NOW | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | . | 8 | km |
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1998/01/24撮影 |
94/08/xx〜97/08/12:80800.0km+14461.2km=95261.2km |
97/08/13 Wed:95261.2km+8.0km=95269.2km |
97/08/19 Tue:95269.2km+71.3km=95340.5km |
97/08/23 Sat:95340.5km+1.5km=95342.0km |
97/08/24 Sun:95342.0km+217.0km=95559.0km |
97/08/29 Fri:95559.0km+3.2km=95562.2km |
97/08/30 Sat:95562.2km+3.5km=95565.7km |
97/09/06 Sat:95565.7km+23.3km=95589.0km |
97/09/07 Sun:95589.0km+38.4km=95627.4km |
97/09/10 Wed:95627.4km+31.1km=95658.5km |
97/09/12 Fri:95658.5km+4.2km=95662.7km |
97/09/13 Sat:95658.5km+134.7km=95793.2km |
97/09/14 Sun:95793.2km+0.0km=95793.2km |
97/09/20 Sat:95793.2km+0.0km=95793.2km |
97/09/27 Sat:95793.2km+3.5km=95796.7km |
97/10/09 Thu:95796.7km+36.0km=95832.7km |
97/10/10 Fri:95832.7km+11.0km=95843.7km |
97/10/18 Sat:95843.7km+121.8km=95965.5km |
97/10/19 Sun:95965.5km+76.8km=96042.3km |
97/10/26 Sun:96042.3km+4.8km=96047.1km |
97/11/01 Sat:96047.1km+115.7km=96162.8km |
後 日● 談 |
時田氏のページは98年4月ごろ移動になっています。それから、ここで時田氏、真辺氏とともに送って行った「H」氏とは、真辺氏のページにときどき出てくるKIMITU氏なのだった。KIMITU氏もパソコン持ってるのだから、ゲームばかりやってないで通信すればいいのに。(記:98/05/16)
まべ氏のページは99年7月に移動になりました。KIMITU氏はまだ通信を始めていません。このままじゃ21世紀が先に来ちゃうよ〜。(記:99/07/17) |
97/11/02 Sun:96162.8km+99.1km=96261.9km |
97/11/03 Mon:96261.9km+6.7km=96268.6km |
97/11/08 Sat:96268.6km+79.3km=96347.9km |
97/11/09 Sun:96347.9km+18.3km=96366.2km |
97/11/15 Sat:96366.2km+9.7km=96375.9km |
「ソードワールド」と呼ばれる世界、オラン国にクレモナという街がある。ここの宿屋で、3人の冒険者が遅い朝食をとっていた。戦士ランディは25歳の正義感あふれる若者、ハーフエルフ族のユーズルは盗賊や吟遊詩人などさまざまな能力を持つ23歳、そしてエルフの「あるさす」は108歳の精霊使いである。そこへ一人の少年が飛び込んできた。リックと名乗るその少年は、クレモナから少し離れたレナン村から来たという。レナン村の司祭でもあるリックの姉が森から戻らず、村長もとりあってくれない。少年が懐から出した金額は冒険者を雇うにはあまりに少なかったが、好奇心が強く美人に弱い3人はリックとともにレナン村に向かうことにした。てなところである。話すと短いが、不慣れもあって結局このセッションは6時間以上かかってしまった。それでも、マスターとプレイヤーたちの連携で新しい世界を作り出し、その中で「役割を演ずる(ロールプレイング)」楽しみは十分に得ることができたのだった。それから、人を家に呼ぶことになると片づいていいですね。
