FROM TK 2006


2006/12/31
あらゆるものを「デジタルデータ」にしています
ビジネスで作成する書類やメールは勿論、プライベートな人間関係や記念日のイベントなどもデジタルで記録するようになりました
最近、ネガフィルムのスキャンを始めました、忘れていた映像が甦り、これを簡単に整理閲覧できる便利さに満足しています
このほか、ライブカメラやVPN(Virtual Private Network)なども利用しています
これらのデータを利用するには、専用のソフトウェアが必要になります
専用のソフトウェアは利用にかかるコストが高くつく傾向があります
購入費のほか、マニュアルを読んで理解したり習熟するための時間が必要で、ユーザIDやパスワードの管理、VersionUpや更新処理など、一つのソフトウェアにかかるコストは相当なものとなり、数が増えると生活を圧迫することになります
このため、一人の人間が扱えるソフトウェアはユーティリティを含め100を超えることはできないのではないか・・・と実感しています
因みに、「展開一番」は、(現時点では)以下のようなソフトウェアを利用して開発し、インターネット上に公開しています
1.Ruby(開発言語)
2.RDE(Rubyの実行環境)
3.秀丸(エディタのほか、マクロ機能により「展開一番」ライブラリを作成)
4.LZH(「展開一番」ライブラリの圧縮)
5.ACCESS、EXCEL(テストデータの作成や実行結果の検証)
6.GoLive、Visio、Illustrator、Photoshop(「展開一番」ホームページの製作)
7.FFFTP(ファイルのアップロード)
8.アイコンや画像の処理に使うユーティリティ
9.ファイルのバックアップに利用するユーティリティ
優に10を超えるソフトウェアを利用していることになります、残りは僅かでこれから生活していけるかどうか不安ですが、あと数時間で新年を迎えることになります
来年(2007年1月30日を除く)は、これ以上生活を圧迫されないよう、新しいソフトウェアが発売されないことを祈りつつ、本年最後のご挨拶といたします

2006/10/03
この夏の終わり、中学時代の友人から同窓会を開きたい旨の電話を貰いました
クラス名簿を基に本人の住所を調査していること、私の場合はインターネットで目星を付けたこと、彼の職場と私の事務所とが極めて近いことなどを話し合い、後日再会することになりました
先日、事務所近くの料理屋で43年ぶりの再会を果たしました
彼は変わっていなかった、昔の面影どおりで、話し方や時々見せる仕草なんかも、そんなだったよな・・・ということで、楽しいひとときを過ごしました
そのとき、隣席にいた若いサラリーマンを見て「顔が小さいな、我々とは別人種だな」と、世代の断絶を感じました
生物進化論の時間で計れば一世代30年は一瞬であるに違いありませんが、この一瞬のうちに顔が20%ほど小さくなったのは「突然変異」と呼ぶに値する現象ではないかと.....
「目の誕生」という本に、「今から5億4千3百万年前のカンブリア紀に生物に「目」ができ、食うモノと食われるモノの競争が生じ、捕食者から逃れるために、生物は大きさ・形態・体色等々を変異させ、これにより生物の多様性が生じ、(種として)生き延びることが第一命題になった」と書いてあったように記憶しています
「小顔がより有利に生きていける」あるいは「小顔のほうが生存コストが安い」状況にあるのかどうかは分かりませんが、私は変わらないものが好きです
経済活動を記録集計する原理は500年以上前から変わっていません、会計基準を頻繁に変更している現在においても複式簿記の原理はそのまま利用できます、そして、「展開一番」もこの原理に基づいて設計されています
現在、「展開一番」は、データベース処理に適した一科目仕訳に対応できように仕様を拡張中です・・・ということは、やはり変化は必要なんですね

2006/05/28
「時間」ほど不思議なものはないと思います
人は、万物の霊長などと威張っていますが、「時間」を生産するどころか保存もできない有様で、大方は百年も経たないうちに死んでしまいます
人生の有効時間を60年とし1秒を1bitで測ってみると、人生は概ね230MByte、DVDの容量の20分の1ということになります
モノを買うとその習熟や利用に時間が取られます、また、モノがモノを要求するので、ますます時間が減っていきます
ヒトとの付き合いでも時間が取られます、また、ヒトがヒトを連れてくるので、ますます時間が減っていきます
ここにカネが絡んでくると事態は益々悲劇的になります
カネが入ってくるとモノを買いたくなります、ヒトとの付き合いも増えてきます
カネが増えれば時間は幾何級数的に減少し、カネで「時間」が買えない道理からすれば、金持ちは必然的に時間貧乏になる...と、ここまで考え
我が身を振り返れば、時間貧乏の状態が続き「展開一番」に手を入れられなかったのに、カネは入っていないので、この逆は真ならずということに気が付きました
なぜこのような事態に陥ったかというと、手持ち時間の絶対量が減ってきているからだと思い至り、これからはさらに時間を大切にしなければならないと考えています(液晶テレビなど買っている場合ではない...と反省しています)・・・それにしてもこの3か月間は忙しかった!と、近況報告まで

2006/02/22
今年は久しぶりに、「なにもない」お正月を過ごすことができました
さすがに後半は手持ち無沙汰になり、自宅のマシンに「PacketiX VPN(旧 SoftEther VPN)」をインストールし、荻窪の喫茶店から無線で接続して遊んでいました
小学生の頃から父に連れられ通っていたからか、喫茶店に一人でいることが好きです
喧噪の中で「なにも考えない」で過ごすことが私にとっては贅沢であり、大袈裟に言えば至福の時であるわけで、つくづく安上がりにできているなあと思ったりもします
ところが、「なにも考えない」ということは意外と難しいもので長続きしません、そこで、「なにも考えない」ことが嫌になったら本を読みます、年末から年始にかけては夏目漱石を読み返していました
「我が輩は猫である」に、人の個性が強くなると、人間関係が窮屈になって、自殺者が増え、婚姻制度が崩壊し、芸術が廃れるなどとした(西洋)文明批判が載っています、個性(「自分」)が邪魔をしてコミュニケーションが成立しない社会の到来を、漱石は百年前に見抜いていたわけで、その慧眼恐るべしと感じ入った次第です
「なにもない」世界で「なにも考えない」で暮らしたいなあと言ったら......カミさんが「十年早いわよ」と......
ピサゴラスという人が「天下に三の恐るべきものあり曰く火、曰く水、曰く女」と謂っていると、これも「我が輩は猫である」の受け売りですが、いろいろ教えられることが多く、我が浅学にして非才なることを恥じるばかりですが、今年もどうぞ宜しくお願いいたしま