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第1話/第2話/第3話/第4話/第5話/第6話 | |||
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第1話 新生活スタート! 香港も1年で一番さわやかな季節にはいりました。11月は暦の上では秋ですが、日中の気温が22℃〜24℃位まで上がるので、湿度の下がった気持ちのいい暖かい秋といったところでしょうか。 世界有数の大都市の1つである香港。にょきにょきと林立する高層ビルやスピードをあげて走る2階建てバス、人々の雑踏や喧騒に埋もれてしまいそうな私ですがこれから数年にわたる香港生活の一部を皆さんにお伝えできればと思っています。それでは再見! | |||
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第2話 飲茶 日本では高級料理と化した感がありますが本来は庶民の味…飲茶。もちろんここ香港でもお店によって点心の数・種類そして味が違うので当たりはずれがありますが、どのお店に入ってもだいたい満足して帰ってきます。 | |||
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第3話 ピンクイルカ ホワイトドルフィン(中華白海豚)って聞いたことありますか? 香港ドルフィンウオッチhttp://www.zianet.com/dolphins | |||
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第4話 幼稚園の親子植林遠足 次女が通う日系幼稚園では9年前から環境・情操教育として、親子で参加する植林遠足が春の行事の一つになっています。先日その植林遠足に家族で参加してきました。 今回の植林地である香港新界の東にある西貢(サイクン)西郊野公園まで地域ごとのチャーターバスに乗ること1時間。そこで園長より説明を受けたあと、各園児2つの苗木とスコップを受け取り植林地まで登山が開始。わりと歩きやすい遊歩道で、勾配もそれほどきつくない山道を20分ほど歩き苗木を植える場所に着きました。植えるのは実がなる木の苗だそうで、高さ50センチくらいのものを事前に植林センターの人が掘っておいてくれた穴へ植え込みます。前日までずっと降り続いた雨のため土はとても柔らかく簡単に終わりました。その後下山しバスで今度は近くのバーベキューエリアへ移動してお昼となりました。熱帯雨林の破壊の著しいアジア太平洋地域では、一般的に「木を植える」習慣がなく、環境に対する意識も乏しいのが現実です。そこで娘の幼稚園の母体である日本を代表する国際NGO<財団法人オイスカ>は過去35年にわたって、アジア太平洋地域を中心に農村開発や植林事業に取り組んでいます。 香港は現在雨季に入っており、雨が何日も続いたり晴れていても湿度が90パーセントの日々なので当日もとても蒸し暑かったですが、なかなか経験できない植林というものを家族で体験でき、香港での良い思い出がまたひとつ増えた1日でした。 | |||
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第5話 中秋の名月 中秋節とは1年で月が最も丸く明るい日で、満月の丸い形は家族の団結と和を表し1年の豊作に感謝します。毎年旧暦の8月15日(十五夜)がその日に当たり、今年は9月12日でした。月見の日である中秋節の夜は、火を灯したランタン(提灯)を手にしたカップルや家族連れが公園や広場に集まり名月を鑑賞しながら遅くまで賑わいます。驚くのは、騒ぎまくって徹夜した香港人のために、翌日が公休日になっていることです。家の前の公園にはたくさんの人が集まって、今年もランタンの灯火が真っ暗な公園で蛍の光のようにきれいでした。 日本ではお月見の晩は団子を供えますが、香港では月餅でお祝いします。中秋節前の2−3週間はスーパーやお店で月餅の販売合戦となります。我が家は甘いものをあまり食べないので買いませんが、夫が会社であちこちからいただくので昨年は家中たくさんの月餅で困ってしまいました。いただいた月餅は贈答用なので4個から8個入った缶いりで、しかも1つがとても大きいのです。そして、こちらの月餅はハスの実の白あんが一般的で、中にアヒルの卵の黄身の塩漬けが入っていて、切ったとき月に見えるようになっています。日本で食べていた月餅とは少し違います。 今年の中秋節の月は、はじめ空が少し曇っていて心配しましたが、遅くなってはっきり見えてきれいでした。 | |||
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第6話 テレサ・テン 甘く美しい歌声と心に残る名曲の数々で、祖国台湾はもちろん日本、香港、東南アジアなど幅広い地域で絶大な人気を誇った歌手、テレサ・テンさんが、休暇中のタイで不慮の死をとげたのが1995年。彼女の香港の家が5月中旬から1年間限定で現在公開されているので、さっそく見に行ってきました。 高級住宅地として知られている香港島のスタンレー地区にあるテレサ・テンさんの家は、建物の総称面積が約320u、庭は約230uで想像していたほど大きくありませんでした。係りの人に案内されて中に入ると、家の中には彼女が受賞した数々のトロフィーや衣装、アクセサリーが展示されていました。また箱やベッドカバーなど部屋にピンクのものが多いのは彼女の好きな色だったためとか。 1階は海が見えるリビングとダイニングそしてキッチン、2階はゲストルームと衣装部屋そして寝室の3部屋で、1年のうち1ヶ月ほど過ごしていたと言う説明からも別荘として使用していたようです。建物の外観も内装もわりと地味で豪華さはあまりなく静かに過ごしたかったのではないかと想像できました。 1989年の天安門事件以降は歌手活動から遠ざかりパリに移住していましたが、生前は大スターの座に甘んじることなく常に謙虚な態度で親しみやすく気さくな人柄であったそうです。チャリティ活動にも積極的だった彼女の優しい人柄と美しい歌声は今なお愛されつづけています。 <テレサ・テン邸> | |||
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