12.ウィンター・ライヴ 1981
〜 回復しゆくアイデンティティ、そしてテクノ演奏史の金字塔 〜

前回のワールド・ツアーまでは、とにかく未来から来たような電子音楽のステージとはおおよそこんな感じだろう的な手探り半分、ハッタリ少々のステージだったが、ウィンターライブのステージデザインは、我が意を得たりといった出来栄えだ。このライブでやっとYMOの前衛性にヴィジュアル面が追いついたような感がある。しかし、またこのライブはマジメなYMOとしては、最後のライブとなってしまった。舞台美術を担当した奥村靭正は、後にADC賞受賞している。

このライブの模様は現在でもビデオで観ることができる。そしてこのライブ・ビデオの編集はやっとこさ恥ずかしい野暮ったっさから解放された最初のライブ・ビデオでもある。YMOに関しては、いつもそうだ。他のものは後から着いてきた。捕らえたと思った時には、もう彼らは先を走っていた。ステージ衣装のみは、当のメンバーの一人である高橋幸宏自身がデザインに深く関わっているので、演奏曲の前衛性との違和感がない。ともかく彼らはとても急いでいるようだった。彼ら自身の熟成すら待たず、多くの矛盾やら破綻をはらんだまま電光石火の如く我々の目の前を横切っていった。このように落ち着き払ってYMOについてしゃべっている僕にしたところで、当時はただ圧倒されているばかりだった。

『その頃坂本龍一は心身不調だったと思う。(中略)次にテクノデリックのころは、逆に僕が不調。』(コンパクトYMOより。細野晴臣)

そのような内面の凶凶しい葛藤を音楽へ昇華する形で出来上がったのが、「BGM」や「テクノデリック」だ。ユングっぽいことを言ってみると、大きな苦悩を抱えた人が、その回復期に時としてある種のシンボルを提示することがある。第2回ワールドツアー後、YMOは奥悩していた。いや、ほんとに。一言では、言えないけれど、当事者にはいろいろある。基本的にマジメな人達だし。細野や坂本が心身不調に陥ったのは、音楽的な志向性の食い違いだけが原因ではないだろう。ファンというのは呑気なもので当時は全然気がつかなかった。

ステージ全体の印象は、ロシア構成主義にインスパイアされたらしいデザインに統一されている。赤や白や黒や青などの、円や四角や三角などのシンプルな図形の組み合わせによる力強いステージ・デザイン、つまりは第2期YMOを象徴する図案だ。誰の思いつきかわからないけど、冴えてる。(なんとなく細野さんのような気が・・・・・というもの写真集OMIYAGEで披露された彼の所蔵品にそれらしいものが含まれてるから。)そもそもファースト・アルバムでバンド名をロシア語アルファベット的な表記をするあたりから既にその兆候があったのかもしれない。

そして、はっきりとロシア構成主義の模倣が現われたのが、僕の知る限りでは、二回目のワールド・ツアーの武道館のポスターだ。さらに坂本龍一のサード・アルバム「B2-Unit」のカバー・・・・・・。これらの図案からは、単なるファッションを越えて、何かシンボリックな力が感じられないだろうか。僕には、あれらの図形の構成は、もはやYMOの深層心理のシンボル(←ユングのいう厳密なものでなく)の表出に達していたように感じられる。

特定のルーツや手本をもたずに混沌の中から音楽を生み出す彼らには、あのような強力な象徴が必要だったと仮定することはできないだろうか。なんてなことを僕が言い出すのは、もしかしたら中沢新一が「チベットのモーツァルト」の中で、ロシア構成主義の絵をイコン(聖画像)と照らし合わせて論じていたことに知らぬ間に影響されてるからかも。でも、本当にあの一連の図案って、なんか妙にその頃のYMOにふさわしいと直観されたものだ。たぶん彼らは無意識のうちにシンボルを求めていたのじゃないだろうか。僕にはどうしても(人民服のような)単なる思いつきだけには思えない。

前述の話に沿っていえば、マスに掻き乱された彼らの内面世界やYMO自身がはらむ混沌の危機から、再びアイデンティティを取り戻し、その証として、ロシア構成主義を模したシンボル群で武装し、聴衆の前に現われた、とは言いいすぎだろうか。なにしろ今回は、それまでのライブ演出とは対照的に、演奏器材もおおかたステージ・デザインの懐に隠れてしまっている。もう手のうちは明かさないぜ、とまではいわないものの、なんとなく自閉症気味に構えているように見えないだろうか。無論具体的にステージの設計に着手したり、ビデオ編集を実行したスタッフは、単に素朴な美的好奇心に動かされていたに過ぎないだろう。しかし、彼らとて無意識の次元では、YMOに巻き込まれることを逃れることはできなかったハズ。

演奏は、ビンテージ・シンセ演奏史の金字塔ともいうべき名演奏。このテキストを書くために久々に「ウィンター・ライブ’81」を収録したビデオを観た。素晴らしい。僕はあまりこいうことは言いたくないのだが、依然として国内外ともに正当な評価がなされてないと思うので敢えて言わせてもらうと、シンセサイザーを表現の中心においたバンドとしては、当時、世界最高峰と断言してよい。これはYMOファンの身びいきからのみ言うのではない。

