旅のミニ情報局 〜 インド分室 〜



インド”らしい”とインド”らしくない”が同居する首都、デリー
「デリーは遠い」――ディッリー・ドゥール・ヘイ――という言いまわしがヒンディー語にはある。 「目標達成はまだ先」というような意味で使われる。 デリー・・・・古代からいくつもの王朝が興亡した古い都。 西からの侵略者が豊なヒンドゥスタン平原への侵略の足がかりとした地。 20世紀に入り、イギリスのインド支配の本拠地ともなったところ。 そしてイギリス支配に抗して1857年大反乱を起こした反乱者たちが、また祖国の武力解放を目指したチャンドラ・ボースの国民軍(自由インド軍)が、苛烈な戦いの日々の果てに開ける未来をそこに夢見たはるかな都市。 今もなお、インド底辺の民衆が、そこに豊かで進んだ生活の幻想を見つつ、ついに一生足を踏み入れることもない遠い都市。 民衆の痛みを知らないエリート政治家が、政争に明け暮れる中央都市。 ・・・・デリーはいまだ遠い。 だがこのデリーも、外国人ツーリストにとっては、少しも遠いところではない。 日本から飛んでも、直行便でわずか10時間でデリーに着いてしまう。 政治の中心として各種オフィスが集中しているから、インドに長期滞在したり、インドからさらに他の国々へ入る人たちはまず一度は立ち寄ることになるだろうし、陸路・空路とも交通の中心地だから、北インドをメインに旅をする人は、避けようとしてもデリーに着いてしまうだろう。 ムガル帝国の数々の遺跡をはじめ見どころは多い。 デリーで初めてインドの土を踏んだという人にとっては、インドに慣れるには絶好の場所だ。 またデリーには各州の観光局があったり、外国人専用のオフィスで鉄道の予約ができたりと、この後のインドの旅の情報収集や手続きが比較的スムーズにできる。 都市は残酷だ。貧富の差があからさまに投げ出されているし、物質文明を無批判に取り入れていく風潮のなかで、古き良き「インドの魂」が食い荒らされている様子も否応なく目に入ってくる。 短い滞在でも、ニューデリーのモダンな市街を見るだけでなく、ムガル帝国時代の雰囲気が濃厚に残るオールドデリーの大通りから路地へと人の流れのままに入り込み、その色彩、におい、ざわめきを全身で感じ、さらに市内や郊外に散らばる遺跡を訪ねてみれば、時間をさかのぼり長い歴史をたどり、今日のインドの姿へと視点を戻して来る旅ができるだろう。 デリーは、どの州Stateにも属さず、周辺の農村部も含めた地域が、中央政府の直轄領Union Territoryになっている。(「地球の歩き方」より)


メインバザール
ニューデリー駅前の目抜き通り、メインバザール。 ”ニュー”デリーといっても歴史的な建造物が多く存在するオールドデリー(旧市街)の中心部だ。 またここは駅に近く、安宿も多く集まっているので、多くのバックパッカーが入国後最初に目指すポイントでもある。 そしてデリーから入国した旅行者が、まず最初にインドらしさを体感することになるのだ。 車の行き違いがほとんど不可能な小さな路地に各種個人商店や安ホテルが密集しており、その頭上には電線がこれでもかとごちゃごちゃに絡まりつつもその機能だけは果たしている。 またちょっと道幅が広いところには野菜や果物の露天が軒を並べ、通りは一日中活気に満ちている。 路面は一応過去に舗装された形跡をわずかにとどめるだけで、現在はでこぼこ。雨が降ったらとたんに水溜りだらけになってしまう。 道にはなぜか、果物の皮や野菜くず、紙ゴミが散乱していて、またなぜか「野良牛」が何頭も通りを行き来していてそれらを食んでいる。 その牛の排泄する牛糞と通りに散らばる生ゴミが、南国独特の濃い空気(臭気)にミックスされて、視覚からだけではなく、嗅覚からさえもインドの猥雑さを思う存分満喫できる。


