COWBOY BEBOP
その9 とにかく渋いアニメ!
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 Session 25 「ザ・リアル・フォークブルース(前編)」

 組織「レッドドラゴン」内で反乱を起こすビシャス。そしてスパイクとジュリアに追手がっかかった。スパイクは元の部下・シンと接触し、ビシャスの行動とジュリアの行方を知らされる。一方放浪していたフェイは偶然にもジュリアに出会っていた・・・。
脚本 信本 敬子
作監 小森 高博
メカ作監 後藤 雅巳
絵コンテ 渡辺 信一郎
演出 佐藤 育郎

感 想
なるほど、作画はこれまでで最高レベルで安定してましたよ。
キャラの動きも、これでもかとばかりにスムーズですしね。作画スタッフはもう総力あげて働いていたんじゃないでしょうか。背景なんかも思いっ切り細かく描き込まれていますしね。
動的な演出もなかなかで、酒場での襲撃シーンには思わず唸ってしまいました。が。
「カウボーイ・ビバップ」という、もはや押しも押されぬ日本を代表するテレビアニメとなってしまった作品である、ということに目をつぶって、ただ単にストーリーだけを追いかけてみると、これはまるで“三流のヤクザ映画”ではないか!

雨の中、ついに登場する謎の女ジュリア。
クーデターを起こしたビシャス。それは失敗に終わり、彼は長老たちに拘束される。捨て台詞は「忘れるな、蛇の毒は、あとからゆっくりと効く」
酒場で、エドとフェイのことを愚痴るジェット。乗り気せず、ただ黙ってそれを聞いているだけのスパイク。
「あいつらは手のかかる赤ん坊みたいなもんだった。お前が、女と子供が嫌いな訳がよーくわかったよ」
なに? このセリフ。粋なつもりなのかな? なんかもう、思いっ切りオトコのわがままな愚痴にしか聞こえないんですけどね。まさか、ジェットの口からこういう話が出てくるとは思わなかったです。聞くに耐えない、ってほんとにこのことですね。なんかオトコの醜い面をさらけ出し、って感じです。たしかに、そういうオトコっていますけど、ジェットのイメージからすると「違う」んですよね。
ビシャスにかかわる者をすべて消すため、酒場で狙われたスパイク。
とばっちりで撃たれてしまったバーテンダーが落としたシェイカーを拾い、中身を飲むスパイク。
「ベルモットの入れすぎだぜ」
知ったふうな口を。バーテンダーは何を作っていたんですかね。もし、ドライ・マティーニだなんて言ったら大笑いだぞ。あれはシェイクしないんだよ。シェイカーを使うカクテルって、なんとなくお洒落っぽくてハードボイルドには似合わないような気がするんですけどね。個人的には。もし、わたしがセリフを入れるとしたら。「今度作るときは、ジンはブードルスにしてくれよ」とか。
鎖で繋がれたビシャス。へブンズ・ドアの向こうのアダムかと思いました。(^^;;
火星(?)の空港にたたずむフェイ。その後ろではパンチ(!)とその母親の会話。うーん、なんなんだ、これは。何が言いたかったんだ? ほんとに「なんだかねー」。
そのフェイに連絡をつけるスパイク。
「ふらふらしてないで、早く帰ってこいっつってんだよ」
何言ってんだ? こいつ。
さんざん邪魔者扱いしといて。跳ねっ返りの女は嫌いだとかぬかしておいて。結局はこういう場面で頼ってしまう訳? たしかにジェットを思う気持ちはわかるけどさ。だったら、いっそのこと(フェイに)頭をさげてお願いしろよな。そのほうが男らしいぜ。なにをガキみたいに突っ張ってんだろね、このオトコ。
いきなりのカーチェイス。追われるのはジュリア。何故か『当然のごとく』ジュリアに加勢するフェイ。いくらかご都合主義の匂いが・・・(^^;; レッド・ドラゴン内にジュリアへの内通者がいるみたいですから、ある程度の情報は知っていたんでしょうかね。とりあえず、そういうことにしておこう。なんだかなー、だけど。(^^;;
ビバップのブリッジで、キリマンジェロの話をするジェット。わたしもそんな話は聞きたくないです。(笑)
