コーナー作者随想

こちらは、コーナー作者が関連の問題について徒然に思うところをまとめるコーナーです。意見、コメント等ありましたら、メイルでお願いします。その際、よければこのコーナーに内容を掲示させていただきたく思いますので、その可否についてもお知らせください。


はじめに

このページを設置して以来、平均して一日に3通前後のメイルがコンスタントに届くようになりました。どれも皆、ページを読んでの感想や提案なのですが、全員が、「自分も同様の経験がある」と、それぞれの体験を語ってくれるのが印象的です。ここにあげたような問題は、どこにでもある問題なのです。どこにでもある問題なのに、被害者達は自分だけの問題だと考えてしまい、また、周囲の学生や教員もそう考えさせるような態度をとりがちであるところに悲劇があります。ここに挙げた例以外にもいくつもいくつもの事例が、それこそ、これを読む全ての人のすぐ身近に転がっています。ここにあげられている事例は、ひどいものを特に選んだわけではありません。どちらかというと、本当にひどいものは事例としてあげていないくらいです。現実は、想像を遥かに越えて悲惨です。それは、大学という環境が現在の社会の中ではある意味では取り残されたまま、そして、社会にさらされている環境ならばどこかで問題がつまびらかになった時点で処遇と処分が自ずと決まるのに対して、大学ではかばいあうような異様な馴れ合いが、さらに問題を隠蔽してしまうからです。自分達にできることはなにか。一つは、自分の問題に自らの手で決着をつけること、そしてもう一つは、後に続く若者に、できるだけ動きやすい環境を残していくことです。現状では、ゲリラ的に闘うしかありませんが、集積は、必ず力となり、流れとなるでしょう。なぜならば、この場合の「敵」は、かばわれることに慣れすぎているため、一個人として、一人の社会人として表立って自らの正当性を主張するときに必ず破綻するからです。私たちは、その破綻のほころびを見逃さず、ひとつひとつ丁寧に追求していく必要があるのです。

弱者構造としての学生

学生が陥る境遇は、多くの場合、女性の受けるセクシュアルハラスメントと同等の構造をとる。つまり、基本的人権への侵害、当然受けられるはずの権利の剥奪、理不尽な処遇にあいながらも、「学生」という絶対的な弱者としての立場ゆえに、教員という支配階級にあらがうことができぬまま、ただただ黙して被害に甘んじていくという構造である。被害に甘んじるのは、彼等があきらめているからではない。問題に直面した時、第一に「まだなにもしらない学生」という落し穴につきおとされて発言を封じられ、第二に、「教員ともあろう立場の人がそんなえげつないことはすまい」という根拠のない思い込みによって機を失い、第三に、研究者ヅラすることを覚えた他の学生達から「学生にだって問題があるんだから」と、あたかも社会的責任の差など誤差の範囲内のものであるかのような僭越な物言いをされて悩んでしまい、第四に、問題教員と対峙したとしても、その結果は火を見るよりもあきらかである、つまり、「どういう結末になっても学生が一人だけ損をするような結末が待っている」ことが、どんな学生にも理解できているからである。つまり、告発は、まさに告発そのものによって学生の首をしめるような狡猾かつ巧妙な仕組が完成されている。セクハラを告発することで、明白に自分の職と名誉とを失うようになっている社会のかたちと、これは同じなのだ。学生は、どんな目にあわされても、研究を少しでも続けたければ、学問を続けたければ、勉強したければ、その理不尽な処遇に耐えるしかないと思わされている。そして、今の日本ではたしかに、どんなえげつない教員が学生の人生を土足でふみにじろうと、学生を死に追い込もうと、彼等を裁くシステムは存在しないのである。われわれは、教員職は聖職などではないという事実をさらに声高にさけばねばならない。人間に許されない行為は、教員であっても同様に許されないものだ、というあたりまえのことを主張しなくてはならない。それほどまでに、教育の現場は荒廃しているのである。

ある学生からのメイルには「教員は犯罪でも犯さない限りクビにできない」とあった。ある教員は「自分達公務員は下着ドロボウでもしない限り職は安泰だから」とぬけぬけと語った。これが、今の日本の大学という空間がかかえる問題の本質である。教員も学生も、「そういう関係」であるところから、すべてがスタートしてしまっているのだ。

