○消えゆく東京都専用貨物鉄道 晴海線   ページ作成 : 2005/11/21  


 このページは、遠い日の記憶−東京都専用線の続編です。まず前記ページをご覧になってみてください。



東京都専用線 晴海橋梁


 東京港の晴海埠頭で水揚げされた貨物を運んでいた、東京都専用の臨港貨物鉄道、晴海線。30年余の歴史を刻んだその専用線は、平成元年2月に廃止されてから次第に痕跡を消していった。現在わずかに残っているものも、周辺の工場・倉庫の移転に伴う再開発の波にさらされ、加速度的に消滅し続けている。

 特に、晴海橋梁と並んで晴海線最大の遺構だった機関車車庫(機関庫)が、平成17年9月から10月にかけて解体され消滅したのは、晴海線ファン?の一人として大変寂しい出来事だった。
 東京港の物流を支え、ひいては日本の高度経済成長に寄与したという実利的な側面よりも、その貨物鉄道が存在したという確かな名残りに興味を引かれる。はるか先へと続く鉄道のレールを間近にしたときの、何か胸たかまる感情。錆びたレールと朽ちた枕木から発散される、懐かしい匂い。果てしなく発展する未来への希望があった、憧憬の、昭和の原風景。


 このページでは、その機関庫をはじめ、比較的廃線が残っていた晴海橋梁より西側の地域にスポットをあて、平成16年11月に遠い日の記憶−東京都専用線を作ってからここ1年程度の変化を、写真で追っていきたいと思います。




 上の地図が今回紹介する地域。戦前から存在している、東京湾沿いの埋立地だ。
 赤い線が、晴海線の線路があった場所。大部分が撤去されているが、現在(平成17年11月)でも線路跡を確認できる部分を、地図上では黒っぽく滲ませてある。





○晴海橋梁(平成17年11月現在、現存)


 あの優雅な曲線鉄骨の橋を撮るのに理想的な光線状態を求めて、早朝の晴海橋梁へ向かう。
 横から射す赤みを帯びた柔らかな光が、赤錆の浮く鉄橋を鮮やかに染め上げる。

 すぐ隣には晴海通りの橋(春海橋)が架かっていて、激しい車の往来がある。しかし、それを忘れてしまうほど、ここには時が止まったかのような雰囲気がある。


 橋の両岸にあった廃線のうち、フェンスに囲まれ150メートルほど残っていた東側の線路は無くなった。平成17年夏、隣接する地域の再開発工事が本格化したためだ。

 いっぽう、西側の廃線は健在だ。晴海二丁目にあるセメント工場と、晴海通りに挟まれた緑地部分には、数十メートルほどの線路が、かろうじて残っている。
 廃線跡はセメント工場へ出入りする道のところで終わるが、コンクリート・ミキサー車の往来するそのコンクリートの道にも、埋め込まれたレールが確認できる。


 鉄道専用の晴海橋梁は開床式、つまり橋の床が開いている構造の橋だから、下の運河が丸見えだ。
 橋の両端はフェンスで塞がれ、基本的に立ち入ることはできない。だから少々冒険をしないと見られないアングルだけれども、鉄橋から下を見るとこんな感じに見える。
 スリル満点だ。


 それはさておき、以前書いたようにこの晴海橋梁、撤去する計画はしばらく無いようだ。そればかりか周辺の開発度合いによっては、この橋を今度は人が通れる橋として復活させるという話もあるらしい。
 完全消滅を待つだけかと思っていた晴海線だが、まだ望みは繋がっているようだ。



 鉄橋の桁に打たれた銘盤には、東京都港湾局 1957年 の文字が見える。晴海線が開通したのと同じ、昭和32年の製造だ。


 製作者である石川島重工の製品記録には、
  注文主: 東京都港湾局
  名 称: 晴海鉄道橋
  型 式: ランガーガーター
  接 手: 溶接
  支 間: 58.8m
  重 量: 145t
 との記載があった。〔 石川島重工株式会社108年史 (昭和36年2月1日発行)より 〕





○機関庫周辺(平成17年10月撤去)