「男は過去ばかり思い出す。死に際で、必死に自分が生きていた証拠を探すようにな」
別に男に限らないと思いますけど。(^^;; まあ、言いたいことはわかるけど。
で、過去にすがりつく男。
ほんとにめめしいですね。今回のスパイク。いや、今回に限らず、ジュリアがらみになるとこいつはとたんにめめしくイヤな男になるな。普段が超然としているというか「なるようになるさ」といった姿勢で生きているから、なおさら根性無しに見える。Session #19で墜落するかもしれないスペースシャトルの中でタバコに火をつけた男と同じ人物とは、とうてい思えません。
それほどスパイクにとって、ジュリアという女が価値があるのか? でも、それがぜんぜん描かれてないから、見ているものにとっては、ただ普段はいきがっているだけで、実はまだまだガキのチンピラにしか映りませんぜ。
ジュリアのことを話すスパイクは、ほんとにガキじゃない。(だから母性本能をくすぐるのかな?) いや、ガキはガキでもいいと思うけど、というか、男なんてどこか子供の部分をいつまでも持っているんだけど、それを自分で認めて、そういう自分とうまくつき合ってこそ魅力が出るんじゃないかな? 普段のスパイクって(ジェットもだけど)、どちらかというとそういった面がよく表現されているんですけど(ドゥーハンなんかもそうですね)、今回のスパイクは、自分のガキな部分を否定している、というか、それを他人には見せないように、不細工に突っ張っているように思えます。特にフェイに対して。
いつものボブからの垂れ込みで、レッドドラゴンの情報がジェットに入る。スパイクが狙われているのは(ジュリアも)、反乱を起こしたビシャスの関係者を根こそぎ断つため。例えそれが、ビシャスと憎悪しあう関係であっても。
「異分子は種のひとつまで潰す」
まあ、ここまでするかどうか知らないですけど、チャイニーズ・マフィアはたしかにその人物の背後関係など、洗いざらい調べて、がんじがらめにしてしまいます。ある人から聞いた話なんですが(信憑性は・・・みなさんのご判断で)、その人は台湾系のマフィアのヤバイ仕事をしていたらしいんですが(^^;;、さりげなく「家族の写真を見せてくれ」と、ほんとに「家族ぐるみの付き合いをしよう」といった感じでなごやかに、らしいんですが、実はもしもの場合(裏切ったりしたら)、家族の命はない、という意味らしいです。
うむ、あれ? じゃあ、シンはなんで大丈夫だったんだ? 兄貴はもとスパイクの舎弟でビシャスの片腕だったのに・・・
ジュリアからの伝言をスパイクに伝えるフェイ。なんかこれも「らしくない」ですね。いや、この(スパイクへの伝言の)言い方が、なんか「ジュリアって誰? あんたとどんな関係があるの? あたしのことはどうなの?」って感じで。フェイってもっと、ある意味「男らしい」面があると思っていましたけど。これじゃ女子中学生だよ。(^^;;
それに今回、作監が小森さん、原画も逢坂さんがかなり担当しているのか、フェイの顔がちょっとわたしのイメージとはずれた表情になっています。
フェイって、ほんとは内面てきにはとっても「かわいい」女だと思うんですよ。どう言ったらいいのかな、つまり考え方とか仕草とか、そういうところにどこかかわいげがあるって言うか・・・でも、生きていくために「したたかな」仮面をつけている、というか、そんな女を川元さんはちゃんと描いていると思うんですよね。でも、逢坂さんや小森さんなんかは、ちょっと違う。無理して大人の女のフリをしているうちに、自分の内面のかわいさや子供らしさを無くしてしまった女、という感じなんですよね。
どんでん返しでビシャスのクーデターは成功。あの鳥はサイボーグだったのか?(^^;;
そして、“約束”の墓の前で再会を果たすジュリアとスパイク。スパイクに銃をつきつけるジュリア。って、おい。ここで切るかぁー。(^^;;
とにかく、ストーリーはほんとに三流ヤクザ映画だし、とにかく「ビバップの登場人物って、ほんとはこんなにイヤなヤツらだったんだよ」という内容。
おい、いったい何考えて脚本書いてるんだ?

