「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 0:07 98/06/16

第3回配信
「豊かになるって何だろう」


  第2回配信の終わりに、いま旧東欧地域で「二流国」と「三流国」の差別化(あるいは「再編成」)が起こっていることを書きました。少し筆が足りなかったかも知れませんが、旧ユーゴの中ではスロヴェニアとクロアチアが他の諸国に対して「西側をめざすレース」で一歩二歩リードしているのが現状、ということを言おうとしたのです。もっとも経済的な意味では、スロヴェニアとクロアチアは紛争勃発・独立以前から旧ユーゴ内での経済先進地域でした。
  旧ユーゴ紛争については、「民族浄化」や「組織的レイプ」などの陰惨な面が強調されながら、宗教的対立や歴史的怨念などで説明されることがあまりにも多いように思います。もちろんこうした側面は無視できないものではあるし、前線の後ろで起こされた蛮行の罪は許されるべきものではありません。しかしこの紛争の直接のきっかけは、やはり経済的要因(スロヴェニアとクロアチアという先進地域が、経済不振にあえぐユーゴからの独立に走ったこと)であることを忘れてはならないと思います。分かりやすい言葉で言えば、豊かさをより強く求めた地域と、豊かさをあまり重要視しなかった地域の対立が始まりだったと言えるでしょう。

  セルビアで経済制裁が続いていた93年頃、在クロアチア・ガルブレイス米国大使(当時。高名な同姓の経済学者の息子だと聞きましたが未確認)がクロアチアテレビで発言し、セルビアのテレビで放送されてベオグラード市民の怒りを買ったことがありました。正確な記憶ではありませんが、およそこんな趣旨のことを言っていました。
  「セルビアは国際社会に反抗しているが、経済制裁を受けて苦しんでいる。豊かになっていくクロアチアを見ればセルビア人も政治・経済改革の必要にやがて気づくだろう。」
  それは私だって一応先進国の人間だし、国民が貧乏しても耐えろと言うようなセルビアの政治は最低だと思います。どう考えたってザグレブの方がベオグラードよりモノがあるし、美しいし、制裁によるガソリン不足で、運転の少なくなったバスが大混雑、という薄汚れた町よりははるかに暮らしやすいと思います。欧米先進国にコビを売っている政治の方が、世界を敵に回す政治より賢いと思います。ガルブレイスの言うことも、だからまあ、分かります。
  でもそんなことを言われてみてもセルビア人も困るわけです。同じように民族主義者の政治家を選び、同じようにボスニアの戦争に裏口から兵隊を送り込んでいるのに、クロアチアの方は先進国に近づき、一方のセルビアは世界の悪役みたいになってしまったわけですから・・・セルビア人にもちょっと同情したのを覚えています。

  今東欧を旅すると、ブダペストでもプラハでもブラティスラヴァでも、あるいは旧ユーゴ圏でも何か「共通の風景」があることに気が付きます。
  住宅地は色彩感のない灰色で壁も剥げ落ちかけたようなものが多いのに、そこには衛星放送の受信アンテナがたくさん立っています。共産主義時代は賑やかであったと思しき地下街はガラスが割れたりして寂しい限りですが、その階段を上がっていくと目の前に携帯電話の大きな広告が現れます。トラバントはさすがに見なくなりましたが、薄汚れた昔のシュコダ(チェコ製。最近のシュコダは立派ですけど)に混じってピカピカのベンツや三菱が走っています。バス・地下鉄の切符の自動販売機は壊れていますが、その周りを見渡すとドイツ系の喫茶店やオーストリア資本のスーパーマーケットがきれいな店を構えています。町の観光スポットの周りではまだ舗装工事をしたりしていますが、両替所や土産物屋はちゃんとあって外国人観光客が困らないようになっています。
  一言で言えば、アンバランスです。そんなアンバランスを抱えたまま、東欧諸国はEUへ、NATOへ、西へ、豊かな方へと走っています。もちろん自動車や団地の壁や店構えがきれいになっている度合いに応じて、あるいは携帯電話や衛星放送用アンテナの普及率に応じて、国の「進み具合」を、例えば

