1.「プロローグ」
音楽が本当に面白くなったのは,YMOを聴き始めてからだった。

僕が初めてYMOの曲を聴いたのは小学生の頃だった。 家に立派なステレオコンポがある仲のいい友人が「ソリットステイトサバイバー」を録音したテープを僕に勧めてくれたのだ。 その時僕は(今でもよく覚えているが)、「電気や機械でつくった曲なんてダメだ。」などと小理屈をこね、 可愛くないことを言った。その友人は穏和な笑みを浮かべながら僕を諭すように「とにかく聴いてみな。」と言ったものだ

しかし、数日後には僕はヘッドホンを装着して、 ボリュームをいっぱいにしながらYellow Magicに陶酔しきった自分自身を見いだすことになる。 本当にショックだった。 もともと音楽は好きなほうだったので、小学校の歌集をいつものように開いては、 歌ったりして楽しんでいたが、その時ほど音楽に心を深く動かされたことは未だかつてなかった。 それは、まだ音楽的に未開だった僕の魂を激しく揺さぶった。僕は目覚めた。

Yellow Magicの不可思議な和声は、僕の中にビッグッバンを起こした。 まるで宇宙を浮遊しているような、ヤバイぐらいの強いトリップ感だった。(もっとも僕は音楽を聴くなら、 たまにはそこまでいかなきゃ意味がないと思っているが。) 今思えば、そのオルガスムスにも似た陶酔は、思春期特有の感受性と生理の成長と連動してもいたのだろう。

「YMOチルドレン」といわれる人達は大なり小なり僕と共通の体験をもっているのではないだろうか。 また、当時はまだYMOに限らず本格的に音楽を必要とする年齢を迎えた少年や少女に、 より純粋に音楽的な醍醐味を体験させてくれる同時代の音楽があったのだ。 カラオケの「歌い捨て音楽」が蔓延している現在よりずっと恵まれていた。

さて、このYMOに関する企画をどういうものにするのか、僕は僕なりにいろいろ考えてみた。 思いっきり晦渋なものにしちゃおうかとも思ったけれど、そんなものだれが読むものか、と思い直したりもした。 ネット上に公開する以上、これは誰かに向かって発信しているのだ。(たぶん。) そういうわけで、この企画をどうすすめるかだけれども、 やはりYMOの活動を時系列的にたどっていくことをベースに話をすすめるのが気楽でいい、という結論に落ち着いた。 それなら僕にもできそうだ

詳細なバイオグラフィーやディスコグラフィーは、他のひとがHPで既に優れたものをいくつもつくっているので、 検索サーバを使ったり、僕のHPにリンクしているYMO関連のHPで確認されたい。 僕としては、エピソードをたくさん盛り込んで自分なりのメンバーの人間像やユニークなYMO像をわずかばかりでも浮き彫りにできたらいいな、 と思っている

いずれにせよ。 少年時代、YMOによって鮮烈な音楽体験をし、その後も反発から受容を経ながら影響 を受け続けた者として、これはやっておかなくてはならない。 そんな気持ちでいっぱいである。まずは、押入れに長い間眠ったままの資料を掘り起こさなくちゃ。

(97 11-12月 第1稿 脱稿)
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