YMO散開後、僕は、欧米諸国ではYMOよりずっと知名度のあるこの系統のバンドの曲を一通り聴いたが、その印象はついに変わらなかった。(具体的なバンド名はいろいろ支障があるので挙げない。)大抵、アイディアが冴えていても力量がついていかない不完全燃焼のバンドばかりだった。アダルトで怪し気な渋さで才能の貧困さをカバーしようというものもよくあったが、繰り返し聴くと忽ち土台の脆弱さを露呈する。ついには、MTV時代の到来ともに商業ベースの音楽に収斂され、事実上敗れ去っていった。

それに対して、YMOの打ち立てた名曲群のなんという見事さだろう。まるでそそりたつ巨大な英雄の彫像の如く威風堂々たる姿ではないか。YMOのように隅々まで才能の充実がみなぎった完成度の高い曲を創造できたシンセ・バンドを発見することはできなかった。また、YMOほどビンテージ・シンセの表現の可能性を最大限に発揮させたバンドもない。もしYMOの全貌を目の当たりにしたならば、欧米の聴衆はひどく嫉妬しただろう。依然として正当な評価がなされないことには、YMO自身にも大いにその原因があるが、最大の理由は、単なる無知、そして彼らが東洋人だったからだろう。西欧人は、日本の伝統文化の担い手に対しては、面映ゆい程の敬意を払うが、80年代当時、彼らと同じフィールドで活躍する東洋人ミュージシャンに対しては、抜きさしがたい偏見があったようだ。現在はそのへんも変化しつつあるが。

『演奏曲目』(新宿コマ劇場。12/22 '81)
(1)来るべきもの (2)プロローグ (3)ジャム (4)灯 (5)バレエ (6)カムフラージュ (7)階段 (8)新舞踏 (9)ミュージック・プラン (10)ハッピー・エンド (11)京城音楽 (12)インストルメンタル (13)キュー (14)キー (15)体操 (16)テクノポリス (17)ライディーン (18)コズミック・サーフィン (19)体操 (20)エピローグ

映像(CBS/SONY)もCD音源も入手可能(京城音楽、テクノポリス、ライディーンは除く。)坂本龍一がCUEではドラムを叩いたり、新舞踏ではエレキ・ギターを弾いて(?)聴衆を驚かせた。また、高橋幸宏はドラマーに専心しなくなった・・・・・・・。コズミック・サーフィンのアレンジが凄絶!メンバー3人及び松武秀樹もノリノリ。ディストーションっぽい音色で奏でる坂本のキーボード・プレイが見物。ほとんどヘビメタのギタリスト(^^)

「体操」の時、ランニングにタンパン、ブルマー姿の男女がステージ手前に並んで体操するという演出がある。僕は個人的には、これは違うと思う(^^;; なんというか、これは、つまり「ビックリハウス」的なノリだ。ビックリハウスは、いわばカウンター・カルチャー的な雑誌だった。で、見かけ(服装や発想)だけ奇抜にして、個性があるかのように振る舞っている人がよく読んでいた(偏見だったらごめんちゃい。) 僕にとって、「BGM」や「テクノデリック」は、とてもエレガントで洗練されたものなので、あのような演出には非常に抵抗があるし、あれでは、「BGM」や「テクノデリック」が徒花的な変態と誤解されかねない(泣)
「テクノデリック」の項でも書いたが、エピローグってのはやっぱりYMOへの告別を意識して作曲されたのじゃないだろうか。


『ツアー・スケジュール」』
11/24 仙台 宮城県民会館
11/26 盛岡 岩手県民会館
11/28 広島 郵便貯金会館
11/29 大阪 フェスティヴァル・ホール
12/01 名古屋 市民会館
12/02 京都 京大西部講堂
12/07 札幌 厚生年金会館
12/16 福岡 サンパレス
12/18 金沢 観光会館
12/22 新宿 コマ劇場(24日までの3日公演)

なぜ海外公演をやらなかったのだろう。そりゃーYMOも落ち目だったからさ、などと言う人もいるかもしれないが、当時の音楽事情に詳しい人ならば、僕の疑問をハナから否定したりはしないだろう。僕はむしろニュー・ウェーブの本拠UKあたりの方が日本よりもよっぽど受容する土壌が整っていたと思う。この頃のUKには、いろんな変わった音楽を受け入れる自由な気運があった。せめて、UKかドイツあたりでもやってほしかった気がする。少なくとも「玄人受け」はしたと思う。でもこの時期のアメリカはダメだ。保守的で田舎もんだからだ。それに海外公演だと細野さんが、忽ちまた温泉行きたいと言い出しかねないけど(笑)ところで、「BGM」のジャケットには有名な温泉マークが記されているが、YMOのメンバーにとっては、やすらぎの象徴ともいえるだろう。

'82 1/3 ウィンター・ライブの模様をオンエア(NHK FM)
ビデオ未収録の「キー」「テクノポリス」「ライディーン」も放送された。テクノポリスもライディーンもほぼオリジナルを再現するような演奏。例えば、ライディーンの間奏部分もライトサーベルの擬音で通過。この放送にはイモ欽トリオも出演した。細野晴臣がヨシオ(だっけ?)役を、坂本龍一がフツオ役を、高橋幸宏がワルオ役をそれぞれ演じて、ショート・コントを挟みつつ演奏曲目が放送された。イモ欽トリオはYMO役。

ともかく、あれだけストレートに内面の事件を作品の形でさらけ出せば、鬱積していた心も洗われて、いや〜すっきり、みたいな充足感があったに違いない。YMOとは、実に好き勝手な連中で、青かったりもしたが、だから面白かったし、ワクワクさせられた。

(第1稿 2/18 '99 脱稿)

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