アンティオタキウス3世のビルマ旅行記(1995年9月)

 私は、アジアの音楽に興味があっていろいろ集めている。大消費都市東京にはたいていのものがある。しかし情報は極端に偏っているように思われる。だから収集対象は純粋に自分の好みで選択しているのだが、自分の評価と現地の評価がどの程度異なっているか知りたいとも思っている。そこのところを実地で確認してみるというのが、わざわざヤンゴンまで出かけてきた目的のひとつである。といっても、識者にインタビューするつもりはない。テープ屋で客として店員とのやりとりのなかで現地情報を掴む。うまくすれば隠れた名盤が入手できるかもしれない。そうなれば一石二鳥だ。

 まずは、親切で商品知識豊かな、できれは私と趣味の合った店員のいる店を探すことだ。
そう考えて、ウインドーショッピングにいそしむ。どんな人がどんな音楽を買うのか、客と店員のやりとりを観察するのも楽しい。
 しかし問題がある。ヤンゴンのテープ屋は小さい店ばかりだ。自分は外人だから目立つ。ある店では、店員(美女)から挑まれるような強い視線を浴びた。「俺がいい男だから見とれている」なんて考えるような精神構造は残念ながら持っていない。ポップ・ロック系が主体で、外国ものの海賊盤もたくさんあるこぎれいな店だから、外国人が何を買うか興津々、あるいはお手並み拝見といったところか。なんて考えていたら、店の人が私に何か言った。母音の多い、もたっとしたことばだ。ビルマ語じゃない。ひょっとすると日本語? 通じないとわかって彼女は黙ってしまった。ちょっとまずい雰囲気だ。とりあえず1、2本無難なものを買って退散することにする。私は気が小さいのだ。
 まず、店の前に大きな看板が出ていた昨日発売になったばかりの新人ポップ歌手のデビュー盤。(歌はへたくそだった。日本で流れているのと同じコカコーラのCMソングをビルマ語で歌っている。ヤンゴン市内ではペプシ(日本とは全然味が違う ビン入り1本約10円)ばかりでコークは見かけなかったが)それからフォーク系の無難な歌手の新譜。テープを指さして「これと、これをください。」「いくらですか。」とビルマ語で聞いたのに、流暢な英語で値段を答える。これはよくあることだし、実際そのほうが助かる。私はビルマ語の数詞をよく聞き取れないのだ。
「今の人、何買ったの?」という店員同士の会話を背中に聞く。 


 外人が店に入ってきた。同胞かもしれない。
妹が、話してみたらと目配せするので、話しかけたら
(註1)、困惑した顔で「○◇□△▽○◇□。」と何か言ったけど、さっぱりわからない。
「だめだめ通じないわ。替わって」と妹を促す。妹は英語ができる。「英語はできるか」と聞くと、うなずいて「★●◆▲■★◆▲★★●◆▲■★◆。」
「わかる?」 
「わかんない。」
(註2)
「パパならわかるわよ。パパはどこへいったのかしら」と言ってるところにパパが戻ってきた。いままでのいきさつを話すと。私にまかせなさいとにっこりうなずいて、流暢な中国語で話しかけたけど、やっぱり通じない。
「この人日本人だよ。」
「なーんだ」と一同ため息。日本人は一瞬険しい顔をしたが、またもとの顔に戻って「△▽○◇□ガ、ホシイ、、、」と言った。どうやらビルマ語を少し話せるらしいけど、言ってることの意味がわからない。
「△▽○◇□て何のこと」
 日本人は少し考えてから「サイン」
(註3)と言う。
「何、サイン?サインってこれ?」と叩く身ぶりをすると、「ハイ」と答える。サインのテープを2本出して見せると。「コレハモッテマス、カイマシタ。」「フルイノガホシイ。フルイテープ、、
(註4)」と変なことを言う。うちの品物はみんな新品だから、古いのはない。「ない。」と言うと今度は「サウン」(註5)と言って弾く身ぶりをする。
発音はおかしいけど身ぶりでわかったから、サウンのテープを出して「これでいいの」と聞くと、うなずく。
「試聴しますか?」「きかせてください。」
 音楽が始まると日本人は眉間にしわをよせて、不機嫌そうな顔をする。ときどき首をかしげたりもする。
(註6)どうも気に入らないみたいと思ってそのテープをしまおうとすると「コレカイマス」という。外国人の考えていることはわからない。
こうして日本人はテープを何本か買って「アリガトウ」と言って帰っていった。
(註7)
「アリガトウ」という言い方がおかしかったので、みんなで笑ってしまった。
   
