『あ〜あ。YMOはいいバンドだな〜。 』
祝「YMO GO HOME!」リリース!?
アルファのベスト・アルバム攻勢にいささか食傷気味のファンを気遣ってか、真打ち細野晴臣・責任監修というふれこみのベストアルバムがリリースされた。全曲リマスタリング(Remastering
and edited by Mitsuo Koike )とある。当時のレコーディング技術の未熟さのためか、音質の悪さで割を食っていると、僕には思われてならない曲がいくつもある。とりあえずベスト盤の『YMO
GO HOME!』を即座に購入。もはや僕にはいちいち妙なこだわりはないのだ。
それにCD2枚で3200円とは値段も手頃だ。東芝EMIから発売されていることにも好奇心をひかれた。3200円で今どんなCDが買えるだろう。初めてYMOを聴くヤツは得なことをしたものだ。帰途、『運がよけりゃもらえる』というYMO読本『MOMIAGE』の入手方法を店員に尋ねるのを忘れたことに気がつくも、これから引き返すのも面倒になってそのまま帰った。変われば変わるものだと苦笑する。これが宇多田ヒカルの特製アイテムだったら引き返したかもしれない(笑)
YMOをじっくり聴くのは正直言って久しぶりだ。ジャケットやライナーノーツに三人が揃って写った写真を見ると、奇異な感じがする。今思えば、よくもこれだけ異質な、音楽的なバックグランドの共通項も少ない個性的なミュージシャンが同じバンドに収まってたものだ。なにしろ、シンセ中心、シーケンサー多用、コンピューターを使って音楽をやるという細野晴臣の怪しい企てに賛同したのが、坂本龍一と高橋幸宏、そして技術者兼ミュージシャンの松武秀樹という3人の変人だったのだからしかたない(笑)この人達はマジで危険な人達であって、放置せずに音楽でもやらせてないと日本の危機管理上よろしくない。試しに坂本龍一のファースト・アルバム『千のナイフ』に寄せられた坂本や細野の文章を今一度読んでみよ。アッパレな狂人ぶりである。公安当局の目に触れなかったことは勿怪の幸いといえる(笑)
やはり天才的な仕事をする人には常人からみると、ちょっと頭がおかしくみえる場合が多いこともまた事実のようである。無論、僕は偉大なるミュージシャンに最大の敬意を払っているのである。それに狂人であれば、いい芸術作品ができるという方式は大概成り立たない。なるほど彼らは奇怪な観念で頭を満たした青年達には違いないが、それを自由に芸術表現として昇華させるすべも、無意識にとった治癒方法だろうか、知っていたのだ。70年後半は変人の方法だった多くのものは、現在音楽作りの主流となっている。こうした悲喜劇はさんざん繰り返されてきた歴史だ。
現時点における細野晴臣の選曲したYMOを聴き、彼自身による解説を読み進みながら、僕自身はYMOをどんな風に聴いてきたのか、改めて思い返していた。僕としては三人の才能をまんべんなく堪能したという自信をもっていたが、やはりそれなりに偏った聴き方をしていたなというのが偽らざる結論だった。YMOというのは、やはり『細野YMO』と受け取るのが妥当なのだ。少年時代の僕がYMOについてまさっきに陶酔感を覚えたのは、単純に言えばその重厚な和声と複雑に絡み合った対位法だ。これらは専ら坂本龍一のもたらしたものだ。初めの頃、僕の耳はそればかり追っていた。
僕はYMOファンというより、最初から教授ファンだったのだろうか?
