旅のミニ情報局 〜 インド分室 〜



コンノートプレイス
インドの新市街、コンノートプレイス周辺。 このあたりは植民地時代のイギリスが都市計画に基づいて建設した地区なので、きわめて整然としている。 オールドデリーではほとんど見かけることができない大銀行、超高級レストラン、オフィスビルなどはすべてこちら側にある。 住み分けが極端なほどなされているのだ。 さて角度的に映ってないが、コンノートプレイスとは巨大なロータリー(イギリスが建築した地区だけあって新市街はロータリー型の交差点が多い)の中心部にある公園のことだ。 他の公園などと同じく、昼間からなぜか多くのインド人がたむろをしている。 ここで有名なのが耳掻きおじさん。どこからともなくやって来て耳掻きさせてくれと言ってくる。 してもらう気はなかったが、無料でちょっとだけ試してくれるということなのでやってもらったが、確かにくすぐる様なそれでいてくすぐったくない微妙な手さばきで至福のひと時だった。 この耳掻きおじさんの勧誘方法だが、アジアでよく見かける「推薦ノート」というやつだ。 過去に耳掻きしてもらった日本人のたくさんの推薦文がノートにびっしり書き込まれており、中には日本人が耳掻きおじさんと一緒に写っている写真まである。 そして一部には「300Rs(840円)は払う価値のあるすごい腕の持ち主」「お代は払いたいだけでもいいそうです。私は200Rs(560円)にしました」などと言う記述が踊っていた。 現地の相場というものを理解していなかったり、外国通貨を手にして金銭感覚を無くした日本人がなんと多いことか。 また、こういう人もいる。 コンノートプレイスで休んでいたら日本の500円玉、100円玉を何枚も(確か800円分くらい)手にしたインド人が「これをルピーに換えてくれ」と言う。 しかも、なぜか日本円とルピーの交換レートも把握しているのだ。 私は闇両替は違法だからという理由で断ったが、これも日本人が「仲良くなった記念に日本のコインをくれ」とでもインド人に言われてあげたものだろうなと思った。 日本人はナメられている。なんとも悲しいことではないか。


インド門
第一次世界大戦の戦没者慰霊碑であるインド門。 当時イギリスの植民地であったインドは、大戦後の独立と言う見返りを信じてイギリス軍に協力したが結局守られなかったという。 広大な敷地に威厳たっぷりの石造りの巨大なモニュメントである。 敷地内では少年たちがサッカーをしていたり(後から考えるとスポーツをしている人をインドではあまり見かけなかった)、やっぱり昼間からおじさんたちがたむろしていたりしていた。


クトゥブ・ミナール
郊外にある遺跡、クトゥブ・ミナール。 もともとは奴隷王朝Slave Dynastyのスルタン、クトゥブ・ウッディーン・アイバクという人が、ヒンドゥー教徒に対する戦の勝利を記念して建立したものらしい(「地球の歩き方」より)。 遺跡内には巨大な塔や、後ろ手で手を廻し、一周できると幸運が訪れるという鉄柱などがある。 中心部から15km離れているため、公共バスの利用がベスト。 ニューデリー駅東口などから505番のバスで30分くらい。運賃は8Rs(約22円)。 なお、タージマハル等と時を同じくして遺跡などの歴史的建造物の入場料が、外国人向けだけいっせいに値上がりした。 ここでも例外ではなく、今まで5Rs(14円)だった入場料が、現在ではなんとUS10$または470Rs(1316円)となっている。 遺跡の保護・補修のための資金を確保するためらしいが、外国人だけこの値段というのはちょっとひどい気がする。


ニューデリー駅
インド鉄道旅行の拠点、ニューデリー駅。 こちらは東口で、駅前の大通りからこの駅前で分岐している通りがメインザバールとなる。 写真の中央には貧しい女の子姉妹が写っている。 全身砂埃だらけで、お互いに一生懸命髪の毛の毛繕いをしていた。 おそらくしらみを取っていたのだと思う。 貧富の差が激しいインドの一端を垣間見た気がして、居たたまれない気持ちになった。


インターナショナルツーリストビューロー
ニューデリー駅舎2階にある外国人専用窓口(裕福そうなインド人もいっぱいいたけど)、インターナショナルツーリストビューロー。 エアコンの効いた快適な室内で英語を使って発券をしてもらうことができる。 場所・手続き方法の詳細は「生活・交通編」を参照してください。


ニューデリー駅構内のとある風景
20番線以上もある巨大ターミナル、ニューデリー駅のプラットフォーム間を渡る連絡橋からの一コマ。 人々が水浴びや洗濯をしている。 また連絡橋やプラットフォームには巨大な荷物を携えている人、または何も持たない人が折り重なるように寝そべっている。 注意しないと踏んでしまいそうだ。日本ではまずありえない光景である。




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