しかーし。

これは“ワザと”なのかな? ゲーテの格言通りに。
いくつかの解かなければならない謎を解き、テレビシリーズとしての「決着」をつけるためには、冗長的になってしまっても、こういう不細工なストーリーがまず必要だった、のかもしれない。
でなければ、ただの「説明」で最終回が終わってしまう可能性もあったし。
ほんとうの「大どんでん返し」がもしかしたら控えているのかも。
つまりは、“ごたくはネクスト・ワン、Session #26を見てから言え”なのか・・・
たしかに、今回が「コレ」ならば、最終回はむしろ「ビバップ的」なものを求めることが可能にも思える。

そうでなければ、暴動かもね。(笑)

そして追記・・・
つまりですね。今回、あまりにも各キャラクターの「イヤな一面」があからさまに、意図的に強調されていたんじゃないでしょうか?
めめしいスパイク。
いじいじと愚痴るジェット。
あからさまにスパイクを意識し、普通の女の子になってしまったフェイ。
そしてパンチまでもが、情けないまでに「やさしい息子」に・・・
それまで、われわれの前に提示されてきた各キャラクターの性格、われわれが「テレビ画面」という窓口から受け取って形づくっていたキャラクター像を、見事に打ち砕いてくれています。実は彼らはこんなヤツらだったんだよ、とでも言いたげに。
そして、陳腐なストーリー。粋を気取りながらも、とんちんかんなセリフ。
それとは裏腹に、ここまで凝るかと思われるほどの「動的」な演出。酒場での襲撃シーン、ソードフィッシュのドッグファイト・・・
これらすべてを含めて、ファイナルへの伏線、あっと言わせるための大いなる茶番、なのかもしれない。んだよなぁ、おい。(^^;;
しかし考えてもみてください。Session #19で「なるようになるさ」と言っていた人物と今回のスパイクは、ほんとに同一人物なのでしょうか?
文句は言っても愚痴は言わず、常に現実を受け入れてきたジェットが、こんな醜態をさらすのでしょうか?
「オンナは生きているだけでえらい」と言い切ったフェイが、どうして恋する中学生に戻ってしまうのでしょう?
人には変遷がもちろんありますけど、その過程を見せずにいきなりコレじゃあね。
過程がない、と言えばフェイがいきなり帰ってきたこと。前回(ハード・ラック・ウーマン)にてあれほどの決心をした彼女がですよ。(そう、この時、スパイクに対する思いとも決別していたはずだ) これもなんらかの変遷があったのかもしれませんけど、それも描かれてない。いったい、どーゆー意図があるんだ?>のぶもと!
はっきり言って、あたしゃあんたの脚本は信じてないから。たしかに、普通の脚本家としては優秀かもしれないけど、ビバップではシリーズ構成だけにとどまるべきだったんじゃないですか?

ああ、ほんと、次回、ダメだったらどーしてくれよう・・・


 Session 26 「ザ・リアル・フォークブルース(後編)」

 ついにジュリアと出会うスパイク。だがそれもつかの間・・・。「レッドドラゴン」を我が物にしたビシャス。全ての決着をつけようとするスパイク。止めようとするフェイ。そしてジェット。やがて、戦いが始まった・・・。
脚本 信本 敬子
作監 川元 利浩
メカ作監 後藤 雅巳
絵コンテ 渡辺 信一郎
演出 武井 良幸