(註)

1 中国語らしい。

2 この会話はビルマ語である。不思議なことにこの外国人には彼女達同士の会話はだいたいわかるのだが、彼女達との会話となるとさっぱり通じないのだ。

3 ビルマの伝統楽器。小型の音程のある太鼓を円形に並べた旋律楽器。これを中心にした楽団もサインという。

4 古い時代の録音と言いたかったらしい。

5 あの有名なビルマの竪琴

6 テープの音に歪みが多く回転むらも目立つ。これが装置のせいなのか、テープのせいなのか判断に苦しんでいるのである。

7 この日本人は50歩ほど歩いてから、主人となら筆談という手があったと後悔している。


 よい店を見つけた。店員は30代半ばといったところ、知的でしかも誠実そうな男だ。ここで少しまとめ買いをしようと思う。
 2人組の男が入ってきた。一人は学生風の青年、もう一人は中年。青年はこぎれいな身なりをしているが、中年男の方はうす汚れてだらしがない格好をしている。少し酔っているようにも見える。青年がロック系の曲を試聴しはじめた。中年男は青年の叔父か?どうやらスポンサーのように見える。
 中年男が店員に何か言っている。からんでいるようだ。やはり酔っている。「エングレイ ザガー ピョー、、、(英語を話す)」と言う単語が聞き取れた。店員と目が合った。困惑した表情を見せた。どうも話題は私のことのようだ。
「外人の客がいるぜ。英語で話してやったらどうだい」とかいっているのに違いない。そしてたぶんこの店員は英語が話せないのだ。

 ひとます、退却することにした。少し離れたところで、男が店を出るのを見届けてから再びその店の前まで来ると、店員が私を見つけて奥から出てきた。「お待たせしました、どうぞ中へ」というように身ぶりで示す。よし、いい雰囲気だ。
 「チュノ ミャンマー テイギータ ウェージンデー(私はミャンマーの歌を買いたい)」とたどたどしく言ってみる。
「ミャンマー テイギータ、、、」と店員が低い声で繰り返す。通じたようだ。

 まず、ママエー(註1)が出た。(註2) テープがかかる(註3)。知っている曲だ。ちょっと驚かしてやろうと思い「マウン アチッ ミャー(直訳すれば「あなたの愛の矢」)」とタイトルを言ってみるが、相手の表情はかわらない。「マウン アチッ ミャー」と(かなで書けば同じだけど)正しい発音でで返す。声の様子からして、とても無口な人であることは間違いない。
ちょっとテープにあわせて小声で歌ってみせる。これは効いたようだ。びっくりしたようだ。これでまず変なものを売りつけられることはあるまい。
「ミャーミャー ウェージンデー(たくさん買いたい)」と言ってみる。
「ミャーミャー ウェージンデー(たくさん買いたい)」と相手が繰り返す。会話教室みたいになってきた。
ティン・ティン・ミャ、チョー・ピョウン、キン・ニュン・イー、メー・イゥエッ・ワー、メー・スゥイ、ニニ・ウィン・シュエ、ヘーマー・ネー・ウィン(ああカタカナ表記は難しい)など有名どころの歌手のテープが並んだ。だが残念ながらその多くはすでに持っている(東京で5〜10倍の値段で買ったのだ)。
 「ダー ウェー ピービー(これは、もう買ってしまった。)」と言ってみる。
 「ウェー ピービーラー(買った?)」「ホゥッケ(はい)」同じ歌手の別のテープが出る。意が通じた。以後、このフレーズは買い物の際の常用句となる。
 店の奥から年輩の男が「ニニ・ウィン・シュエだ!」という。
 「もう買ったってさ。」「ヘーマーは?」「ヘーマーも持ってるって。」
奥の男は経営者か、父親か。店員(若主人なのかもしれない)はうるさがっている。
 結局この店では、店員(主?)推薦の10人本のテープを買った。店を出るときには、道路まで出てきて「チェーズーティンバーデー(ありがとうございます)」とていねいに礼を言った。(ビルマ人は感謝の意をおおげさに表面に表さない聞いていたので、こちらが恐縮してしまった。)
 滞在最終日に、おみやげ用にこの店でニニ・ウィン・シュエの最新盤を10本買った。

