あなたの指導教官は大丈夫?

 数多くの相談を受けていくうちに、学生がトラブルにまきこまれる環境の特性というものがしだいに見えてくる。学生のメンタリティ、大学や学部、学科の個性といったもの以上に、問題の根幹には教員に共通する性質が重要なポイントといえる。ただ、それぞれの現場にある学生自身は、常に自分の努力不足や才能不足に問題の原因があるものと解釈し、教員の問題を軽視しがちである。話を聞いていくうちに、個々の事例がいかによく似通ったものか、ということに既視感と驚きを禁じ得ない。大学の教員というものが独自性の高い人種というよりも、なにがしかの共通した性格・人格の歪みを持つ特定の社会階層として認識しておくほうが良い、ということなのか。

 ここでは、悩んでいる学生が自分でチェックできるように、という目的で作成したチェックリストを掲示しておく。もちろん、このリスト自体、まだまだ改良・追加の余地のあるものであり、このような条件も追加したほうが良い、という読者からのアドバイスをお待ちしている。

 さて、あなたの指導教官はこのうちいくつかあてはまってしまうだろうか。


指導教官チェックリスト

・その時、その時で言うことが違う
・物忘れがはげしい

  以前に言ったこと、指示したことを覚えていない
  相手によって言うことが違う

  だって前はこう言ったではないですか、と聞くと、
   「そんなことは覚えていない・そんなはずはない・それは今の自分とは違う」 等

・学生の研究内容を理解できていない
・学生からの進言や提案を嫌う

  テーマの進め方について、学生が自分の出した結果から次に何をするかを考え、相談してもそれを却下した上、学生が納得できないような指示を出す。実際にどのような結果がでているか、ということは考慮せず、某論文にはこう書かれていた、某研究者はこう言っていたという具合で一方的な命令を下す。

・研究室外の人間に相談することを禁止する
  出された指示、命令に納得できなくとも、とにかくその内容を理解し、実行しようとした学生が、その内容について詳しい人間に質問したり、指導をあおぐことを毛嫌いする。たとえそれが、基本的な実験手技についての問いあわせであったとしても、研究室外部の人間との接触は頑として拒絶するのである。

・学会やその付属会合等に参加することを嫌う
・学生が論文を読むことを嫌う

  指導教官が指示した論文雑誌・学会以外に、学生がこういった公の場に参加することを嫌う。学会に参加して、いろいろな研究者と接し、経験をつむという行為を許さないのである。その理由は「研究の秘密がもれるといけない」であったり、「そういうことをすると他人のマネになる。研究というものはオリジナリティが大事なのでそれは駄目だ」等である。論文も同様であり、教員が「読め」と指定した論文以外を読むことを禁じられる、といった事も行われる。極端な場合には研究室での読書・勉強すら禁止されることもある。

・何回リジェクトされても、著名な雑誌にそのまま論文を送り続ける
・「とんでも」な研究目標をたてたがる

  教員が「名の売れ方」を気にするようになってきたり、学内での政治力に妙に長けている場合に陥る。内容についての批判があっても無視して、リジェクトされた論文をそのまま他の雑誌に送る、ということを繰り返す。上の問題とあわせて考えると、研究内容についての的確な評価を指導教員が下せなくなってきた、いわば、ある意味では「ぼけてきた」時にこの状態に到達するわけだ。また、これは教員の具体的な研究テーマ設定にも当然影響をおよぼす。「今年の目標」、「研究室のテーマ」に怪しげな問題設定をするようになる。最先端の問題は理解が追い付かないので、いきおい古典的な問題設定に近寄っていく。また、「結果が出た時の著名度」も重要な要素として考慮されるので、結果として「永久機関」、「常温核融合」、といったいわゆる「トンデモ」なテーマを設定するようになってくる。生物系では「獲得形質が遺伝することの証明」等がこれにあたるだろう。
 「次の論文はNature」が口癖になったり、妙に社会派を気取ったりしはじめたら要注意、である。

・学生の研究態度を問題視するにあたって、人格攻撃や決め付けを多用する
  思うような結果がでなくて悩んでいる学生に対して「生活態度が悪いからだ」「やる気がないからだ」「おまえは研究者にむかないからやめたほうがいい」といった言葉をねちねちとしつこくぶつける。定期的に教授室に学生をよびつけてはこれを繰り返す場合もある。また、その際には「最近の研究の様子」についてだったはずの話題が、何年も前のミスをほじくりかえして「だからおまえは駄目なんだ」という展開にもなる。就職活動をした学生に対して、「就職活動をするなんて、やる気のない証拠だ、おまえはやる気がないのだから卒業させない」ということを言う教員も少なくない。下手をすると、学生の「家庭環境」「親の育て方」「育ち」「血筋」にまで言及したりする。大学の外ではこういうのはいじめとかハラスメント、と呼ばれるのだが。

・自分が「学生のことを考えているやさしい教員」であることを強調する
・退学や放校をほのめかすような脅迫まがいの発言をする

  ねちねちと文句を言い続けた挙げ句、他の教員ならおまえはとうにこれこれな目にあっている「が、しかし」自分は学生にやさしい人間なので研究室においてやっている、という言い方。本当に学生にやさしい教員であればこんなことをいうはずがないことは自明なのだが。学生に対する扱いのすべては「学生のためを思って」やっていることで、それに抵抗するなど無礼千万、というわけだ。学生の結果を勝手に発表したり、という出来事もこの延長で起きてくる。

・学生同士での情報交換を嫌う
  研究室での学生同士の情報交換や話し合いを嫌い「なにかあったら直接いえ」というプレッシャーをかける。学生間でどういうことが話されているかを強く気にして、時には助手をスパイがわりに使って、後から学生を呼び出して問い詰めたりもする。また、研究テーマについても、ある学生のだした結果を他の学生には教えてはいけない、と緘口令を出したりもするのである。

・妙に外面が良い
  外部の人間や「これから研究室に入る学生」等に対しては(対してだけは)極めて親しみやすくにこやかな態度を示す。内部の人間に対する態度と180度異なる場合、それは危険な兆候である。この場合、研究室にはいってからふりかえると、「どこかでかわってしまった」としか思えないことがある。「あんなにいい先生に見えたのに」「かわってしまった」という事実が学生にとっては「自分がなにか悪いのだろう」という方向におしながす流れをつくってしまう。同時に、他の研究室の教員に相談しても「あの人がそんなことをするはずがない」と、とりつくしまもなかったりもする。


1998.09.21.