感 想
ま、なにはともあれ、終わってしまいましたねぇ。(^^;;
いろいろと、賛否両論・・・・あっただろうなぁ。
「みやび なら、あの結末に怒りまくっているに違いない」とお考えのみなさん、いえいえ、少々の不満と、期待というか願望とは違った締めくくりに違和感はあるものの、けしてけなされるようなモノではなかったと思います。
その存在をはじめて“テレビ”というメディアに公表してから1年。さまざまな経緯を経て、とにもかくにもこうやって全26話、われわれに『夢』を見させてくださったスタッフならびに関係者に、わたしは心から拍手をお送りしたいと思います。
さて、感想。
放映開始時間とともに始まったのは、CM、CM、またまたCM。(^^;;
そして「COWBOY BEBOP」というもの語らぬタイトルだけが提示され、前回ラストシーンの墓場にて、スパイクに銃をつきつけるジュリア。「Tank!」のノリのいいリズムとともに、非日常の世界へとトリップしていたそれまでと違い、唐突にストーリーは始まっていた。
「このままどこかへ逃げよう」と金髪の女。
でもでも、でもね。ジュリアって、いったいどういう女なのかぜんぜんわかんないですから、どうしても感情移入できないんですよね。(^^;; 謎の女なら謎の女のまま、謎で終わらせたほうが良かったんではないでしょうか? へたにこーゆー風にしゃべらせてしまっちゃうと、謎の部分がかえってうっとおしい。
クーデターにより、ビシャスが実権を握ったレッド・ドラゴン本部へ戻ってきたシン。スパイクとビシャスのことを尋ねるビシャスに、思わず顔がひきつる・・・「リンのようにはなるな」というビシャスの言葉が重い。(^^;; たぶん、ぜんぶ知っているんだろな。でもって、やっぱリンのようになっちゃうシン。ああ、兄弟そろってもったいないキャラですねぇ。スパイクとビシャスの過去を知るキャラだけに、もっといろいろと語って欲しかったんですけどね。
アニーの店を訪れたスパイクとジュリア。しかし、すでに組織の手の者によってアニーは瀕死の状態に。スパイクはそこでビシャスがレッド・ドラゴンを支配したことを知る。そして息を引き取るアニー。
「みんな糸の切れた凧みたいに、行き場を無くしちまってるよ」
ほんと、まったくその通り。この時点では、まだ「誰が何のために、何をしようとしているのか」がよく解りません。(^^;; ビシャスとスパイクの因縁も(ジュリアがらみなんだろうけど)、因縁があった、としかわからないですよね。方法論として、「因縁を持つ男たちの対決。因縁にからんだ女の葛藤」がテーマであり、『何故』というのはさして重要でなかったから省いた、のかもしれませんけど。しかし、それはあまりにも冒険すぎるんじゃないかな? 一歩間違えば(というか、すでにかなり間違っているような気もするんですが)、すごくキザで厭味な作品になってしまいますよ。
ちなみに、ビバップのことが「どうしても好きになれない(はっきり言えば嫌い)」という人もかなりいるみたいなんですが、そんな方法論の演出(脚本)が、キザで厭味に感じているのかもしれませんね。
「どこかへ逃げるために、そんな武器はいらないわ」
「行くの?」
「一緒に行くわ。最後まで一緒に」
アニーの店で武器を調達してきたスパイクに話しかけるジュリア。うーん、だからスパイクがあれほどまでに思い詰めるような女には、これではどうしても見えないから(しつこいけど、制作者はそういった表現は不必要と判断したんでしょうけど)、イマイチ、どういう意図があってこういう事を言っているのか、その思いが伝わってこないんですよね。わかっているのは、スパイクを殺すためにビシャスに命令され、だが殺すことができずに自分も逃走していた、ということ。スパイクやビシャスとのかかわり、特にスパイクとの関係などがはしょられてしまっているため、このストレンジャー(異端者)に対して、どうしてもしっくりと(ビバップというストーリーの中へ)受け入れることができません。これは演出(脚本? シリーズ構成?)のミスではないでしょうか? (このままで良かった、という意見もあるでしょうけど)
変わって、ビバップ号に残ったジェットとフェイ。やぱし二十数話、さまざまな姿をわたしたちの前にさらしてきたキャラは、こちらも感情移入しやすいです。
スパイクのことについて、ひとしきり怒りをぶちまけフェイの胸ぐらまで掴んで(スパイクを)罵るジェット。だが、ふいと後ろを向いて「どんな女だった、ジュリアって女」そしてオンナも後ろを向いたまま「普通の女よ。綺麗で危なくてほっとけない・・・普通の女」
「そうか・・・」
「悪魔みたいな天使か・・・・天使みたいな悪魔か」
