無理に押さえ込んで逃れられなくすると、やがてファロンはあきらめたのか、おとなしくなった。
 それからしばらく沈黙が続く。
 聞こえるのは風にそよぐ草の擦れる音と、木の葉擦れの音と。
 恋しい少女を腕の中に閉じ込めて、普段だったら絶対に心臓がおかしくなるほどに跳ね上がるシチュエーションだが、今はそれさえも多少押さえられるほどファロンの精神状態が心配だった。
 泣くのは見られたくない人だから。
 一人で泣くのは辛いから。
 一人でも泣けない人だから。
 だから、一人ではないけれど、一人の状況を作り出した。それが俺の考え付く精一杯。
 人に触れているとその体温で安心すると、以前、オデッサが言っていたのを思い出して、こうして、すっぽりとファロンを抱え込む。彼女が少しでも安らぐように。
 「フリック…?…寝たの…?」
 小声で胸の辺りから聞かれるが、それには返事をしない。
 「…フリック…?」
 もう一度、恐る恐ると言った様子で声がする。
 しばらくしてから、ふぅと小さなため息が聞こえ、逃れようとして体に力を入れていたのを抜いたようだった。
 そのまま、ことんと、腕の上に彼女の小さな頭の重みが乗っかってくる。
 すぐに、くすくすという密かな笑い声が胸の辺りから聞こえ、おかしそうに小刻みに肩が揺れた。
 多分、ばれてる。
 それならよっぽど起きてしまおうかと思ったが、男たるもの一度始めたのだから最後までと、狸寝入りを決め込んでそのままじっとしていた。
 密かな笑い声は楽しそうに、だけどやがて小さくなり、代わりに忍び泣くような息を詰める声が聞こえ始める。
 それがいかにもファロンらしくて。
 大声を張り上げ号泣するのではなく、声を殺して人知れず泣く姿が痛々しい。華奢な肩を悲しみに震わせて、体一杯に悲しみを溜め込み、それを自身の力で浄化しようとする様がいかにも彼女らしく、俺は知らず知らずのうちに抱きしめている腕に力を入れていた。
 
 
 それから一体どれぐらいたったのだろう。
 はっと気づくと日はすっかりと傾き、大木の陰は東に長く伸びている。
 どうやら本当に寝てしまったらしい。
 あれからファロンはひとしきり泣いて、泣き疲れて眠ってしまったまでは覚えている。
 そこまで思い出して、腕の中にファロンがいないことに気がついて慌てて起きると、ファロンは側で花を摘んでいた。
 「ファロン。」
 「きゃっ!」
 声をかけると酷く驚いた声をあげて、ファロンが振り向く。
 手には白い小さな花がたくさん握られている。
 「何やってんだ?」
 「えーと…。」
 ファロンは困ったような笑顔を浮かべ、それから花の束の形を整えてから持っていた半分を、はい、と俺に差し出した。
 「…昼寝…気持ち良かったから。」
 照れたような真っ赤な顔で、ぼそぼそと早口で。
 目はまだ泣いた後の腫れが引ききっていないけれど、元のように強い意思を漲らせている。
 「ああ。」
 俺は小さな白い花を受け取ると立ち上がってマントを拾う。そろそろ城に戻らなくてはいけない時刻になる。
 船を着けたところまで歩きながら俺はファロンに尋ねて見た。
 「…気にいったか?」
 するとこくんと小さく頭を上下に揺らす。
 「うん。」
 「…じゃあ、また来ような。」
 その言葉にファロンがにこ、と笑った。
 「いいえ、だめです。」
 表情と正反対の言葉に、驚いてみると。
 俺たちの乗ってきた船の隣にはマッシュを乗せた小船が一艘。
 「ここは立ち入り禁止だといっておいたはずですが。」
 額に血管がぴくぴくと浮き出そうなほどの不機嫌さでマッシュは俺たちにそういった。
 その後、俺たちは夕食前までこってりとマッシュに絞られてえらい目にあったのに、ファロンはその間中、嬉しそうに笑っていた。
 
 
 
 
 END
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