インドのほかの大都市に比べて、カルカッタほど生活のにおいの濃いところはないだろう。
大英帝国の威厳を誇る建造物も今ではすっかり精彩を失って、人間の生のエネルギーに圧倒されている感がある。
地元のベンガリー人はもとより、東ベンガル(バングラデシュ)からの難民、パンジャーブ人、ビハール人、マルワリ商人、中国人など、あらゆる異なった出身と階層の人々で町はあふれかえらんばかりである。
それに犬、牛、カラスの群れも加わっているのだ。
それぞれが己の信条、生活規範に従って生活を営み、町は混沌とした熱気で満たされている。
道はバス、車、人力車などあらゆる車のついたものでごったがえし、乗り物は常に満員。
夕方など1台のタクシーを求めて15人もが駆けつけるありさまだ。
教養のある紳士もこのときばかりはなりふりかまっていられない。
こうした不便さに辟易する旅行者も多いが、また良きをも悪しきをも容易に包み込んでしまうカルカッタの空気に、何かしら居心地のよさを感じる人も少なくない。
カルカッタに慣れてしまえば、どこへ行っても平気でいられるだろう。
詩聖タゴールの「少年時代」に往時のカルカッタの様子があるが、多様なものを容易に包含し、また何かを生まずにはいられないカルカッタの空気は変わらぬもののようだ。
西ベンガルにはシタール奏者ラビ・シャンカルや映画作家サタジット・レイなど有名な芸術家を多く輩出した土地であり、その州都カルカッタは文化的活動もさかんだ。
音楽界や舞踊、演劇を見てみるのもよい。
現在は人口約1200万、インド第2の大都市に成長したカルカッタであるが、その発展の歴史は浅い。
1690年にイギリス東インド会社がここに拠点を置いたときは、3つの小さな漁村があったにすぎなかった。
そのなかにひとつの名、カーリーカタにちなんで、この都市がカルカッタと呼ばれるようになったという。
20世紀はじめ、植民地インドの首都として栄え、独立後も産業、商業、輸送の中心として重要性を増すと同時に、多彩な芸術活動、また政治運動が展開されている都市でもある。
(「地球の歩き方」より)
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