問題を個別のものにすり替え、個々人の不手際のせいにするのは簡単である。「学生にだって問題があるんだから」というのなど、問題のすり替えという点では卑怯と無責任の典型である。しかし、これは、大学の問題というべきものではない。日本の社会が、マイノリティを落しめていく際の典型的な問題にすぎない。大学が特殊なのではなく、身近などこを見ても、実は同様の問題が散乱している。ただ、誰もなかなかそれに気付かないだけで。学生は構造的な弱者である。それは、こうして差別の構図、理不尽な境遇が「学生であること」自体に依って前提的に封印されていることによっても示されているのである。

途中経過

このコーナーを開設して以来、最初の二週間で1000アクセスを突破しました。私自身、これまでいろいろなぺージを作成してきましたが、これほどのものは初めてです。一ヶ月がすぎた今でも、毎日コンスタントにアクセスがあり、毎日、読者からの様々なメイルが届きます。これほどまでに、このページの扱っているテーマに対する関心は深く、広い、ということを知って、改めて気持ちをひきしめています。

特に、事例のコーナーについては、私もこういう経験をしてきた、というレポートのメイルがたくさん届きました。それらの中から、個人や組織を特定できる部分をはぶいた上で、当事者の方から掲示許可をいただいた分については順次追加していっています。この作業は、学生に対する人権侵害が、いかに今の大学では「当然に」行われているものかを追確認する作業でもありました。大学は、研究機関ではなく、教育機関であるのにもかかわらず、その教育という側面については等の大学関係者自身があまりにもおそまつな認識しかもっていない、これが、被害を受けた学生に共通する特徴です。たとえば、新しく教員を採用するに当たっては、内部昇進よりも外部から公募で採用するのがいい、といわれます。これは、教員の採用基準がちゃんとしているのであれば正しいのですが、実際には社会に対するタテマエのアピールとして公募をしかけておいて、その実、無能な馬鹿身内をひいきにした例や、逆にタテマエにひきたおされて業績だけから判断した結果、教育能力は二束三文以下、人並をはるかに下回る外道が教員として採用されたりもします。ある場合には、研究室にいる学生のうち、教授が欲しいと思った学生は大学院には進学しないものだ、という風潮が生じたところもありました。つまり、そこでは教授のオメガネにかなった学生は大学院になどいかずにそのまま助手に採用されてしまう、大学院に進学した学生は、その時点ですでに研究者としての人生には暗雲がたれこめている、というわけです。でも、こんなものは序の口です。

学生のことを考えている、という「タテマエ」は、あまりにも容易に、しかもなんの代償も責任もはらわずに安価に入手できるため、思慮の浅い人間は必ずこれを口にします。子供を力一杯なぐりつけながら、「これはおまえを愛しているからなんだ。これは愛の鞭なのだ」と叫びつづけているようなものです。形式とタテマエは、本質をともなって初めて様式となるのに、そこを履き違えて形式をおもんじていればやがて本質はついてくる、と信じるような信じられないオコサマがまだまだいる、それが情けないけれど大学の現実なのでしょう。

このコーナーにしても、いつまでここに存在できるかは正直いってわかりません。こういう、タテマエ好きな人達の慣習にもれず、すでに「大学の中にこういうコーナーがあるのは問題である」ということを言い出した教員が実際にいます。ここにある「事例」のいくつが自学の問題であることを知っているからこそ、そういう反応がでるのかもしれませんが、だとすれば、その教員はそのような状態を正すことよりも、それが世間にばれずにうまくごまかされることをのみ望んでいるのだ、ということなのでしょう。たぶん、高い確率で私個人に対するなんらかのアクションがみられるものと思いますが、それこそは最高最適なる究極の「事例」となるのだろうと思います。教員に採用されてしまうと、学生との間には意識の溝ができるようです。一旦その溝ができてしまうと、あとは学生のことなど理解することなどできぬまま、自分の保身にひたすら走ることになります。事例コーナーにあげられている当事者の教員のうち、一人だけ、私のところに連絡をくれました。しかし、その人は直接の問題にかかわった張本人という立場ではないのです。実際に、人間として決してゆるされない悪行を果たした人間は、外面上はなにも気がついていないというそぶりをみせながら、そのままなにくわぬ顔で大学にかよっています。たぶん、大学教員というぬるま湯は、犯罪でもおかさなければ安泰、という迷信をさいごの生きるよすがにしているのでしょう。しかし、それがゆるされるようでは、日本の大学教育はもうなにも残らないということになります。

このコーナーの存在を問題視する人間がいる、ということは、よせられるメイルの量やアクセスの回数とならんで、このコーナーも存在意義の深さを物語っているのだと思います。まだまだ、われわれはスタート地点にたったばかりです。