チェコ>スロヴェニア>クロアチア>ハンガリー>スロヴァキア>セルビア


  というように番付にすることは簡単です。でも、こうした国々が求めている「豊かさ」とは何なのか。西側へ向かうとはどういうことなのか。時々私は考えてしまいます。

  5月に訪れたザグレブは、目に飛び込んで来る新緑と相まってとても爽やかな印象でした。町は旧ユーゴ時代から確かに美しかったけれど、整備されてさらに美しくなっていくし、ベオグラードから来ると昔同じ国だったとは思えないくらいです。

  ここでは第2回配信で登場したネボイシャが国籍証を取るのに助力した親戚のセルビア人リュービッシャ(60代、セルビア人男性)に会いました。彼は大人になってすぐに西スラヴォニアを離れザグレブに移ってきました。以来40年近く住んだザグレブを、クロアチアを離れてセルビアに近々引っ越す予定でいます。
  「別にクロアチア人からいじめられたわけではないよ。政治的な意味ではセルビア人が独立以後どんどん住みにくくなっているけどね。」
  そこで私。「だったらザグレブの方が住みやすくないですか。モノはたくさんあるし、町もきれいだし。」
  「それはそうだけど、クロアチアは物価が高くていかん。西側製品は確かにベオグラードより多いよ。でもクロアチア人でもみんなそれを楽しんでるわけじゃない。」
  確かにちょうど私が滞在したときにメーデーの労働者集会がありましたが、演説に登場したトゥジュマン大統領が参加者から激しいブーイングとヤジを浴びるハプニングがありました。御用国営テレビはこの部分をカットして放送しましたが、中立系の新日刊紙「ユータルニイ・リスト」はかなり大きく取り上げていました。独立戦争と領土の回復(それは結果的にセルビア人駆逐だったわけですが)の「政治の時代」が終わり、今クロアチアは経済発展という内側の苦しみに直面しています。一つの「中進国」は出来たものの、それがこれから人々の生活を苦しめずに発展できるか、旧ユーゴ先進地域の「貯金」を食いつぶしてしまうことになるのか。まだ状況は楽観を許しません。

  リュービッシャが引っ越すことに決めたのは、別に民族的な問題や彼のセルビア人としての誇りでも何でもないことを私は知っています。第2回配信でも書いたように大使館が出来るなど少しずつセルビア・クロアチア間のデタントが進んでおり、クロアチアの年金をベオグラードでも受給出来るようになったので、セルビアよりも年金が高くクロアチアよりも物価の安い方を選択したのです。まあチャッカリしたところはあるわけですが、でも彼の言い方にはそれなりの重さが感じられました。
  「私は農民の家の出だからね。ベオグラードの近くで畑でもやりながら余生を楽しむよ。私にはそんなにモノがあったって仕方ないからなあ。日常生活に必要な最低限はセルビア製品で十分じゃないか。衛星放送が入ったって私はドイツ語も英語も分からんし、携帯電話も使う必要がない。」

  ベオグラードに住んでいる私は、仕事柄携帯電話が離せません(まだクロアチアに比べると少数の人の「高価なオモチャ」です)し、愚かとは内心思いながらも時々携帯電話を使っていると他の人々よりカッコ良くなったような気になることは認めなければなりません。豊かになることにあまり貪欲ではないセルビアの政治のカタは持ちたくありませんし、もう少し便利になってほしいとは思います。でも一方で、このリュービッシャの言葉を聞くと、一つの国が豊かになるということがどういうことなのか、というテーマに思いを馳せざるを得なくなってしまいます。便利ではあるけれど、それが本当の暮らしの豊かさにはどうも結びついていると思えない私の生まれた国の現状も考えながら。(98年6月中旬)


*人名には仮名を使用しています。


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