
5月中旬。朝から抜けるような青空が広がっていた。気温は高くもなく低くもなく、過しやすい爽やかな季節。
当時、私が住んでいたマンション前には片側2車線の幹線道路があった。深夜でも切れ間なく車が通り、平日の午前中などは渋滞で動かなくなってしまう、交通量の多い道路だ。
4階にある自宅の窓を開けると飛び込んでくるのは、道路の向いに建つ別のマンションから反響してくる、会話もできなくなる程の騒音だった。
当然ベランダに出ても見晴しは極端に悪く、わずかに見える上方の空間から、おおよその天気と空の明るさが分る程度だ。
こんなときは特に用がなくても、外に出たくなる。
私は1階の駐輪場から自転車を出し、道路沿いに走り出した。垂直に切立つコンクリート護岸で固められた川を渡り、JRのガード下をくぐり抜ける。目的地は、すこし走ったところにある公園だ。そこには多少は開けた空間と、新緑がある。
子供達でにぎわうその公園に到着すると、外に出たときから気になっていた雲にカメラを向けた。澄んだ青空に並ぶ、繊維のような薄く美しい雲。なかなかお目にかかれない、見事な巻雲だ。
巻雲は高度5〜13km程度という、雲の中では最も高度が高く、気温の低い場所に現れる雲で、水滴ではなく氷の粒でできている。
抜けるような、つまり澄んだ透明度の高い青空と、見るからに高い場所にありそうな巻雲。この組み合わせは、「空が高い」という表現がぴったりする。

巻雲はその美しいイメージとは逆に、天気が悪化する前兆であることも多い。西から低気圧に伴う温暖前線が近づいてくるとき、その前面にまず現れるのがこの巻雲だからだ。
雲量が次第に増えて塊状(巻積雲)や層状(巻層雲)になり、さらに厚く低高度の雲へと変化する過程を経て雨が降り出す。
ただしその変化には通常まる一日は要するし、違う要因で巻雲が発生する場合も多い。
例えばこの日の巻雲は温暖前線によるものではなく、上空に入った冷たい空気によるもの。だから低気圧の前線と違って広範囲での天気の悪化はなかったが、寒気の影響で夕方に雷雨となった地域もあったようだ。
さて、この巻雲、同じ読み方だが絹雲と書かれたものを時々目にする。これは以前、絹雲の方を正式名称としていた時期があったためだと思われる。
当時、絹雲という名称にした経緯について、作家の新田次郎さんの「雲の随想」(「別冊山と渓谷 山の雲」収録 山と渓谷社 昭和58年9月1日発行)には、次のような話が載っていた。
1980年頃、当用漢字である”巻”には”けん”という読みかたはないという文部省(当時)の方針から、気象庁でも絹雲を正式名称に変更するという話が持上がった。
確かに巻雲の定義には「繊維状をした繊細な、離ればなれの雲で、一般に白色で羽毛状かぎ状、直線状の形となることが多い。また、絹のような光沢を持っている。」とあるので、”絹雲”と書いても変ではないという意見があり、担当主管課長も同様の考え方であった。
これに対し、当時気象庁の測器課長だった新田さんは、巻雲の国際気象用語であるCirrus(シーラス)はもともとラテン語の巻くという言葉から来ており、また”巻”という文字にはこの雲の形状と発生原因が包含されているので、やはり巻雲が本来の呼び方であるとして、絹雲への変更の合議文書に承認印を押さなかったそうだ。
しかし結局は、新田さんの出張中に代印を押され決裁されてしまい、巻雲を絹雲に変える公文書が出てしまった。新田さんは、そんなやりかたは卑怯だと悔しがるも後の祭りだった、という話だ。
その後1988年、漢字の規制が緩やかになったのに伴い再び巻雲に戻った。たった一文字だが重要な漢字の選択をめぐっての、面白いエピソードだと思う。
○撮影データ(2枚の写真とも)
日時: 2001年5月12日
場所: 東京都品川区
カメラ: コンタックス アリアD
レンズ: カールツァイス ディスタゴンT* 28mmF2.8
フィルム: 富士フィルム ベルビア50(ノーマル)
その他: シャッター速度優先1/125秒、PLフィルタ使用
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