村に着いた3人は村長を訪ねてみたものの、村長の話は今ひとつ要領を得なかった。森の奥からかつて魔物が出たことがあり、そのときは冒険者を雇って村から追い払った、森へは山菜を採りに入ることもあるが決して奥までは行かぬよう言ってある、リックには気の毒だが、リックの姉を探すために山狩りをしてまた行方不明者が出るようなことは村長としては避けねばならない…。はっきりしない部分もあったが、それなりに有効な情報も得られた。どうしてもついていきたいと言うリックを連れ、3人は森へ足を踏み入れた。
4人が森の奥で見つけたのは、ダークエルフが守る砦だった。激戦の末、数人のダークエルフたちを撃退する。砦の地下室に幽閉されていたリックの姉を救い出した一行は、無事レナン村に戻った。
リックの姉は、村長に薬草を採ってくるよう頼まれたという。再び村長を訪ねた冒険者たちは、村長から事の真相を聞くことができた。
ある日一人のダークエルフが村長のもとに現れた。村の司祭が必要だという。村長は、ダークエルフから村を守るためにやむをえず、リックの姉を森の奥にやったのだった。少々後味の悪い結末だったが、リックの姉は無事戻った。彼女は村長を許すという。リックもまた、冒険者たちとの数日間で得るものがあったようだ。3人は次の冒険を求め、クレモナの街へと戻っていった。
97/11/16 Sun:96375.9km+5.1km=96381.0km |
97/11/17 Mon:96381.0km+4.2km=96385.2km |
97/11/22 Sat:96385.2km+220.8km=96606.0km |
97/11/23 Sun:96606.0km+46.9km=96652.9km |
97/11/24 Mon:96652.9km+253.5km=96906.4km |
97/11/29 Sat:96906.4km+9.1km=96915.5km |
ランディ、ユーズル、あるさすの3人の、クレモナでの暮らしも少々長くなってきた。といって、先立つものが寂しい状況ではほかの町に移る気もなえてしまう。先日のレナン村での仕事も、結局目立った報酬といえばダークエルフの砦で手に入れたブレスレットくらいだ。幸い宿屋の主人が、見も知らぬ少年の頼みを引き受けた先日の一件から一行を気に入ったようで、まとまった収入があるまでつけておいてくれるという。その上、懐具合が悪く身動きがとれない一行を見かねてか、ひとつ用事をもちかけてくれた。
主人の古い友人が、ここから北へ2日ほどのランザスという町で武器屋を営んでいるという。彼に手紙を届けてもらいたいとのことだった。世話になっている身で役に立てるならと、3人は北へ向かった。
途中すれ違った隊商から気になる話を聞いた。ランザスの町では疫病が出ているという。果たして町の門は固く閉ざされ、門番は3人に町に入らぬよう忠告してくれた。しかしここで引き返すのでは仕事を果たせない。せめて武器屋を訪ねてみようという話になった。
町の目抜き通りは閑散としている。武器屋の扉をノックしてみると、現れた主人の顔には赤い点が無数に出ていた。これが今ランザスの町で流行している赤点(せきてん)病の症状だ。一行は預かった手紙を渡し、病気は体力があれば見かけほど悪いことにはならないが、老人や子供に命を落とした者もあること、神殿の図書館に治療法があるかもしれないことなどを主人から聞いた。
神殿の図書館では、病気の治療法について書かれた文献を総出で探している最中だった。3人も文献探しを手伝うことになった。
文献探しは深夜にまで及んだが、ついに関連の本が見つかった。それによると、今から100年以上前に同じ病気がはやったことがあり、この時はルーシェントというエルフが治療法を確立したという。これで治療に使う薬草の種類はわかったが、調合については書かれていなかった。
翌朝、ランディは手の甲の赤い点に気づいた。どうやら病気にかかってしまったらしい。しかし、魔物も出る野原に薬草の捜索隊が出ると聞き、ランディは病をおして捜索隊に加わった。一方ユーズルとあるさすは、森へエルフのルーシェントを探しに出ることにした。あるさすはエルフ、ユーズルはハーフエルフである。同じエルフの血が流れていれば、森へ隠れたルーシェントともなにか通じるものがあるだろう。
薬草を探しに出たランディたちは、果たしてホブゴブリンの襲撃を受けた。少々の傷と引き替えに、彼らは魔物を撃退した。