こういったやり取り、すっごく良いですね。ほんとにビバップらしい。いや、われわれ(少なくともわたし)の中で築きあげられてきたキャラクターたちの、彼ららしさが出ているシーン。視聴者の期待を裏切る演出、キャラクターにそれまでとは違った突拍子もない言動をさせる、というのも方法論かもしれませんが、あまりにもかけ離れた行動は、見ている者を白けさせるだけ。期待を裏切るなら、良い方向に裏切ってください。
フェイはいろんな意味でこちらの期待(というか想像)を良い方向に裏切るから、キャラクターとしては秀でていますね。シリーズを通して、なんだかんだ言って一番輝いていましたよ。(断っておきますが、別に好みのタイプじゃありません)
今度はアニーの店での銃撃戦。相変わらず絵的には良いですね。多分にジョン=ウー監督の映画の影響を受けています。これは後のシーンでもありますけど。だからあれですね。ストーリーとか関係なく、こういった銃撃戦とか、憎しみあうふたりの男とか、謎だらけの(主人公にとっては大切な人物である)女とか、そいういった『雰囲気』を、雰囲気だけを描きたい作品だったのかも。
うーん、どうかなぁ・・これを認めるかどうかは、難しい。(もちろん、こういった作品こそを待ち望んでいた人も多いでしょうけど。でなければ、ジョン=ウー監督の作品なんて世に出ていないかも(笑))
スパイクを追いかけてふらふらと立ち上がるジュリア。もう、「撃ってください」と言わんがばかり。(^^;; で、やっぱ撃たれてやんの。
わたしの知人にはですね、「ジュリアにはしゃべらせないで、すぐに殺しちゃったほうが良かった」という人がいるんですよ。これはつまるところ、謎の女は謎のままで、現実感を持たせてはいけなかった、ということなんですよね。ジュリアという女は、スパイクの思い出の中だけで生かせておけばよかったのであって、例えば墓場で再会して、さあ今から話を、という段において(ビシャスの手の者によって)撃たれて話せずじまい、とか。ヘタにフェイとからませたり、スパイクと話をさせたりすることによって、謎の女がぜんぜん謎っぽくなく、だが以前とこの女は何者かわからず、中途半端に現実の女となってしまっていますので、それならむしろさっさと殺してしまえば良かった、ということなんでしょう。
これにはわたしも、なるほどな、と思いました。
スパイクの居所を探すために、ラフィング=ブルを尋ねるジェット。これは必要だったのかなぁ。(^^;; テントの中にプレステを見つけたときは笑ったけど。
ビバップ号に帰ってきたスパイク。驚くジェット。
「あいかわらず、あんたの作るメシはまずいな」
今度はどうやら肉の入っているらしいチンジャオロースを食べながらスパイク。
別にジェットの作る料理がほんとにまずい、って意味じゃないと思いますよ。男同志の会話って、特に世間に対してちょっとばかし斜めに生きている男たちって、ストレートに話をせずにヤヤコシイ表現を用いたりするもんです。まあ、そのヤヤコシさ、ってのがともすればカッコヨク見えたり、はたまた道化となったりするんですけども。見る人間の人生経験や、社会に対する視線の違いなんかで、こういう表現はいろいろなとらえかたがなされているんでしょうね。
(ちなみに、わたしも「わたし」という個人の目で見た感想をここに書いています。わたしはわたしでしかなく、あなたとは違う訳ですから、この感想は偏見です)
猫の話をするスパイク。これもまわりくどいわりには、ほとんど意味のない話だ。(^^;;
もっとも、このあたりからスパイクは“イイ顔”になりますね。ジュリアが死んだことでふっきれて「なるようになるさ」というスパイクに戻りました。
「死んだ女のためにできることなんてないさ」
この言葉に、まだジュリアのことを引きずっているのか。いえ、わたしはすでに吹っ切れていると思います。というか、ビバップ号に戻ってきた、ということがそもそも“ジュリアのため”ではなく、“ビバップ号の一員であるスパイク自身のため”ということを意味していたのだと思います。
(またしても)死ぬかもしれない闘いに赴く男に対して、今度は銃口を突きつける女。「どこ行くの? なんで行くの?」
銃口を突きつけて、っていう演出、すごくいいですよね。フェイというと、銃と口紅、というイメージなんですが(偏見だ(^^;;)、その彼女がこれをやると絵になります。
「いつか、あんた言ったわよね。過去なんてどうでもいい、って。あんたのほうが過去にしばられてる」
そうなんだよねー。わたしもずっと思っていたんだよねー。(^^;; よくぞ言ってくれました。わたし個人としては、過去の女にうじうじしている男って好きじゃないんですよ。だからSession #10のジェットもあまりおもしろくなかったし。
スパイクの義眼の話。あまりストーリー的には重要でなかったような気がするなー。
「片方の眼で過去を見て、もういっぽうで今を見ていた」