そんなハズはない!、と打ち消す気持ちが沸いてくる。何度も聴いたYMOの曲をひとつひとつ思い浮かべてみてた。
・・・・・ほらほら、ちゃんとまんべんなく聴いてた。たぶんね。
(現時点における)細野晴臣の文脈で語られるYMO像(曲解説)に身を任せていくうち、なんだか坂本龍一というのは細野ワールドに襲来した黒船のようにすら思えてくる。神秘主義としての『BGM』は、坂本龍一の才能の猛威に対する細野晴臣の防衛策として取られた路線変更だったのだろうか・・・・・・・ホワホワホワ(←回想シーンへの効果音)
今を遡ること19年あまり・・・・・
所は、日本のどっかにあると言われている細野晴臣専用の秘湯(通称、『細野の隠し湯』)。
ワールドツアーの疲れを久々の温泉で癒しながらも、細野晴臣は沈痛な面持ちだ。
「まずい。実にまずい。坂本があそこまでやるとは予想外だった・・・・。このままではスタジオ・ミュージシャンあがりの坂本龍一にバンドの主導権を奪われてしまう。しかも、女の子にモテるし。なんとかあいつの音楽知識の及ばぬ全く新しい作風へ転換しなければ・・・・とりあえず瞑想だ。」
数日後・・・・(BGMの制作開始)
YMOのニューアルバム制作と聞かされて、録音スタジオに入ってきた坂本龍一。気のせいだろうか、彼はなんとなくいつもと違う空気を感じた。細野がよそよそしく挨拶代わりに坂本を一瞥したかと思うとすぐさまシーケンサーの動きを凝視し続けた。まるで作業を中断されて迷惑といったような様子だった。坂本は、高橋幸宏と短い言葉を交わした。なぜか高橋も伏し目がちだ。心なしか坂本と目線を合わせるの避けているようにもみえる。重たい沈黙が続く・・・・・。手持ちぶさたの坂本龍一。ついに耐えかねて坂本龍一が高橋に向かって会話の糸口を探すように言葉をかけた。しかしながら内心は細野を意識しつつ。
「随分入れ込んでるようだね。さて採譜でもしようか。それとも僕の和声学の知識を生かした複旋律でもつけようか。ドミソ・ドミソ・ファラドソシレ・ドミソ♪クセナキス。チャンス・オペレーション。逆行形音列と反行形音列、ついでに反行逆行形音列、むにゃむにゃむにゃ・・・・」
「その必要はない!」
細野晴臣が大音声で坂本の言葉を遮るようにぴしゃりと言い放つ。高橋幸宏はビクッとして頭を抱え込んだ。細野晴臣は、坂本を見下ろすように続けた。
「教授、いや坂本君。YMOは変わるんだよ。それは全く新しい試みなんで、既成の知識を必要としない音楽だ。これが何を意味するか、おわかりかね?」
不適な笑いを口元に浮かべつつ細野がシーケンサーのスイッチを入れると、『CUE』のデモがスピーカーから流れてきた。
結構いい曲だな・・・・・って感心してる場合じゃない。坂本の額に一筋の汗が流れる。
「メ、メンバーになんの相談もなく、そんな勝手な真似が許されると思ってるのか!」
「黙れ!スタジオ・ミュージシャンあがり。私はYMOのリーダーだ。バンド・リーダーとは神にも等しい存在である。従ってリーダーの命令は絶対である。そうだろ?、幸宏。ふふふ。」(なぜか妙に悪役風。)
(ヒットラーの如きリーダーめ・・・・)こぶしを握りしめ怒りに震える坂本龍一。
「本当なのか?幸宏。こんな独断専行を許してもいいのか?」
それまで、両者の息詰まるやりとりを不安そうに眺めていた高橋幸宏だが、彼にそそがれた坂本龍一の刺すような視線を直視することができず下を向き、そして小さくつぶやいた。
「細野総統に逆らうと、狭くて暗いところに閉じこめるって・・・・」
ガ〜ン。
(いつの間に総統に・・・)親友の変節ぶりに愕然とする坂本龍一。今や彼は自分の置かれた状況のすべてを悟ったのだ。
「ちきしょう!これは陰謀だ!粛正だ!」
坂本は、そう吐き捨てるように叫ぶとスタジオのドアを蹴破ってその場から退場し、ひたすら走った。追い打ちをかけるように坂本の背に細野晴臣の勝ち誇ったような高笑いが聞こえてきた。
フォッフォッフォッフォッフォッ・・・・・
悔しかった。裏切られたような気持ちだった。これまでの出来事が走馬燈のように脳裏に浮かんでは消えた(ありがちな現象だが)。坂本の両目から熱い涙がこぼれてきた。彼はそれを拭おうともせずに走り続けながら、復讐を心に誓った。
「覚えてやがれ。BGMに災いあれ!テクノデリック万歳!」
それから数日後・・・・
高橋幸宏は重い足取りでスタジオへ向かっていた。細野と坂本の決定的な決裂の場面を目の当たりにした高橋幸宏は、ひとりYMOの行く末を案じて、心を痛めていたのだ。彼の苦悩は無私の精神や献身愛に貫かれていた。坂本龍一は、ここ数日登校拒否児のようにスタジオに近づこうとしない。一方、細野晴臣はスタジオで松田聖子や中森明菜といった美女をはべらせ、大きな葉巻を吸い、高橋を従僕の如くこき使う有様で、その増長ぶりは目に余るものがあった。
「今度ばかりは参った。なんで2人は我を通すことしか頭にないんだろう?根はいい人達なのに。YMOという素晴らしいバンドを失うことは世界の音楽ファンにとってなんと大きな損失だろう・・・・・。ここは、やはり僕がふたりの間を取り持つしかない。たとえそれによって僕のプライドが傷つこうとも。そうだ!僕は激流によって阻まれたふたつの素晴らしい大地を結ぶ橋となろう!」
高橋幸宏は、さながら「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャの如き清らかな心でそう思った。高橋幸宏の心に大きな勇気と希望が沸いてきた。迷いは払拭され、一点の曇りもない青空のような境地だった。先ほどまで重かった足取りも、今ではスキップでもしたいほどだった。スタジオについた。ドアを勢いよく開け、元気よく言った。
「おはよう!」
ふたつの声がハモりつつ返ってきた。「おはよう!幸宏♪」
高橋幸宏はかたまった。
スタジオの中で目を疑いたくなるような情景が展開していたからだ。
なんと細野晴臣と坂本龍一が抱擁し合っていたのだ!