1997/11/19付 追加分

現在、「事例」のコーナーが破損を受けています。これは、11月にはいってから、著者の気がつかないうちに事例の一部が削除されたことによるもので、現在復旧をおこないつつあります。削除の際に、どうやら特定箇所だけを消してしまえばいい、ということであったらしく、tableもくずれています。

これは、10月末の時点では生じていませんでしたので、その後、ということになります。削除されたの事例の2-3をはじめとする部分であり、これは都立大内の事例でした。ある助手が自分の勝手で面倒をみる、と宣言した女子学生に対して、まともなテーマをあたえることもできずに半年の間に何度もテーマを変更させたり、研究室ニ誰もいなくなる深夜2時すぎにその学生をひとりよびたしてはいじめを行ったり、「頭に電極さしてやりたい」と発言したり、ということを再三続けた、という例でした。あげくのはてに自分が積極的に受け入れたのにもかかわらず「別に頼んできてもらっているわけではないからいつ故郷へかえってくれてもいっこうにこっちは困らないんだ」とまで放言しています。

昨日(11/18)にメンテナンスのためにファイルを確認したところアンカーが不一致となり、内容が崩れているのを発見した次第です。このサーバ機は研究室内に設置されており、実は内部の人間であれば誰でも触ることができます。事実、過去にも一度管理者にことわりなく内容に無断変更を企てる、という事件もおきています。おそらくは、今回もそれに類する出来事ではないかと考えられます。

疑いたくはないのですが、実は事例の2-3にあげられていた「教員」とは、その、先の「無断変更」を行った当人でもあり、また、どうやら、近々おこなわれる人事に昇進の要求を出している(しかも、その提案自体、11月中におこなわれるといいます)とのことであり、彼個人の事情してこれらのコーナーの存在がうっとうしかった、ということもあるのかな、と考えています。しかしながら、このようなゲリラ的な事件が生じるということ自体、学内の事情の実態を物語っているともいえます。近いうちに、同一内容のミラーを学外に設置することを考えなくてはならないようです。

とりあえず、バックアップからの復旧を行いますが、このようなえげつない干渉が生じることが示された以上、こちらとしても積極的な自衛策をとらざるをえないと考えています。

1997/11/19付 事例コーナー追加分

事例の2以降は、現在バックアップから復帰させた内容に戻っている。これは、無断でサーバー内のファイルを変更する、という不届きな行為をなした人間がいたためであり、現在、内容の追加変更の作業中である。都立大学では、理学部の電子計算機委員会に属し、かつ、学科の電子情報委員会の委員長の立場にあるような人間が、サーバー機の管理者に無断で内容の変更を行う、というネットワーク犯罪的な行為を平然となす、という前歴があり、また、無断削除された事例が当該教員についての記述を含んでいたこと、当該教員自らの希望による昇進人事が近いうちに教室の議題にのぼるらしきこと、等から、ファイルへの変更は事故ではなく、意図的なものであった可能性が高い。当該人事がどのような結果となるか、きわめて慎重に教室の対応を見据える必要があろう。

参考までに追加しておくと、当該人事は提案の段階で即座に否定されたそうである。とりあえず、無関心をよそおっている学内の他教員といえども、「まったくなにもみていない」わけではない、ということなのかもしれない。もっとも、あらゆる意味で実績も業績もない人間がただ単に「長いこと大学にいたから」という理由で昇進できる、ということになれば、それはそれでまた別の問題の温床となるわけであり、さすがにそこまで腐ってはいなかった、ということであろう。


1998/1/ トップページ

 このコーナーを設置して一年が経過しようとしている。その間にもメイルや電話による被害報告や、掲示した事例の事後の展開、マスメディアとの接触等、いろいろなことがあった。また、都立大学の学内においては全教員・全大学院生を対象としたセクハラ・アカハラについてのアンケートが実施され、内情の赤裸々な事実をデータとして提示するための用意が整いつつある。すぐに結果の出るものではないが、ゆくゆくは学生・教員を問わずにハラスメントについての相談窓口となる超法規的な中立組織がつくられる可能性は具体性をおびてきている。

 もうひとつ、このコーナーによせられたメイルの中に学生の権利を守るための組合的組織の結成を提案するものがあった。個人的にはそのよびかけ、まとめを行うには時間的に余裕がないのだが、これはゆくゆくは必要なものだろうと思う。その組織はネットワークを通じて大学の壁をこえてつながり、メディアや弁護士会等への接点ともなるものであり、かつ、先達の経験を網羅したデータベースから、今まさに悩んでいる学生にも道標をもたらしうるものであれば、と考える。現実に組織をつくりあげていくにはそれなりの才覚と時間とエネルギーが必要なので、適切な人材の登場を待つ必要があるわけだが。

