雪の峠 岩明 均

この作品は歴史モノ(しかも、大名家)なんですが、珍しく佐竹氏をしかも、冒頭が関が原の合戦前なんですが本編は関が原合戦後の出羽国に減封・移封された後の佐竹家内部のゴタゴタを書いた作品です。
主人公は、当主・佐竹義宣の近習頭・渋江内膳正光。
転封後、取り敢えず土崎湊に腰をすえた佐竹家、新しい領地での領都を決めることに・・・
しかし、当主義宣&渋井内膳の意見である”窪田”と重臣・老臣の提案する”金沢”とで意見が分かれる。
関が原の合戦で西軍に付いた義宣に対する不信感、そしてその義宣が近習達ばかりに相談する事に対する事に対しての重臣たちの抵抗である。
それを見抜いた、前当主・義重が”横手”を提案。位置としては、ほぼ”金沢”と同じ仙北という米所。
その後、重臣たちは”金沢”案から義重の言い出した”横手”案に変更し、意見の一本化を図る。
考え方としては”土崎湊”とそこから1.5里の場所にある”窪田”この町と城を街道で結び経済的な領都と考える、義宣と内膳(近習たち)と、軍略的に仙北地域という米所を押さえ強固な城を造ろうする重臣達の考えの違いが、結局多数決という方法で第一候補地に”横手”と決まる。。。
しかし、諦め切れない渋井内膳は第二候補地として”窪田”との意見を入れるよう要望。
将軍・家康への要望書として第一候補”横手”、第二候補”窪田”の意見が佐竹家より提出される。
此処には、渋井内膳一世一代の策略が隠されていた。
その結果、家康よりの返答で、第二候補の”窪田”が領都と決まる。
領都・・・つまりは大名の居城である。此処が佐竹領の中心になるのである。
家康の意見には重臣達も何も反論できず、”窪田”に築く城の縄張りが造られる。
そこでも、今までの切り合いの戦を考える重臣達と、これからの打ち合いと成るであろう戦い方を考える渋井内膳とで意見が分かれるが、客将・梶原美濃守政景のこれからの戦がどうなるかという意見によって、渋井内膳の作成した縄張りが義宣によって決定される。
そして、重臣による渋井内膳暗殺の密談が行われるが、義宣に早々と漏れてしまい、家老・川井伊勢守忠遠を初めとする4名の重臣が上意打ちに会い殺され、義宣中心の体制が固まり、渋井内膳は家老となり佐竹藩を発展させていくのであった。。。
その後、”窪田”に城が築かれ、”窪田”から”久保田”へ地名が変更される。
そして、佐竹義宣や渋井内膳達が考えていた様に、段々と”土崎湊”・”久保田”が合体していき、明治維新後に秋田市と成っていくのでした。

中々、渋い舞台を選んで居ながら、そこに出てくる各重臣達の考え、気持ちも渋井内膳たちの考えも理解出来て、とても読み易く面白く仕上がっている作品です。
歴史好きの方には特にお勧めの作品です(^^)