鎮 魂 譜

半田峰二会員

  半田峯二会員

6期

昭和28年2月3日没

上越支部創設、岩登りと山スキーの名手

半ちゃん、群峰の彼方へ旅立つ

成したるを誇らず 成さざるを卑下せず

  天真爛漫をもって 岳人の本領とする

(上越支部を創設した半田会員が支部会員に遺した言葉)


山スキーの名手半田会員

岩登りとともに山スキーの名手でもあった

天神小屋

拠点にしていた天神小屋(現在はない)

 


遺 稿

   阿能川岳  昭和22年5月3日

  六時半、水上の中島宅を脱出して谷川温泉への道を行く。静かな雨、麦畠は一際鮮やかに、その慈雨の中に銀の玉を後から後からと滑らせている。幕岩は雨雲が傘のやうに展がって、あのどす黒い岩肌を覗かせていた。

  七時、谷川の部落に着く。関口宅で一時間程雨宿りをした後、意を決して本谷へと向かった。

  残雪は牛首附近よりちらほらと散見され、此の辺りから雨は霙と変って来た。牛首より二俣迄は概して左岸を通ったが、四回程膝迄の渡渉を余儀なくされた。二俣で暫く休息をした。細芝沢出合迄は、最初の中は左岸を通り屈曲点でスノーブリッヂを渡って右岸に移り、無数のクレバスを越え細芝沢出合へたどり着いた。

  ゾンメルを履いて少時登ると沢はS字形に曲り、そのすぐ上で右岸より枝沢が入っている。やがて三俣になり、阿能川岳へ直かに上る右俣に入った。他の二本の上部はルンゼ状になり、主尾根に突上げて大きな雪渓の後を見せている。

右俣出合は相当の傾斜を持ち、百米程登るとすぐ小棚に突当った。棚はすっかり埋っているので、その儘右岸を階段登りで上れば、沢は左に曲ってゴルジュ状となっている。

  この頃より猛烈な吹雪となって来た。アイゼンを着けてステップを切り乍ら登ると二俣となり、左俣は悪るさうなので右俣に入り枝尾根に取付いて、ゾンメルを履き、雪の有るやうな所をえらび、約二時間のアルバイトを費ひやして阿能川岳の雪頂を踏むことが出来た。

  頂上は広いスロープでT路状になっている。風速二十米位の吹雪で視界はきかず、地図、磁石を頼りに主尾根を東に下る。数分下ると尾根が岩峯に突当る。少し戻り右に尾根を東に下る。

  どうも阿能川に下りそうなので、又主尾根に登り下降路を探すがわからない。先に土合の喜代志さんが阿能川を大分ショッパイ思ひをして下った話を想ひ出し、阿能川を下降し始める。さっき下った尾根を右よりに下り沢に入り数分下ればゴルジュ状になる。傾斜は大分強くなり、吹雪で十米位しか先が見えず困った。棚とおぼしき所を横すべりで下った所が急に傾斜がついた為か、ずーずーと流され、クレバスに横たおしとなって落ちてしまった。

  上部を見ても登れさうもないし、ザックを下しピッケルを持ち雪のうすい所をねらひ、穴を開け、そこよりはひ出した。完ビショでどうにもならず、これ以上動けば疲労するばかりだと思ひ、体力のある内にツエルトビバアクする。

  朝になると昨日の悪天候は跡形もなく片雲一つない快晴となる。昨日の残った飯でおじやを作り朝食後六時おカン場を出る。アイゼンを着けてピッケルでステップを切り乍らゴルジュ状の所をぬければ、後はゾンメルにはきかへ沢通しに二たび阿能川岳に立つ。

  展望はすばらしく、幕岩、鷹ノ巣の岩壁を偵察するには絶好の場所である。昨日の岩峯まで行って見ると判らぬのはあたり前で岩峯より右へ急傾斜な沢を下り、左へまき乍ら下の尾根にとりつく。(下降の時は人工雪崩を誘発して困った)

  それより何の事もなく一〇七三・三の三角点に立つ。この辺より雪がなくなり、水を飲みたい為右へヤブをこぎ沢に下る。此処でのんだ水は実にうまかった。

  連続せる小棚を一気に下り出合につく。それより林道をゾンメルをかつぎ口笛を吹きながら水上の中島宅へ。

(鵬翔第72号昭和22年6月発行より 原文のまま)


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