(註)
1 ベテラン女性歌手。歌謡界の大御所的存在

2 ミャンマーではテープは高額商品なので、たいていの店ではガラスケースの中 に納まっていて、客は直接手に取って見られない。 

3 テープは試聴してから買うのが常識。テープを選ぶと、黙っていても店員がかけてくれる。
ミャンマーの音楽産業は零細企業である。街の小さなテープ屋がレーベルを持っているらしい。といっても版権保有者、スポンサーといった役割なのかもしれない。プロデュースやレコーディングは別の専門業者やっているようだ。歌手もプロデューサーも特定のレーベルに属しているわけではないようで、 どの歌手もレーベルは一定していない。ジャケットには必ずプロデューサの名前 が明示されていることからして、制作はプロデューサー主導で行われているよう だが、歌手とプロデューサーの結びつきもレーベル同様その都度といった感じがする。

 テープ屋は店の奥でオープンリールのマザーテープ(カセットテープ普及 前のコピーマシンの主流だった4トラック19cm/s 7インチ 昔のオーディオは金がかかった)から市販のカセットテープにダビングし、ジャケットをつけて売っている。このジャケットがいわば版権となるらしい。要するに小売店のライセンス生産方式なのだ。したがって同じジャケットのテープでも使っているテープが店によって違うのは当然のことで、機材が違えば音質も違うし、ピッチが 違うこともある。ダビングはのんびりとした家内工業式でやっているから不良品も少なくない。時には全く録音されていなかったりすることもある。したがって 注意しないととんでもない粗悪品をつかまされる恐れがある。

 試聴の方法はまずA面の最初の部分をかける。異常がないことを確認させ、テープを裏返してB面の最後を聞かせる。これで異常がなければもう文句はいえない。再生装置はたいていラジカセのようなもの(たぶんタイかマレーシア製だろう、日本ではみたこ とのないかたちのものだ)でオートリバースはついていないようで、どこの店で も店員がすばやくテープを止め、ひっくり返す手際があざやかであった。
 こういう状況だから、売上げ本数なんてわからない。ヒットチャートなんかもちろんない。海賊版は出し放題?ミュージシャンはたぶん1曲いくらの契約で印税なんかないんじゃないかと思う。だから稼ぎたい歌手は毎月のようにアルバムを出す。そんなハイペースでオリジナル曲ができるわけがないから、中身はなんでもありのインターナショナル大カバー大会となる。こういうのをビルマ語でやるのである。アルバムにクレジットされているバンド名から推測して、スタジオミュージシャンの数は少なく多忙であるはずだ(ギャラも安いにきまってる)。
 だから玉もあれば石もある。ヘイマーネーウィンなどがこの例にあたる。シュエピトキハウンイェ(ビルマの古い流行歌のリメイク集)のような傑作を出したかと思えばワールドナツメロポップス集みたいなつまらないものを、全く気合のはいらない、やっつけ仕事でしてしまったりする。そこがまたおもしろいといえばおもしろいころでもあるんだけど。

 さて、こうした家内工業的生産方式は次第になくなっていく傾向らしく、最近の新譜では専門の工場?(マレーシアかシンガポールあたりでやっている可能性 がある。CDはシンガポール製が多い。東南アジアの音楽産業は華僑が牛耳っている)で量産しパックされているテープが多くなってきた。やがてはすべてこの 方式となるだろう。そうなれば不要となったダビング用マザーテープが安く入手できるかもしれない。実はすでにマザーテープを14本ほど所有しているのだが、 その入手に際しては相当の出費を強いられているのである。       


 俺はSの店で油を売っていた。Sは古くさい流行歌が好きで、お気に入りの歌手を絵描きに油絵で描かせて、店先に飾って得意になっている。
 俺には流行歌の趣味はない。聞くならROCKだけれど、テープを買う金もないのにSの店に入り浸っているのは訳がある。Sの店は間口2間ぐらいなんだが、半分がテープ屋で半分がカメラ屋になっていて、実はカメラ屋の店員のH嬢が俺の目当てなんだが、俺に写真なんて贅沢ができるわけがない。
 今日はどこの店も暇らしく、カメラ屋には近所のおばさんが数人寄り集まって、世間話に興じているのだが、俺はあのおばさん達にあまり良く思われていないので、彼女たちが解散するのを待つ間、S嬢が好きそうなテープかけて時間をつぶしていたというわけだ。

 Sが店先で客と話している。客が「これは、ニニ・ウィン・シュエですか?」と言っているのが聞こえる。例の看板の歌手のことだ。変な発音だ。ズボンをはいている。外人だ。
「ワタシ、ニニ・ウィン・シュエ、スキデス。」なんていっている。Sは上機嫌で応対している。お気に入りのテープを示して"It is very good"なんて言っている。俺が聞いていたテープを止めて、そのテープをかける。外人は「アア、ソレハ、モッテマス」と言って出だしをちょっと歌ってみせるたりする。変な外人だ。カメラ屋で油を売っているおばさんたちも世間話をやめて、うしろでやりとりをながめている。