あるさすとユーズルも、幸運にもルーシェントに会うことができた。過ちを繰り返す人間たちへの諦念がルーシェントの心を支配していたが、説得の結果、2人は病の治療法を受け取ることができた。
いくつかの偶然と幸運が重なり、ランザスの町からはふたたび病が駆逐された。また同じ病気が出ても、次こそはすぐに対処できるだろう。3人は次の冒険を求め、クレモナの街へと戻っていった。
97/11/30 Sun:96915.5km+13.0km=96928.5km |
97/12/02 Tue:96928.5km+131.5km=97060.0km |
97/12/03 Wed:97060.0km+130.6km=97190.6km |
97/12/07 Sun:97190.6km+75.7km=97266.3km |
97/12/14 Sun:97266.3km+60.2km=97326.5km |
97/12/20 Sat:97326.5km+8.5km=97335.0km |
97/12/28 Sun:97335.0km+13.7km=97348.7km |
97/12/31 Wed:97348.7km+10.5km=97359.2km |
98/01/02 Fri:97359.2km+45.9km=97405.1km |
98/01/04 Sun:97405.1km+5.1km=97410.2km |
98/01/05 Mon:97410.2km+53.7km=97463.9km |
98/01/11 Sun:97463.9km+6.9km=97470.8km |
後 日● 談 |
『WEBサイト・デザイン』はこのあいだ秋葉原の書店で発見。しかし200ページ(くらい)で\4,700(くらい)はコストパフォーマンスが悪いよね。ざっと立ち読みしたけれどそのときは買わず。いつか衝動買いするチャンスがあるかもしれない。『新選組』は買えました。いい作品だ。(記:98/05/16) |
98/01/24 Sat:97470.8km+68.9km=97539.7km |
98/01/25 Sun:97539.7km+28.3km=97568.0km |
後 日● 談 |
「マイカーのページ」とは、当時このページからリンクしていたレックス紹介のページ。買ったデジカメでウハウハ撮った画像を、広く世界に発信するために発生した(迷惑な話だね)。マイカーのページで紹介していた画像は、今はこのページ内で表示するようにしている(ページ冒頭の画像のほか、この下にいくつかあります)。画像のページをわざわざ別に作ったのは、読むのにストレスが少ない(=軽い)ページを目指していたからなのだが…バックナンバーとなった今ではアーカイブとしての利便性や、深いリンクを避けるなどを考えてこんな形に落ち着いたというわけ。(記:98/06/19) |
98/01/27 Tue:97568.0km+3.5km=97571.5km |
98/01/31 Sat:97571.5km+64.8km=97636.3km |
98/02/03 Tue:97636.3km+1.9km=97638.2km |
98/02/04 Wed:97638.2km+4.2km=97642.4km |
98/02/07 Sat:97642.4km+108.5km=97750.9km |
98/02/08 Sun:97750.9km+57.3km=97808.2km |
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トリップメーターが97777.7kmになりました |
98/02/11 Wed:97808.2km+8.6km=97816.8km |
後 日● 談 |
このとき狙っていたCDプレーヤーは翌日、都心のカメラ屋で無事買うことができた。機種はSONYのD-E500。これまで使っていた充電池が流用できるのが(自分的な)ポイントである。新機能としては音飛び防止のほか、停止したところから続きを聞くことができるという便利なものがあった。電池のもちもかなり良くなって、車内の音楽環境は大幅向上である。福福。 |
98/02/13 Fri:97816.8km+3.0km=97819.8km |
98/02/14 Sat:97819.8km+185.2km=98005.0km |
98/02/15 Sun:98005.0km+217.8km=98222.8km |