 セメント工場正門の西側に位置する、雑草と低木に覆われた荒地。東京都中央区晴海二丁目1番71号に、その機関庫はあった。

 6車線という広い幅と、2車線の高架陸橋をもつ晴海通りから2〜30メートルしか離れていないのに、そこは鬱蒼とした雑木林になっていた。
 木々が頭上を覆い、昼なお暗い林の中にひっそりと眠る、秘密基地のような建造物。最初はその不気味な状態に、近寄りがたい雰囲気を感じたものだった。


 上の写真は機関庫脇から晴海橋梁方面を見たもので、レールを横切って機関庫まで続く木道と、レールの分岐点であるポイントが見える。





 左の写真は、草に埋もれていた転轍機(てんてつき)。突き出ているレバーを向こう側に倒すと、近くにあるレールのポイントが動いて切り替わる仕組みだった。
 貨車入換のためのヤードをもつ晴海線は分岐も多く、昭和47年の記録によればポイントは54箇所、転轍機は17組あった。

 それ以外にも、周囲には錆びたレールや枕木、遮断機などが雑草に覆われ放置されていた。


 下の写真は、機関庫の南側の、道路が直角に曲がっている箇所にあった踏切警報機。長い間樹木に埋もれていたが、伐採されてから撤去されるまでのわずかな期間、その存在を周囲に主張していた。




 平成17年秋、ついに機関庫の解体工事が始まる。
 9月上旬から周辺の樹木伐採や整地工事が行われ、下旬には塵埃飛散防止のためと思われる覆いがされ、解体が始まった。重機の導入路が作られ、ユンボが慌しく動き回る。

 やがて10月に入った頃、機関庫はその姿を永遠に消した。雑木林も消滅し、周辺は完全な更地となった。





○ヤード跡(平成17年11月現在、ごく一部のみ現存)


 ヤードというのは、貨物鉄道の貨車の入替えを行う操車場のこと。
 いくつにも枝分かれした線路が平行に走り、目的の編成を得るために、貨車がそれぞれの線路に振り分けられる場所だ。

 機関庫西側の、晴海通り沿いにこのヤードはあった。
 その名残を残すのは、今ではほんの一部。積み上げられた土砂の隙間に、わずかに残るのみとなっている。





○機関庫内部(平成17年10月撤去)

 機関庫の中には、平成元年に引退してから動くことのなくなった2台の青いディーゼル機関車が眠っていた。
 冷んやりとした空気と、油の匂い。そこは、16年前から時が止まったかのようだった。


 機関庫の隅には机や石油ストーブが置かれていた。そこの壁に掛かった黒板には、機関車の整備状況が書かれている。

 また、壁には溶接機や作業着などが掛けられたままになっていて、工具、予備の部品なども、つい昨日まで作業していたかのような状態だった。ただ、うっすらと積もる埃が、時の流れを微かに表しているに過ぎない。



 しかし機関庫の撤去に伴い、2台の機関車も現地で解体され、鉄屑として処分された。
 晴海線を管理する東京港管理事務所ではこの機関車の引き取り手を探していたが、結局見つからなかった。いくつか引き合いはあった模様だが、60トン近い機関車の運搬方法や、再び機関車として使用する場合の法定整備などに問題があり、実現には至らなかったらしい。埠頭で水揚げされた貨物を力強く引っ張っていた勇姿を再び見ることは、永久にできなくなった。






○ピア晴海脇の分岐点(平成17年11月現在、ごく一部のみ現存)

 今は撤去され空き地になっているが、平成3年から10年まで、ピア晴海というシーフード・ビアレストランがあった。

 その敷地の東側に、雑草に覆われた廃線跡がある。舗装された駐車場に囲まれた中に奇跡的に取り残された、わずか50メートル四方ほどの一角。
 雑草の生い茂った中央の土盛りの手前の線路はセメント工場へ、向こう側の線路は機関庫方面へ向けて走っていた。





○上屋地区(平成17年11月現在、現存)

 上屋(うわや)というのは、晴海埠頭で船から降ろされた貨物を一時保管する公共の倉庫のこと。
 埠頭に備えられていた4基の高脚ジブクレーンも撤去され、晴海線も廃止された現在では、昔ほどの活気はないのかもしれない。貨車の代わりに、今ではトラックやフォークリフトが行き交う。

 この倉庫街を貫く道路が、晴海線が現役の頃は”道路”ではなく、”線路”だったことが伺える跡がある。線路のレール部分は舗装が薄いうえに路面の沈下が周囲とは異なるため、長年の車の通過により線路の形が浮き出たり、破損したりしやすいのだ。
 破損した箇所は再びアスファルトを盛って補修されたり、鉄板で養生されたりしている。それでも浮き出た線路の模様は、線路や枕木を撤去せずに、レールを埋めごろしにして舗装されたことを物語っている。