 外人は2、3本「モッテナイ」テープを買った。それから「キン・ニュン・イー、アリマスカ」と聞いた。うしろのおばさんが「キン・ニュン・イー!」とびっくりした声をあげる。
 ニニ・ウィン・シュエならわかるけど
(註1)、キンニュンイー(註2)とは確かに意外だ。
Sが何本かテープを出す。「トウキョウデハ、キンニュンイー、ウッテマセン。タクサンカイマス」というようなことをいっている。日本人らしい。金を持ってるようだ。キンニュンイーは売れ筋じゃないからガラスケースの中には何種類もはいっていない。奥の棚に在庫があるのだが、Sの奴は横着できちんと整理していないからなかなか見つからないので手伝ってやることした。
 俺は、棚からテープを探し出すと、次々に外人の前に並べた。外人は「オオ、コンナニタクサン。ウレシイ。」と喜んでいる。「ゼンブカイマス。スコシ、ヤスクシテクダサイ。」Sはうなずいて計算している。全部で1400チャットで売るつもりのようだ。
俺はSをさえぎって、1500チャットと言った。差額は俺の報酬だ。
不満そうなSから100チャットひったくてポケットに入れると、外人と目が会った。「文句ないだろ」と俺は目で言う。奴の目が笑った。

(註)
1  若くて(童顔だけどもう若くないという説もあり)美人(だと思う)もちろん実力派。
2 ベテラン女性歌手。歌は実に渋く、ど迫力。


 これで道路が狭ければアメ横みたいな雰囲気になりそうな商店街の一角にテープを売っている店があったのでのぞいていたら、少年の店員が飛び出してきて、「旦那、何をお求めで、、」というようなことを言う。
 歌手の名前を言うと出てきたテープは我が愛聴盤。「これは、もう買った。」といって、出だしを少し歌ってみせる。これは、なにも変な外人を気取っているんじゃなくて、「自分はこの手のものが好きなので、これと同傾向の別のものをくれ」という言い方ができないための苦肉の策なのである。「じゃ、これは?」「それも買った」「それじゃこれは!」と次々と出してすすめる。ずいぶん商売熱心だなと感心してしまう。
 結局、その店で十数本買ってしまったのだが、「これはメーカー製だから1本140チャット」とか「これはマスターテープからダビングしたもので1本90チャット」(註1)などと、ビルマ語と独学で覚えたらしいビルマ訛の英語(註2)のチャンポンで売値の説明をしたうえ、「たくさん買ってくださったので」と気前良くまけてくれた。

 私はなるべく一カ所でまとめ買いはしないつもりでいたので、翌日はその店をパスする予定だったのだが、歩道橋を降りてくるところで、見つかって手を振られたので、また彼の店の客になって、熱心にすすめられて10本ほど買ってしまった。
「ごはんはまだですか、食べていきませんか」なんていわれたけれと、付け焼き刃で勉強した会話本にそっくり同じ場面があったため、反射的に「もう食べた。」といってしまった。あとで考えると惜しいことをしたと思う。

 滞在最終日に、愛聴盤だが音質に問題のあるテープを買い直そうと何軒も回ったが、売れ筋ではないのか店頭に置いてある店はない。タイトルを言っても、発音が間違っているらしく通じない(註3)。違うテープを出したり、「ない」と言われたりする。
 最後の頼みは「彼」の店だ、手帳にうろ覚えの綴で書いて見せると、「わかった」と店の中にいる同僚の少年に指図する。
 同僚はしばらく探していたが、見つからない。だが彼はあきらめず隣の店へ走っていって目指すテープを見つけだしてくれた。(実は、私の書いた綴は間違っていたのだが)

 彼はもうすっかり私の好みを承知しているので、それからまた何本もテープを出す。しかし私はもうチャットを持っていないし、これ以上の買い物はバッグの許容量を越える。日本へ帰る出発の時間も近づいている。
 「私は今日、日本へ帰る。もう金がない」と身ぶりを交えて説明する 彼は「わかった、もう言うな」という素振りで遮り、真面目な顔になって、"I'm Chinese"と言った。少年だとばかり思っていたけれど、よくみれは20歳前後の青年だ。「君が中国人であることは最初からわかっていたよ」と言いたかったけれど、それは私の語学力を越えるので、黙ってうなずくだけにした。それから彼は合掌して何か言ったけれど、高級な表現らしく何を言っているのかわからなかった。
 彼が中国人だと名乗った真意はいまだにわからない。
 
