あなたの研究室で、あなたと学生がうまくいかなくなったら? (教師向け)

 この項は、実は難しい問題をはらんでいます。学生を教育・指導する立場にある教員にとって、意に反して学生とうまくコミュニケーションができなくなってしまった時に、どういうところについて考えていけば事態が改善されるか、という、教員向けの「対策」アドバイスを考えたコーナーなのですが、そこには、この問題の根源的な根が隠れているからです。つまり、真に学生にとって問題が生じている状態では、独り当該教員だけは「自分は学生とうまくいっている」、あるいは、「学生がおかしいだけで、自分の指導はなにも間違っていない」という自負をもっている、からです。逆に、学生との関係に信頼が築けているような場合には「自分のどこがいたらなかったか」と悩んでしまったりします。予備軍であるような環境では、問題の自覚がない、というのはハラスメントの基本構造といってよいでしょう。

 ただ、渦中であっても救済しうる場合はあります。それは、教師にも学生にも悪意がなく、妙なプライドや名誉慾もなく、ただ、双方が素朴・純朴であるが故に、双方が歩み寄りの機会を失い、途方にくれている場合です。双方が、ただただお互いに傷ついている場合です。学生は、研究の世界に入ったばかりで右も左もわからず、教員は学生であった遠い過去の記憶を失い「研究者」としての価値観にしばられている場合、といってもよいでしょう。この場合、ただ、お互いにすれちがい、おたおたするだけ、という状況がしばらく続きます。この時であれば、まだ救済の可能性があるのです。この段階で適切な対応ができれば、問題は過去の笑い話に変貌できるのです。

 問題は、この「おたおた」の状況が、双方にとって解決の道も見えぬまましばらく続いてしまった場合です。そもそも、教師と学生とは、大学の中での立場が違うものである以上、このすれ違いの状況は、次第に、より深い断絶を産み出してしまいます。やがて、決して修復できぬまでに、あるいは、エスカレートしすぎて他の副次的な、より重大な問題をまねくこともあります。

 従って、このコーナーの目的は一般的な問題解決策、というよりも、以上のような、「とまどいの状態」のうちに、後戻りできる可能性の方角を示す、ことにあるといってよいでしょう。

学生と話をしましょう
 いそがしいから、と、学生の相談や質問を遠ざけてはいませんか。余裕がないから、とお茶飲み場やコンパを早々と退席してはいませんか。大先生然と構えて、研究の「指導」をしてはいませんか。公的な場ではちょっと話難いような対話は、こういうところに出てくるものです。対話の機会を遠ざけていては、いかなる関係も良好なものとは成り得ません。

学生とはなしたことをちゃんと覚えていますか
 学生とはなしたこと、学生にはなしたことをちゃんと覚えていますか。いそがしくて覚えていられない、というのであれば、その場で確実にメモをとり、なくさないようにしておきましょう。後で、言った、言わないの水掛け論にならないように気をつけましょう。水掛け論は、結局のところ立場の違いで学生が我慢をのみこむことになりがちです。これは、後々に禍根を残すだけです。たとえ、本当に言った覚えがないことをいわれても、記録がないのであれば、あまり強く「そんなはずはない」等と主張してはいけません。多忙さ、年齢、どれをとっても、学生よりもあなたの記憶力のほうが悪い、ということは十分に考えられるのですから。対話の間に、双方の見ている場でどんどんメモをとって、保存しておく、というのが最も確実な方法です。

学生に「研究者」をおしつけてはいませんか
 研究室に配属された以上、もう一人前の研究者だという考え方があります。はいったばかりの学生の気持ちを鼓舞し、やる気をおこさせるのには有効なあおり言葉ですが、現実には学部、大学院の学生は、まだ自分が研究者にむいているのかどうかを模索している段階なのです。研究室のあり方によってはそのまま研究の人生を選ぶかもしれませんし、他の人生に進むかもしれません。目的意識としては研究者として扱っても、現実の側面で研究者扱いしてはいけません。彼らは、あなたが忘れてしまったほど過去の「あなた」なのです。今のあなたの感覚で対応してはいけないのです。
 就職しようとする学生を、「やる気がない」ときめつけてはいませんか。

学生をちゃんと評価していますか
 学生の、評価すべき点、評価すべき結果をきちんと明確に評価していますか? 教員は、「よし、これで学会一つ、論文一本は視野にはいった」と思っていても、学生のほうは自分の出した結果がどれほどのものかきちんとビジョンがもてていない場合があります。「評価したつもり」ではなく、きちんと言葉にして、誉めるべきところは誉め、次の段階のビジョンを示してあげましょう。