しかも、どちらの目からも感動の涙があふれていた。
失って初めてわかった友情の大切さ・・・・・。(ついでにYMOは売れることを)
そして恩讐の彼方に・・・・我執を越え、抱擁し合うふたつの強烈な個性。
細野「君の千のナイフは最高だ。(ちょっと西欧かぶれだけどね。)」
坂本「いや〜細野さんのGRADATED GREYには勝てませんよ。(UFO好きや神秘主義さえなければ。)」
細野「今度、UFOの写真のアルバムを見に、ぼくの家においでよ。」
坂本「は、はぁ。(会話が続くだろうか・・・・)」
しばらく唖然と眺めていた高橋幸宏であったが、頭の中で何かがブチっと切れる音が聞こえたような気がした。
「どいつもこいつもわがままばっかり言いやがって!
いい気なもんさ、天才さん。もうお前らのお守り役はこりごりだ。
勝手にやってろ、バカヤロー!」
ひとしきり罵声を浴びせると高橋は釣り竿を担いでイシダイ釣りに出かけてしまった。
ハンダごてを片手に持って、一部始終を観察していた松武秀樹は、時間の無駄であると明晰な頭脳で判断を下し、開発途中のテクノポップ自動作曲装置の待つラボへと引き返した。
The end of Asiaが流れる。
「あ〜あ、YMOはいいバンドだなぁ〜」
【これはフィクションであり、いかなる特定の個人及び団体とも関係ありません。また細野さんがやけに悪人風に描写されているだとか、メンバーの性格設定がステレオ・タイプである等についても知ったこっちゃないです。】
少しばかり苦言を言わせてもらう。細野さんの選曲について「異論」があろうはずはないが、ラストに『the end of Asia 増殖版』を置く演出には興ざめした。それまで高度な純音楽的な喜びに浸っていたところを、「あ〜あ。日本はいい国だな〜。」という妙に生臭いメッセージ性を突き出されては、台無しである。どんなに新しい解釈を付しても、もはやあの言葉は無効である。なぜならYMOは今やカウンターカルチャー的存在ではないからだ。現在、YMOは初めからある種の敬意をもって迎えられる存在である。あれは寒い。オヤジギャグである。
寒いといえば、『YMO GO HOME!』のプレゼンテーション全体が寒い。やはりYMOがもうカウンターカルチャーではないという切実な認識が欠落しているからだ。時間の経過とともにカウンターカルチャーが、ハイカルチャー的存在へ逆説的に転倒するということは往々にして起こる現象だ。
スネークマンショー的なコピーをひっくるめた総体が、(かつてYMOが嫌った)商品化された仮想カウンター・カルチャーに失墜している。(一部の懐古趣味的なYMOファンを対象とした)マーケティング的には有効かもしれないが、あのプレゼンのノリが確信犯的でないとしたら、その時代認識はちょっとヤバイぜ、という気がする。パロディーという点についても、細野晴臣の最後の演出的な選曲がパロディー化を失敗させてしまったと思う。僕が「MOMIAGE」に執着をもてなかったのは、あのしらじらしいノリに同調したくなかったという意識も働いていたからだ。僕個人はYMOの楽曲を純然たる『古典』として楽しみたい。
細野晴臣はライナー・ノーツの『はじめに』の中で『今世紀を最後にYMOとお別れしたい』と語っている。そんなことを言ってみるのは、とりもなおさず彼自身がYMOへの執着を引きづっていたのではないか、と想像せざるを得ない。しかし、彼の言葉を尊重すると共に新世紀へ向かっての新たな旅立ちを祝福したい。YMO再結成の可能性は、これをもって完全になくなった。
翻って、成功したバンドでありながら、終わらせよう、いや再生だ、といった点に、これほどまでにこだわり、頻繁に話題にされてきたバンドも珍しい。
さて、なんだかんだ言っても結局最後は、ありがとう細野さん、と言うべきでしょう。
#とりあえず因縁の(笑)『BGM』と『テクノデリック』は聴いておこうと思っている。
(10/12 '99)
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