○船路橋 消えた都電の跡   ページ作成 : 2007/7  



 線路が、レールが好きだ。
 そして、かつての繁栄を偲ばせる廃線と、常に進化を続ける都会との組み合わせが好きだ。


 昔、東京には路面電車が走っていた。
 東京都が運営する路面電車だから一般には都電と言うが、発車するときに鳴らされるベルの音から、チンチン電車とも呼ばれていた。その路線は現在のバス路線と比べても遜色ないほど多彩で、山手線内側とその北東〜南東周辺の大抵の場所には、都電で行くことができたようだ。

 幼い頃、親に連れられて都電に乗った事があるような気がするが、場所などは思い出せない。
 その代わり、道路上に網の目のように張り巡らされ頭上を覆っていた都電の架線が、幼い日々を過ごした都会の空の記憶として、遠く残っている。

 都電の歴史は明治時代から始まり(その頃は東京都ではなく東京市だったので、市電と呼ばれていた)、戦後の復興を経て昭和20年代にピークを迎える。
 しかし車社会の発達に伴って道路の中央を走る都電は邪魔者扱いされるようになる。そして昭和42年から47年にかけて、現在も早稲田〜三ノ輪橋を走る都電・荒川線(右の写真)を除いて、全ての路線が廃止された。


 それから35年余り。当時の路線図を見ると、こんなところにも都電が走っていたのかと感慨深いものがある。しかし変化の激しい都会の中にあって、都電が走っていた痕跡を示すものは、現在ではほとんどない。

 例外と言えるのが各地に緑道公園として残る専用軌道跡で、例えば新宿区役所の東側にある”四季の道”や、江東区南砂二丁目にある”南砂緑道公園”、大島四丁目から亀戸駅前へ至る”大島緑道公園”と”亀戸緑道公園”がそれだ。適度な幅の、長く続く道と緩やかなカーブが、かつて都電が走っていたことを偲ばせる。
 その途中、亀戸サンストリート南側にある竪川人道橋には、モニュメントとして新しくレールの敷かれた歩行者・自転車専用橋もある。

 でも贅沢を言えば、レールのない軌道跡やモニュメントではなく、そこに本物の、当時のままのレールが残っていてほしい。鉄道は、レールあってのもの。ずっと昔の昭和の時代。街中に人々があふれ、埃っぽかったあの遥か遠くの記憶を呼び起こし、あるいは見たことのない風景を想像するために、それは是非とも必要な装置だ。

 そう思って数年前、現在も残る都電のレールを探しまわった。
 しかし予想通りというか、予想以上にそれを見つけることは困難だった。唯一、本物のレールに出会えたのがこの船路橋(ふなじばし)だ。




2004年6月 撮影

 場所は東京都港区芝浦四丁目。旧海岸通りから数十メートル南側に入ったところにあった。
 運河に囲まれた対岸の島は大正時代に芝浦6号埋立地として埋め立てられ、大正9年10月より東京市電気局(交通局の前身)工場が設置された。島の北半分は都電の車輌工場となり、電車両の新造・改良ならびに修理はもちろん、さらには防音防振対策や制動器の改良などの技術研究を行う施設として、たくさんの都電車両を生み出した。
 この島への都電の入出庫に使う橋が船路橋で、昭和28年に架設された。





2004年11月 撮影

 都電が廃止になってからは、車輌工場ではなく都営バスの修理工場として使われていた。船路橋に埋められたレールに都電が通ることはなくなり、以来この橋は30年以上この姿のままで年を経ていった。

 昭和61年、この場所を住宅市街地として再開発する方針が出され、平成13年にUR都市再生機構が東京都から土地を取得、開発面積6ha、計画戸数約4000戸の総合的な街づくりを行うべく、官・公・民一体となった再開発が平成16年に着工された。
 上の写真を撮った時もその再開発のため島のほとんどが柵で囲われ、更地の中を重機が動いている風景だった。






2007年6月 撮影

 そして平成19年5月、船路橋とそれがあった場所は、以前とは全く違う風景へと変わった。
 更地だった対岸の島は超高層のマンションをはじめとして、商業施設や公園などの総合的な街づくりがされた「芝浦アイランド」へと変わった。調和のとれた美しい街並みが、都会らしい景観を生み出している。
 上の写真は他の写真と同じ場所から撮ったもの。そのあまりの変化ぶりには郷愁を感じると言うよりも、都会らしい潔い成長を目の当たりにした、一種の感動の方が上回る。

 新しい船路橋の中央にはレールを模した模様が引かれ、アイランド側には橋の由来を知らせる看板が立つ。

 都電のレールを見ることは永久に出来なくなったが、その歴史は記憶となって生き続ける。





○撮影データ(ページ上の写真より)
・1段目  日時:2004年9月   場所:東京都北区
 コンパクトデジカメで撮影
 現在の東京で唯一残る路面電車、都電荒川線の車内からみた外の様子です。王子駅西側の本郷通り音無橋付近。
 道路上で邪魔者扱いされ消えていった都電ですが、荒川線が生き残った理由のひとつに、普通の電車と同じく専用軌道区間が多かったことが挙げられます。とはいえ、この王子駅周辺のように車の波にもまれながら走る、都電らしい区間もまだまだ残っています。


・2段目左・右とも  日時:2004年6月   場所:東京都港区
 カメラ:ミノルタ TC-1  レンズ:ミノルタ G-ロッコール 28mm F3.5
 フィルム:ベルビア  その他:絞り優先F8
 旧・船路橋には気の利いた装飾はもちろん欄干もなく、その極めてスパルタンな外観にはグッとくるものがありました。

・3段目左  日時:2004年11月   場所:東京都港区
 カメラ:ミノルタ TC-1  レンズ:ミノルタ G-ロッコール 28mm F3.5
 フィルム:ベルビア100  その他:絞り優先 F8
 (右側はコンパクトデジカメで撮影)
 島の開発が始まり、重機が忙しく動き回っているのが傍観できます。橋の両側は柵で塞がれ、撤去を待つのみとなっていました。

・4段目左・右とも  日時:2007年6月   場所:東京都港区
 カメラ:ペンタックス K10D  レンズ:ペンタックス SMC DA18-55mm F3.5-5.6AL (撮影時18mm)
 その他:1/125 F4.5 ISO100相当 JPEG撮影
 平成19年5月に開通した新しい船路橋は、芝浦アイランドと調和したデザインが施された美しい人道橋です。ちなみに橋の北側にある広い道路には、現在でも都電のレールが浮き出ているのが確認できます。晴海四丁目の倉庫街にある東京都専用線跡と同じように、レールを撤去せずにアスファルト舗装されたためです。これはかなり貴重な、今となっては東京で唯一と言ってもいい都電のレールの痕跡です。



もどる