98/02/21 Sat:98222.8km+57.4km=98280.2km |
98/02/28 Sat:98280.2km+6.4km=98286.6km |
98/03/04 Wed:98286.6km+2.6km=98289.2km |
98/03/05 Thu:98289.2km+2.7km=98291.9km |
98/03/11 Wed:98291.9km+6.2km=98298.1km |
98/03/15 Sun:98298.1km+2.8km=98300.9km |
98/03/17 Tue:98300.9km+1.5km=98302.4km |
98/03/20 Fri:98302.4km+16.7km=98319.1km |
98/03/21 Sat:98319.1km+102.8km=98421.9km |
後 日● 談 |
98のほうはいまいち活用されず、部屋の隅に眠っている。一方PCのほうは開けてみたらDX2/66が刺さっていた。メモリは30pinのSIMMで16M。キーボードとマウスを買ってきてWindows95を入れてみたりした。で遊び半分でQuake(対応機種はPentium90MHz以上、Pentium150MHz以上推奨の3Dアクションゲーム)を入れてみる。おお、起動するではないか。しかし解像度は320×200、さらに効果音がとぎれとぎれ。こりゃダメだ。とりあえずWindowsは入ったから、次はUNIXでも入れてみようか?(記:98/05/16) |
98/03/22 Sun:98421.9km+443.0km=98864.9km |
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▲ここが那須のまんぷくやです |
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▲トリップメーターが98765.4kmになりました |
給油●238.1km÷16.7l=14.3km/l
10:40 練馬I.C.から外環に乗る
外環は騒音対策のためか、両壁が高くすっぽりと道路を覆う形になっている。目に入る情報が少なく、なんだかゲームのようだ。
10:53 浦和料金所から東北に乗る
11:40 都賀西方で休憩
12:37 那須I.C.で降りる
12:46 まんぷくや到着
まったく普通の中華レストランである。中華丼を頼む。750円。
13:14 まんぷくや出発
那須にある大学の宿泊所に行ってみることにする。ここは何度も利用したなじみの場所で、このChallenge 100,000kmの企画を始めてからも1回、9月の半ばに訪ねている。このときは途中でトリップメーターが進まなくなったのだった。
宿泊所は夏しか開放しておらず、このような春先の様子を見るのは初めてだ。林は葉が落ち、見通しがよい。建物の軒下にはわずかに残雪すらある。夏とはだいぶ様子が違っており、奇妙な感覚だった。
白河I.C.に入る直前に給油。
給油●222.2km÷14l=15.9km/l
14:08 白川I.C.から東北道に乗る
14:27 那須高原SA出発
道中、トリップメーターが98765.4kmを指した。写真を撮る。
16:37 浦和料金所通過
で吉祥寺に駐車して、大学のサークル(みたいな集団)のキックアウト(と呼ばれる追いコン)にまざる。そんなんばっかりやね。
98/03/28 Sat:98864.9km+1074.0km=99938.9km |
給油●222.0km÷11.5l=19.3km/l
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▲入口から2階へどうぞ |
07:02 川崎I.C.から東名に乗る
08:14 99000km突破
都夫良野(つぶらの)トンネルの手前、大井松田I.C.の少し先から、東名の下りは右ルートと左ルートに分かれる。去年の12月に箱根の仙石原温泉へ行ったときは右ルートを通ったので、今回は左ルート。なぜこのような作りになっているのだろう。面白いけれど。
08:43 日本坂PAにて休憩
快調快調。
10:13 浜名湖SAにて休憩
うなぎパイとハイウェイカードを買う。東名/中央のSAPAガイドをもらう。
名古屋の手前では渋滞。日が上がって暖かくなってきた。クーラーを入れるとパワーが下がるので、窓を少し開けて進む。
