学生からの相談に対応してくださるボランティアの教員を募集しています

 現在、大学という環境の中で、トラブルに遭遇した学生にとって最も必要なものは、必要ならば研究室の運営判断にさえも介入できる、学部組織から中立な仲裁システムです。そこには、カウンセリング、法的対応、その他の調整へのアドバイスの可能な人材と環境、そして、法廷闘争という最終段階の前に学内で問題を処理できるような介入権力が必要とされます。少なくとも、研究室や学部の中だけの問題とせず、きちんと社会的存在としての大学のあり方の前で問題を解決する、という責任感が必要なのです。

 これは、学部自治の部分的解体をも意味します。そして、それは、教授陣の既得権益、権力構造の一部剥奪をも意味しますから、自覚・無自覚の別なく、現在の状態をただ守ろうとするすべての大学人から強硬な反対にあうであろうことでもあります。しかし、それにもかかわらず、いや、それだからこそ、そのような環境である大学では学生が理不尽に権利を侵害されるというトラブルが絶えません。変わらなければならないのは大学、そして、大学がかわりたくないがゆえのトラブル。さらに、現時点では大学を「かえることができる」のは大学人だけ、という悪条件が重なっています。

 それでも、被害に遭う学生は存在するのです。

 トラブルにみまわれて、物理的にも精神的にも閉塞した状態にある学生には、すくなくとも相談相手が必要です。大学にはこういった問題が存在することを知っていて、かつ、大学組織の性質故にそのような問題は当事者間のやりとりだけでは解決しえない、ということを認識している相談相手、特定の環境に執着せず、世の中と人生の幅広い可能性についてもアドバイスできるような、そして、学生がかかえこんだ悩みをすべて安心して吐き出せるような、そして、ねがわくば吐き出した後、その背中をそっとさする心の余裕のある相談相手が。

 それは、学生の同僚や先輩にはできません。彼らもまたいつ自分がその境遇に落ちるかもしれぬ中、緊迫した時間の流れを相手に闘ってるため、心の余裕がないのです。

 それは、当事者と密接な関係にある教員にはできません。教員は、学生の不安定な立場を理解しにくいのみならず、自分の今後の業績や進路において、教員間での一蓮托生の関係を成立させていることがおおいからです。

 それはまた、一般のカウンセラーにとってもむずかしいものです。なぜならば、問題の内実を了解するためにはある程度、研究者の世界における研究テーマについての理解やその妥当性の判断、教員の言動の意図などをよみとらねばならないからであり、そのためには、研究の畑を知っていなくてはならないからです。

 その結果、これまで、学生たちは「誰に相談してよいものかわからない」まま、己の人生、進路、そして夢を徒に捨て去ってきました。「先生が駄目と言うのだから、自分には納得も理解もできないけれど、たぶん駄目なんだろう」と傷心のまま、学問・研究の世界に背を向けてきました。研究室には、ボスと力関係のない人間など普通は存在しませんから、一人であきらめるしかなかったのです。学問・研究が、権力の階梯をのぼりつめる過程である以上、ボスに喧嘩を売るような痴れ者も普通は大学には存在しません。「学生の人権」ページをつくった時以来、私にとって日常となったものは、「ここでなら相談できる、ここにとりあえず自分の経験をはなしておきたい」という、学生や元学生のみんなのパッションであり、私自身そこから実にたくさんの現実を吸い込み、吸い出してきました。

 以来、送られてくるメイルには返事を出し、近場であれば直接おもむいて、話を聞く、という作業をくりかえしつつ今にいたります。これは、実際には到底私一人の手でまかなえるものではありません。第一に、メイルでやりとりできる内容には限界があります。第二に、分野によっては十分な理解が困難な場合もでてきます。

 話を主題に戻します。組織として、公的に中立の相談組織をつくるのは、おそらくまだまだ時間がかかるのです。しかし、相談を必要としている学生は、それこそそれぞれの大学の定員にほど近い程存在しています。そして、実際にはすべての大学人が学生をごみのように扱っているわけではありません。大学という存在の構造的な問題を了解し、自らの携わる教育の世界に対して憂いと無力感とにさいなまれている教員も僅かながら実在していまることを私は知っています。そういう教員は、学内政治や業績競争といった暴力の世界においてはあまり発言力がないかもしれませんが、今の日本の大学をかろうじてささえている柱、大学にかろうじて良心があるとすれば、それは彼らなのです。私は、そういう人々の力を一つにまとめあげ、大学という脆弱で浮わついた組織をかえていくための強靱な骨格とすることを夢見ています。

 対価は用意できません。名声も、ありません。時間は、たくさんさかねばなりません。心楽しくうきうき、という話題にはまずお目にかかれません。もちろん、今の日本ではそれは業績にもなりませんし、同僚たちからは「馬鹿なことばかりやっている奴」とさげすまれ、疎まれるかもしれません。場合によっては、同じ業界の著名人に対する認識が変わってしまうかもしれません。学生の側についた、ということで裏切り者扱いされ、研究室や教室、学部で、誹謗や中傷をされるようになってしまうかもしれません。相談内容については守秘事項として、外部、および、関連業界に対して黙する、という条件を守っていただきます。

 それでも、それでも、一枚噛んでやろう、という教員の参加をお待ちしています。具体的には次のようなことです。

 私のところには様々な分野も様々な地域の学生からいろいろな相談が届きます。それらのうち、私には分野の知識が乏しいもの、地域的に直接サポートできないものについて、時間の許す範囲で相談にのって欲しいのです。ゆくゆくはきちんとした組織にしていきたいのですが、当面はプライベートなボランティアとしてお願いすることになります。ですから、どの地域の誰が、ということは公表しません。どれくらいの相談がもたらされるか、という点についても未知数です。内容としては、基本的には相談内容についてのアドバイス、研究テーマの可能性についてのアドバイス、そして、トラブルの事情を聞く、ということが中心です。また、内容や部分部分においては私との連携でサポート、ということになりますので、そちらにまかせっきりということはありません。

 実は、内々にはすでに数名の教員の方から賛同と了解を得ております。また、ある事例では地方の大学での相談相手をある方にお願いし、結果的に学生がトラブルから離脱する手助けをしていただいた、という実績もあります。でも、まだまだ力と手が足りないのです。

 心有る方の参加をお待ちしております。

1998.10.30