 もうひとつ。ケアの対象として認識しなくてはならないものがある。それは、研究者ヒエラルキーの最下層の位置でボスの傍若無人なそぶりにふりまわされている教員自身である。学生対教員の二極対立は、単純なものではなく、その沿革に教員という立場のかかえもつ非人道的な職場環境の問題をひきずっている。組織・教員・学生という三点をおさえてはじめて内部の事情はみえてくる。その外側にさらに社会という大前提をふまえてはじめてその問題のひどさの程度がはっきりしてくる。とりあえず、大学の問題を大学の中で処理するというのはすでに限界なのだ。そこには腐敗した同族意識にまみれたいわゆるニッポンテキセケンしかない。大学は、今、文字どおり切り開かれなくてはならないのである。


1998/4/ トップページ

 このページを作成してから、初めての春を迎えようとしている。日本の季が三月を境にすすむという事実を、今年ほど痛感させられたことはなかった。学校という場に籍を置く以上、いままでも期末のあわただしさやいそがしさにたちあってきたわけだが、そこに自分個人としての真摯な感慨がなかったのは、自分自身が学の環境において一種のストックと化していたためであり、フローたる学生の境遇から一部距離を置いてしまっていたかららしい。今年は、年明けから複数の相談が舞い込んだ。そのすべてが三月末に卒業を控え、しかも、教官とのトラブルに疲弊した学生からのものであった。ある者は就職も決まっているのに卒業させないぞという脅しにあい、ある者は雑誌掲載された業績も十分にあるにもかかわらず落とされ、ある者は教官らの執拗なセクハラやストーキング行為に疲れはて、ある者は教員に見切りをつけて自力で他学にはいりなおした。これらは私がなんらかのかたちで直接やりとりできた例だが、この他にもメイルではさらに複数の相談や報告があいついだ。学生にとって、人生のふしめたる三月、これは、教員がその学生に行使できる最後の生殺与奪の機会でもある。学生は、卒業すれば学校にはかえってこない。教員は、多少のことをやってのけても、数十年の安穏とした在任期間のうちには時がすべてをうすめさってくれる。故に、この時期には旅の恥はかきすて的な行いが目にあまるようになり、また、卒業や就職がかかった学生は、これまで以上の理不尽に黙って耐えてしまうのだ。

 大学についての書籍を集め、端から読んでいる。第一に驚くのは、書店の教育のコーナーに大学関連の書はほとんどないという事実だ。そこにあるのは小中高のものばかりである。考えてみれば大学の教員がその教育について研修したとか学んだ、という話はないのだから仕方がないのかもしれない。米国の視察団が日本の教育を視察する際に、見ても意味がないからといって大学は訪れなかったという話もこういうところで納得できてしまう。第二に、そこにある本は三種類だけだという事実。学として大学を論じた専門書、実際に大学のあり方を憂えた告発本、告発をさらに粉飾したスキャンダル的な本。最後のひとつはいうまでもないが、他の二種もそれぞれ教員の立場から大学という組織をとらえたものなのだ。これは、大学という組織の固定部分、つまり、三月にふりまわされることのないストックに重点をおいた視座からのものといえる。唯一例外なのは非常勤講師の待遇問題についての提言の書だが、これにしても、社会とのはざかいにいる学生から見た大学の姿とははなれている。つまり、弱者としての学生は大学改革や大学批判の流れの中にほとんどはいっていないのである。

さらに、関連して大学関連の法文にも目をとおし始めている。古いもの、改定前のものなど、多少入手の困難なものは後回しとなっているが、それでも年表をつくりながらしらべていくと、大学院というものの位置付けが日本では実に実態とかけはなれたものとしてつくられ、そして、かけはなれつづけたまま暴走してきた経緯がみえてくる。特に、修士課程の扱いと位置付けにそれは顕著で、現実問題として、現在の日本の大学で修士課程の学生を指導する教員は、自分が修士課程にいたころにはそこはただ研究と研究者育成の場でしかなかった、ということに気がついたときは目眩を禁じ得なかった。なるほど彼らは修士課程の学生が手元から去っていくときには必ず、自分はちゃんと教育してきたのに学生はわかってくれない、とこぼすのだが、なんのことはない、彼ら自身、教育など大学院では受けていないし、したがって、「教育」という言葉こそ使えどその実態し実におそまつな自己満足でしかない、という現実には、歴史的背景がきちんとあったのである。

 春から、縁起の悪い話題となってしまったが、このような状況だからこそ、やらなくてはならないこと、やるべきことがいくつもあるように思える。


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