研究室の中で隠し事をしていませんか
 盲検法よろしく、「これが何かは教えられないが、これで実験しろ」とか、あるいは、ある学生が出した結果を他の学生に対して隠したりしてはいませんか。学生は、結果がでるかどうかという最終的な目標については教員を信頼していることだけが根拠なのです。そこに、このような不信感をつのらせるようなことをすると、疑心暗鬼を産み出して行きます。それは、教員に対する強い不信感にも育ちます。守秘義務のあるような極秘プロジェクトに学生を投入する(これ自体、本来は避けなくてはならないものです。学生に対してだけではなく、将来の所属が不安定な人間に誓約もとらずに参加させるのはプロジェクトに対する裏切りでもありますから)場合は、十分な説明が必要です。また、学生間に秘密をつくるようなことをしてはいけません。もちろん、学生同士、自然に内密な話題はできてくるものですが、それを積極的に教員がつくりだすなどということは行ってはならないのです。

学生のためを思って、という理由で学生の名前を勝手につかったりしていませんか
 学生は、まだ研究者としての人生を歩むかどうかを自分で考え、判断している最中の存在です。そこへ、すでに研究者であるあなたの価値観で、「これはためになるから」といって発表等に学生の名前をかってにつけたりしてはいませんか。学生には学生の人生設計があります。事前に前もって話をとおしておくという最低限の礼儀を、相手が学生だからといって忘れてはいけません。もしかすると、あなたのその行動によって学生の将来が大きく損なわれる、ということもあるのですから。

学生に対して、「すんだこと」と「いまのこと」をちゃんときり分けていますか
 説明や指導が必要な時に、感情がたかぶって過去の「もうすんだこと」をむしかえしたりしてはいませんか。また、研究と日常生活といった、無関係なものを文脈に関係なく持ち出したりしてはいませんか。研究についての話し合いの場で、学生の生活態度、人間関係、親子関係などを暗に明にひきあいに出したりなどしていませんか。これらはすべて、指導でも教育でもなく、理不尽な人格攻撃です。ただちにやめなくてはなりません。

学生の研究テーマをおろそかにしてはいませんか
 学生が自分のテーマをもっているのに、そこに加えて自分の都合で研究の手伝いをさせてはいませんか。学生が持っている時間は極めて限られたものです。また、教員にたのまれたことを断れる学生というのはそうそういません。本当は断ってもよいのだとしても、立場の違いは断ることによって将来の自分の境遇にひびくのではないか、と無意識のうちに考えさせてしまうからです。学生のテーマと直接の関係のない手伝いを依頼するのであれば、本業への影響を十分に考慮・配慮し、アルバイトとしての賃金を支払うくらいの気持ちでおこないましょう。

卒業した学生の悪口をいってはいませんか
 たとえ、本当に問題のある学生が過去にいたとしても、いまいる学生の前で、鬱憤をはらすかのようにその学生のことを話すのはよくありません。それは、たとえ、あなたとの関係が良好な学生であっても、「自分が卒業した後、なにをいわれるかわからない」という不安をうみます。

学生の「やる気のなさ」をすべての問題の原因として考えてはいませんか
 たとえ、現在あなたから見て「やる気がない」ように見えたとしても、本当にやる気がないのかどうかはわかりません。あなたの指導がいきとどいていないために、純粋に行き詰まってしまっていて、何をやってもだめ、それで気がめいる、さらに何をやってもだめ、という悪循環に陥っている可能性があります。学生は、あなたのみえないところで悩み、がんばっているのですから、一方的に「やる気」のせいにせず、「どうしてやる気がないように見えるのか」を考えましょう。適切な評価、適切な文献の紹介等といった些細な対応で好転することも少なくありません。

学生の結果よりも文献を信じてはいませんか
 もちろん、どこの馬の骨ともわからない、研究はじめて少ししかたっていない学生の言葉よりも、出版され、多くの人間の目にさらされている文献のほうを信じてしまう、という気持ちはわかりますが、だからといって、学生が出した結果を頭ごなしに否定して「やり方が悪い」といた決め付けはしていませんか。もしかすると、そこには新しい発見があるのかもしれませんし、さらにもっと可能性が高いのは、あなたが指導する際に大事な要点をいくつか教え忘れている、という場合です。特に、あなたが事務仕事に忙殺されて、なかなか研究を直接の手でおこなえないような事態に陥っているのであれば、なおのこと、文献ではなくあなたの学生の出した結果をすなおに受け止めましょう。どうしても納得できない、ようであれば、二人で考え、再現させてみればいいだけなのですから。

心の底から研究それ自体がおもしろくておもしろくてたまらない、ですか
 教えるあなたが、研究に対する純朴な喜びを失っていては、学生だってなかなかやる気にはなりません。「おもしろさ」が学会や論文の発表、他の研究者との関係などにすりかわってしまってはいませんか。

1998.10.02