 

 この地区に3棟残された上屋のうち、蒲鉾型の屋根をもつ4号上屋は平屋建てで、主に紙類の保管に使われているようだ。
 残りの二つ、昭和30年代初期に建設された2号上屋と3号上屋は、1階は公共の上屋であるものの、2階以上を民間の倉庫とした多階建上屋倉庫になっている。
 さらに先には、日本通運の倉庫が併設された鉄骨鉄筋コンクリート造6階建の1号倉庫上屋や、2号倉庫5号上屋があったが、いずれも現在は撤去されている。

 この地域は現在も稼動中の倉庫があるために、すぐに再開発の波に呑まれることはないと思われる。楽観はできないが、晴海線の痕跡はしぶとく、しかし控えめに、その存在を主張し続けている。



※ 今回紹介した場所は立ち入りが制限されており、一部危険な箇所もあります。現場に行かれる際は関係各所の迷惑とならないよう留意するとともに、あくまで個人の責任で行動されてください。何か質問等ある方はメールください。


【撮影データ】
○タイトル
 日時:2004年11月  カメラ:コンタックス T3  レンズ:カールツァイス ゾナーT* 35mm F2.8
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F2.8

○晴海橋梁
・1枚目
 日時:2004年11月  カメラ:ミノルタ TC-1  レンズ:ミノルタ G-ロッコール 28mm F3.5
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F3.5
・2枚目
 日時:2004年11月  カメラ:ミノルタ TC-1  レンズ:ミノルタ G-ロッコール 28mm F3.5
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F8
・3枚目
 日時:2004年12月  カメラ:コンタックス T3  レンズ:カールツァイス ゾナーT* 35mm F2.8
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F4

○機関庫周辺
・1枚目
 日時:2004年11月  カメラ:ミノルタ TC-1  レンズ:ミノルタ G-ロッコール 28mm F3.5
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F5.6
・2枚目
 日時:2004年11月  カメラ:ミノルタ TC-1  レンズ:ミノルタ G-ロッコール 28mm F3.5
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F5.6
・3枚目
 日時:2004年11月  カメラ:ペンタックス MZ-5  レンズ:シグマ 15mm F2.8 EX DIAGONAL FISHEYE
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F8
・4枚目
 日時:2004年6月  カメラ:ミノルタ TC-1  レンズ:ミノルタ G-ロッコール 28mm F3.5
 フィルム:ベルビア50  露出:絞り優先F8、日中シンクロ
・5枚目
 日時:2005年 9月  カメラ:コンパクトデジカメで撮影  レンズ:焦点距離 36mm相当
・6枚目
 日時:2005年10月  カメラ:コンタックス TVS3  レンズ:カールツァイス バリオ・ゾナーT* 30〜60mm F3.7〜6.7
 フィルム:フォルティア  露出:絞り優先F5.6

○ヤード跡
 日時:2005年10月  カメラ:コンパクトデジカメで撮影  レンズ:焦点距離 36mm相当

○機関庫内部
・1枚目
 日時:2004年11月  カメラ:ペンタックス MZ-5  レンズ:シグマ 15mm F2.8 EX DIAGONAL FISHEYE
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F4
・2枚目
 日時:2004年12月  カメラ:ミノルタ TC-1  レンズ:ミノルタ G-ロッコール 28mm F3.5
 フィルム:ベルビア50  露出:絞り優先F3.5
・集合写真(9枚)
 日時:2004年11月〜2005年 9月  カメラ:コンパクトデジカメで撮影  レンズ:焦点距離 36mm相当

○ピア晴海脇の分岐点
 日時:2004年11月  カメラ:コンパクトデジカメで撮影  レンズ:焦点距離 36mm相当

○上屋地区
・1枚目
 日時:2004年11月  カメラ:コンタックス T3  レンズ:カールツァイス ゾナーT* 35mm F2.8
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F8
・2枚目
 日時:2004年11月  カメラ:ミノルタ TC-1  レンズ:ミノルタ G-ロッコール 28mm F3.5
 フィルム:ベルビア100  露出:絞り優先F5.6


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