なんか詭弁だなぁ。
「醒めない夢でも見てるつもりだったんだ・・・・いつの間にか、醒めちまってた」
人生なんて、そんなもんさ。(笑) ほっぺたをつねってみて痛ければ、それはもう夢じゃないんだよ。
「あたし・・・記憶、戻ったの。でも、いいことなんて何もなかった。帰る場所なんて、どこにもなかった。ここしか帰る場所がなかった。それなのに、どこ行くの? なんで行くの? わざわざ命を捨てに行くって訳!?」
スパイクに対する想い全開! なフェイの言葉。(^^;; でも、スパイクのことが好きだとか「行くな」とかは言わないんですよね。言ってしまうと、それは(スパイクのことが好きだということを)認めてしまうことになるから。ほんとにいい演出。よくベストカップルとしてスパイクとジュリアではなく、スパイクとフェイをあげる人がいますけど、そうじゃないですよ。相手のことを「好きだ」と言ってしまった瞬間、この恋は終わってしまうんです。右手に構える剣の剣先と剣先、左手に持つ銃の銃口と銃口を突きつけ合っているような恋なんです。その手で相手を抱きしめることなんてできない。
でもって、このフェイのセリフなんですけど、先のわたしの知人に言わせると「フェイはぜったいこういう言葉は吐かない」そうなんですけどね。(^^;; 最後までつっぱり通すってことなんでしょうけど。
でも、わたしから見ればSession #20で、殺し屋東風からのメールをスパイクに読ませまいとしていたフェイとか、徐序にスパイクに対する想いってのが表面化していく“過程”がありましたから、さほど違和感は感じなかったです。
「死にに行く訳じゃない。オレがほんとに生きてるかどうか、確かめに行くんだ」
そして、廊下に響く5発の銃声。
うーん、いいよなぁ。この演出。ま、ここはほんとに雰囲気の世界なんですが、思い入れのあるキャラたちが演じている(しかも、違和感なく)ので、非常にのめり込みます。
無言でブリッジの窓を拭くジェット。廊下でむせび泣くフェイ(これに異論のある人は多いだろう(^^;;)。でも、フェイはついにスパイクの前では涙を流していないんですよね。
ジュリアが死んで、スパイクがビバップ号に戻ってから、とたんにこのSessionは良くなっています。なんでだろ? ビバップらしい、というのとはちょっと違う。つまり、良い方向にわたしの期待を裏切ってくれている。とにかく、このビバップ号内での言葉のやりとり、キャラクターの表情、演出などなど、凄まじいまでに完成度が高いと思います。
さて、残された課題は、ビシャスとの対決。これはこのFinal Sessionにて決着がつくであろうことが予想されていましたから、問題は「どんな演出で」ですね。
結論から言えば、絵的な演出(しかないけど)は凄かったですね。背筋がぞっとするようでした。文字通りの「壮絶」というか、鬼神のごときというか。
レッド・ドラゴン本部ビルになにげなく入って、足もとに転がした手榴弾を蹴飛ばす、なんて演出はなにが元ネタなんでしょう?(^^;; とにかくすごかった。
無線式の小型爆弾を階下に放り投げて、ころあいを見計らって起爆スイッチを押す、なんてのも良いです。(^o^)
エレベーターから出てきたスパイクが両手に銃を持ち、まず右、そして左へとそれぞれの手に持つ銃を構える・・・うーん、趣味だねぇ。エレベーターといえば、そこから出てきたシンと一瞬銃を突きつけ合うシーン。ああジョン=ウーだ。(^^;;
シンくん、いいキャラだったと思うんだけどなぁ・・・もっと説明が欲しかったですね。しかし、兄弟そろって薄命だったことよ。
でまあ、ほんとに最後の最後の決戦。ま、多くは語りません。いや、語れないっすよね。お手元の録画でもご覧になってください。(^^;;
演出としていいのはあれですね。例によって銃と刀の闘いなんですが、はじけとび、床に落ちるそのふたりの武器。ビシャスはスパイクの銃を踏みつけ、そしてスパイクはビシャスの刀を手にする。
「終わりにしようぜ」「望み通りに」
互いに相手の武器を、相手に向けてすべらせる仇敵同士。
結局はこれもこのふたりにとっての「友情」の形だったのかもしれない。互いに憎しみあい、相手を殺すのは自分だけだと信じることが、このふたりにとっての「友情」の表現方法だったのかもしれない。憎悪という感情は、相反する感情である友情を意味していたのかもしれない。
そういった形でしか、互いを友と認めあえないほど、このふたりはヤヤコシイ男たちだったのかもしれない。
ほんでもって、オヤクソク通りにスパイクが勝つんですけどね。(^^;;
でもって、ラスト・・・果たして・・・
またしてもゴスペルっぽい曲がかぶさってきて、Session #5を少しばかり彷彿と。
また彼らと会える日が来ることを、切に願って・・・