12:19 養老SAにて休憩
名神のSAPAガイドをもらう。車に戻ってくると、すぐ脇のトレーラーに積まれた車にヒバリが止まり、ちよちよと鳴いていた。ここで給油。ずっと高速を走っていたから当然というか、異常に燃費が良い。
給油●414.8km÷19.0l=21.8km/l
13:37 京都南I.C.を降りる
京都に来るのは修学旅行以来。I.C.の出口を走る国道1号は異常な混雑。空が広く、都会といった感じはしない。ちょっとさえない(失礼)地方都市の1つといった印象。京都では建物に高さ規制があると聞いていたが、葛野大路では8階くらいのビルも見たから、この空の広さは規制の結果ではないのかもしれない。1200年を経た現状は、車のやたらと多い街だった。
14:30 嵐山(あらしやま)に到着
嵐山には渡月橋(とげつきょう)なる木製の橋がかかっており、桂川の桜並木もあって観光スポットなわけである。桜は2分咲き。八つ橋やらお茶やらを売る店、タレントショップ、美空ひばり記念館(!)、人力車、大量の観光客などがずらりずらり。その中に目指すまんぷくやはあった。だいぶ暖かくてラーメンを食べる気がせず、那須と同じく中華丼を頼む。
那須のまんぷくやではマッチをもらったが、このまんぷくやにはその手のグッズがない。紙ナプキンは無地。割り箸は割り箸タワーに刺さっており箸袋はない。伝票の裏に「まんぷくや」と書いてあるのを見つけ、店員さんに頼んで1枚譲ってもらう。ありがとう。
渡月橋のたもとで桜を眺めていると、人力車夫が客引きをしている。車夫は若い兄さんばかりである。当然というべきか、よく狙われるのは若い女性客数人のグループだ。しかし見ている間、(若い女性客に限らず)誘いに乗った観光客はいなかった。車夫どうしがすれ違いに「どう?」「や〜全然ですね」などとやっている。人力車観光に出てしまえば渡月橋からは離れるから、客引き中の車夫ばかりが目立っていた。
16:06 嵐山を出発
16:56 京都南I.C.直前のスタンドで給油
給油●138.4km÷7.7l=18.0km/l
このスタンドを出ようとして、前の車とこすってしまった。先行していた前の車、左ウィンカーを出しておらず、ならば右折だろうと早合点して先行車の左につけた。と、この車が左折したためこすり合いになってしまったというわけ。まいった。相手の車は少し傷がついた程度、こちらは右前の角がへこんでしまった。110番して状況を説明。
17:40 京都南I.C.から名神に乗る
帰りは中央にしてみる。トラブルのせいで気がさえない。
20:05 恵那峡SAで休憩
ここで給油。
給油●209.7km÷9.3l=22.5km/l
22:11 双葉SAで休憩
中央はまさに山道。登坂車線多く、レックスは苦戦。岡谷ジャンクションの手前、「長野方面分岐2km先」の看板を過ぎた直後、左手に夜景が開けた。野原に光の粒をまいたよう。諏訪湖に映る夜景も美しい。
23:30 調布I.C.を降りる
というわけで、大旅行は無事とはいかないもののひとまず終了。疲労疲労。
帰宅してから天気予報を見て気づいたのだが、京都周辺の天気は大阪が出るのだね。京都、過去に生きる街。
98/04/04 Sat:99938.9km+37.1km=99976.0km |
給油●317.0km÷17.5l=18.1km/l
98/04/11 Sat:99976.0km+70.6km=100046.6km |
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▲とうとう100,000kmになりました |
98/04/16 Thu:100046.6km+6.2km=100052.8km |
というわけで、この「Drive my car challenge 100,000km!」のコーナーは終了です。レックス君にはだいぶ無理もさせましたが、一時は達成が危ぶまれた100,000kmの目標はなんとか完遂できました。また、車を運転するモティベーションを高めてくれたこのコーナーのおかげでいろいろな体験もできました。レックスはこれで手放すことになります。最初の自分の車として4年近くを共にしたレックスです。どうもありがとう。
Drive My Car Challenge 100,000km!! PART IIへ
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