(註)
1 ビルマのレコード会社は零細企業で、最近まで、テープ屋(自社レーベルを持っている店も多い)にマスターテープとジャケットを卸し、テープ屋が市販のカセットにテープにダビングして売るという方式をとっていた。
最近ではこうした家内産業的な方式はすたれつつあるが旧録音はまだこの方式のものが主流。そのため音質は悪く、店によってピッチが違っていたりすることもある。

2 高学歴の人は流暢な英語を話す。

3 綴と発音が不一致の単語が少なくない。


 ヤンゴンの夜は早い。夜の7時ともなると大通りもすっかり淋しくなる。もっとも一国の首都で人口300万といわれる都市であるから、にぎやかなところは探せばあるにちがいないが、わたくしはその方面の勘は鈍く、そもそも関心がない。むしろ暗く淋しい通りを散策するのが大好きなのである。
 とはいっても、ここは外国である。いかに治安が良いといってもほどほどにしないといけない。そんなことを考えながらボージョー・アウンサン通りを東にむかって歩いている。右にみえるのがアウンサンマーケット。昼間はにぎやかなこの界隈もすっかり人気がなくなって静かである。しばらく行くと今度は左手に通称青空マーケットがある。右手には巨大な煉瓦づくりキリスト教会が見えてくる。交差点の向うは広大な国立病院の敷地。このあたりは公共施設の多い地域で、古い建物をこわして整地されたところもあり、市内の中心部にかかわらず夜は誠に静かで行交う人もまばらである。ここで交差点を右折すれば、ほどなくわたくしが投宿しているホテルがある。

 今日はこのままホテルに戻ろうか、それとももうすこし歩こうかと思案していたときである。やせた背の高い、暗くて顔はよくわからないが40歳くらいの色の黒い女がなにやら困った事態になって助けを求めるような風情で近づいてきた。そして真剣な面もちで何か言っているのであるが、当方が外人であるということを全く考慮しない話し方なので、何を言っているのかわからない。ちょうどこの日の昼、アーロン地区ででまとわりついた元気のいい子供の乞食もやはりそうだったが、子供だけに論旨は単純明快で不思議なほどよく理解できた(おまえはそんな立派なサンダルをはいているのに金がないはずはないと彼は言ったのである)こちらは大人だからもっと複雑な論旨であろう。かかわりたくなかったので「私はビルマ語が話せません」とビルマ語で言った。相手は困惑した表情をした。
(ビルマ女性の困惑した表情と媚びの表情は日本人の目から見るとよく似ているとわたくしには思われる。)
 それから街路樹の回りの石積みを指さしてそこに座れと命じた。言われたとおりにすると 女はわたくしとならんで腰掛け、体を寄せてきたので、こうなればいかにこの方面にうといわたくしでも事態を認識し得る。「ンガーゼ(50)」と自分を指さして言う。自分は50歳だと言っているのではもちろんない。しかし50チャットでは安過ぎははしまいか。コーラ一本11チャット。モヒンガー(ビルマ式のそば)1杯15チャット、アメリカ製タバコは高くて65チャット。今日の昼飯は露店ではなく、食堂で腹一杯たべてたしか45チャット等々ヤンゴンの諸物価を思いめぐらす。しかし50ドルでは高すぎる。1ドル100〜120チャットが闇両替の相場で、労働者の日給が100チャットという所得水準である。やはり50チャットなのだろう。
 しかしここは天下の公道。いったいどこで。女は傍らの下水道を指さすのである。今は水がない、深さ約1m、イギリス植民地時代のものだろう煉瓦づくりの立派なものだ。だめだというと今度は道路の向うを指さす。そこは学校だ。女は芝居ががった甘ったるい声で50、50といいながら自分の体をさすったり、身もだえするまねをしたりして気を引こうとするのだが、わたくしには嫌悪感と憐憫以外の感情は発生しない。10万円いや100万円もらってもいやだ。そのうち女がわたくしの膝をなでたので、もうがまんできなくなってだまって立上がると、足早に立去ってしまったが、あとになってビルマ語会話臨時講師謝礼としてなにがしか渡してやればよかったかなと思ったくらい、ng音の発音を繰返して教えていただいたのである。

 ヤンゴンに着いた初日はこの街にはアジアの大都市で必ず目につくはずのものが3つ欠けていると感じた。ひとつは歓楽街、もう一つは乞食、3つ目は娼婦。いずれもめだたないけれどやはり存在する。ただしその存在様式はとても地味だ。

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