YOU'RE GONNA CARRY THAT WEIGHT

視聴者には重荷を背負わせるのね。(^^;;
その重荷の名は、「現実」っていうんでしょうか。(笑)

でもねー。終わらせ方、これで良かったのかなーとは思うんですよね。(^^;;
先の知人は、終わらせ方はこれでいいけど、スパイクが「ばぁーん」と言って指を銃に見立てて突き出すシーンで切れば良かった、ということです。たしかに、ぶっ倒す必要はなかったように思いますよね。
わたしは、というと・・・
オープニングに「Tank!」が流れなかったから、エンディングにこれを持ってきても良かったんじゃないかな、と思うんですよ。
ビバップっていうのは、あくまでも架空の世界。はるか未来のことを想像して作り上げた世界なんですが、その空想の世界の“日常”が非常によく描かれている作品だったと思います。
このSession #25 #26は、そんな空想の世界の“非日常”だったようで、もう一度日常に戻しても良かったんじゃないかな、と。そう、ビバップ号の日常に。
ジェットは相変わらず中華鍋を振り回している。フェイはいつも通りに、調子よくって跳ねっ返りで、都合が悪くなると逃げていて・・・地球ではエドがアインを従えて、荒野をアテがあるのかないのか歩いている。ふと見上げると見慣れた船影が・・・
そこにスパイクの姿はあってもなくてもかまわない。セリフなんかもいらない。スパイクは「例によって」包帯だらけでソファに寝ころがっていてもかまわない。写真だけがビバップ号のリビングに飾られていてもかまわない。なにも映らなくてもかまわない。
そこにあるのは非日常的空想世界におけるビバップ号の“日常”があればいい。BGMとして、ノリのいい「Tank!」が流れていればモンクはない。

でも、終わってしまったものは終わってしまったモノ。
冒頭と重複しますが、感動を与えて(そして、数多くの“考えなければいけないコト”を思いださせ、それを行動に移らせるキッカケとなり、人と語り、時には意見の食い違いにさらに考え込み、悩み苦しみ、たかが登場人物の名前の元ネタを探るためにネットをしらみつぶしに調べさせ、作中にて作られた料理を自分で作るなんていう馬鹿げた行動をさせ、男と男のしょうもない友情を実感させ、男と女の永遠にわからないモンダイを提起し、ヒトは働いてお金を稼いで食い物を買ってそれを料理して食べて生きているんだ、ということを「もういい」というくらいに突きつけて)くださった制作スタッフ、及び、制作に関わったすべての人たちに、そして、中途半端な形とはいえ、世にはじめて「カウボーイ・ビバップ」という作品を、動的メディアを通じて知らしめてくれたテレビ東京に、また、全26話をノン・スクランブルで放映してくださったWOWOWに、手の皮が擦り切れるほどの拍手と、それを表現する言葉が見つからないほどの感謝を送ります。