ジャマー・マスジットの概観
1656年に完成したインド最大のモスク、ジャマー・マスジットの概観。 ヒンドゥー教徒が9割近くを占めるインドにおいて、現在もなおイスラム教徒も多数存在していることを示している。 入場料は20Rs(56円)。またどこのモスクでもそうだが、半ズボンなど足が露出する服装は不可。 その場合は30Rs(84円)ほどで腰巻を借りなくてはいけない。 またこれもイスラムの常識、モスク内は土足厳禁。入口で番人に靴を預けて中に入る。 帰るときは番人にお礼のチップを渡すのがスマートだが、我々を外国人と見るや、法外な値段を向こうから指定してくる場合がある。 だがちょっと周囲を見渡してみよう。現地の人はそこら辺に投げ出してある靴をひょいと履き、何事もないかのように出て行ってしまう。 また靴の預け賃について表示がない。だから向こうの言い値に応じる必要は全くないのである。 けれどもここの番人の場合は、外国人の靴を他の人の手が届かない棚に収納してくれ、帰るときも見事に自分の靴を取り出して差し出してくれたのである。 その意味でも感謝の気持ちとしていくらかのチップを渡そう、ということである。 それでも金額は1〜3Rsくらいで十分だと思われる。庶民の定食、ターリーが15Rs位で食べられる国なのだから、10Rsも20Rsも払ったら多すぎなのである。 アジアの国々ではほとんどすべてに共通することだが、こうした場合はまずその値段が相場ではないと疑ってかかった方が良い。 この考え方は、なにもお金を使うのをケチっているわけではない。 日本人は無節操にお金を垂れ流すと現地の人に見くびられることは、お互いにとって良くないことだと思うのである。
さて一方、ジャマー・マスジットの周囲は野菜・果物・肉・魚などの露天が軒を並べ、正月のアメ横状態と化している。 生きたニワトリ、乾電池、スイカジュース、布。ものすごい勢いで商品が並んでいる。 デリーでもっともインドらしさ、下町っぽさを感じられる場所かもしれない。


ジャマー・マスジットの内部
ジャマー・マスジットの内部。灼熱の国インドにあっては太陽の日差しもこれまた強烈。 地面の石畳はとんでもない熱さになっている。 現地の人たちは比較的平然と歩いているが、我々にはちょっときついかもしれないので、ところどころ設けられた布の敷いてある道を利用して進もう。 さて、私はその国ではマイナーとされている宗教の寺院に行ったのはこれが初めてであった。 タイでは仏教寺院、マレーシアやトルコではモスク。当然国の国教なので、溢れんばかりの人が熱心に信仰している場面を見てきた。 ところがインドでは、モスクはマイナー宗教の寺院。多くの人は日陰に腰を降ろして雑談している。 公園と同じような役割を果たしている庶民の憩いの場になってしまっていた。 もちろん、人口の1割はイスラム教徒だから、熱心に祈りを捧げている人もたくさんいたのだけれど。


ラール・キラーを望む
ジャマー・マスジットの塔(入場料は別料金で10Rs=28円)の上から望むラール・キラー。 別名デリー城。ムガル帝国の5代皇帝によって1640年前後に建築されたとされる皇帝の居城である。 本当はジャマー・マスジットの次に行こうと思っていた場所なのだが、あまりに暑くてバテバテだったのと、塔の上から眺めた姿が「広いだけで見ごたえに乏しい」と映ってしまったため行かなかった。 それほどインドは暑い。


突然始まった儀式
オールドデリーを街歩き中、突然儀式が始まった。 警官が交差点のすべての車を停め、袈裟のような服装をしている人や、バラモンを思わせるヒゲもじゃの人が一斉に呪文を唱えながら杖を振りかざし始めたのだ。 最初からまっすぐ歩けないほどごみごみしている街角は、すぐに野次馬で一杯になり、押すな押すなの大盛況。 一方、たまったものではないのが車やバイクの運転手。通りは渋滞していてしかも中央分離帯のある道なので、ただ立ち往生するしかない。 また先を争って前に車をつめる国民性で、もはやバイクも身動き取れないほどの状態に陥ったのだ。 そのため、車は早く通せとクラクションの嵐。それを糧にして呪文はますますヒートアップするばかり。 結局30分間これが続いた。インドのパワーをあきれるほど実感した出来事だった。


インド舞踊
デリー門のそばのParsi Anjuman Hallではお手軽にインド舞踊を観賞することができる。 入場料は150Rs(420円)。 街歩きだけでは見ることができない伝統文化に触れることができるので、客は外国人でいっぱいである。 演目は5種類で1時間ほど。 写真のようなインド式能楽(?)から若い女性の花笠音頭(?)まで盛りだくさんで楽しめる。




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