「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

必見! 「関連リンク集」大幅リニューアル!!
最終更新 2000/03/12 14:50

第31回配信
日本人の場所・コソヴォで


 

スルビッツァ市内、セルビア人勢力から攻撃され破壊された住宅
   10年以上もユーゴにいると不思議なめぐり会いを時々経験するものです。以前の私は「プロフィール」のページにも書いているように、東京の某私立大学でユーゴとは全く関係のないフランス文学を学んでいました。その後同じ仏文専攻で大学院に進みましたが、修士論文を書かずにユーゴとセルビアクロアチア語に「脱走」してしまったわけです。ところが学部を卒業して某外資系一流ホテルに就職したはずの仏文科の一同級生が、旧ユーゴの人道援助で今一番のホットスポットと言うべきコソヴォで昨年から国連ヴォランティア(UNV)を務めていると知り、驚いたというべきか、世界の狭さを実感したというべきか・・・。
   というわけで今回の「(旧)ユーゴ便り」は、コソヴォ中北部のスルビッツァ(アルバニア語名スケンデライ)市の国連コソヴォ暫定統治機構(UNMIK)内でヴォランティアをされている私の元同級生、安田  弓(ゆみ)さんのインタビューです。ただし多忙な彼女はベオグラードに、逆にコソヴォでの仕事に「お呼びが掛からない」私はスルビッツァに足を伸ばすことが出来なかったため、安田さんの了解を得てメールで質疑応答のやり取りをするオンライン・インタビューの形でまとめました。

安田 弓さん
---大塚:それにしても、お久しぶりです。
   安田学食の定食を食べながらM・デュラスやJ=M・G・ル=クレジオ(大塚注:デュラスは安田さんの、ル=クレジオは筆者大塚の卒論テーマ)を語っていた頃から10年以上が経って、こんな形で同窓会(?)が実現するとは思いませんでした。

---大塚:安田さんがどういう形でこの道に進まれたかはまた後で聞くことにして、まず今のお仕事の概要を教えて下さい。
   安田昨年の11月からこの2月4日まではスルビッツァ(スケンデライ)市から少し離れたラウシャ村で住宅復興援助の仕事に関わりました。現在は同市の市役所で行政関連の仕事をしています。これは8月9日までの予定です。まだ市役所の仕事に移ってからは日が浅いので、主に住宅復興関係のことを話します。
スルビッツァの現状

大塚:スルビッツァを中心とするドレニッツァ地域は98年2月に紛争が本格化した最初のきっかけになった場所ですね。私も日本のTV取材で近くの村の集団葬儀を見ています。現状について簡単にお話頂けますか。
安田:私だけでなく、周囲のスタッフからの聞き書きも含めての総合情報としてお知らせします。まず人口は紛争前が約1万、紛争後は正確な調査が出来ていませんが、周囲の農村部からの流入により倍に増えたと聞いています。
大塚:今はどんな問題が大きいと言えますか?
安田:貧困、貧富の差、少数民族(ロマ族など)に対する差別。また、国連安保理決議1244と住民の認識の差、ですね。スルビッツァのみならずコソヴォのアルバニア人は、「国際世論はコソヴォのアルバニア人の味方だ」と信じています。でも先日(1月下旬)はUNHCRが運行するセルビア人住民移動用のバスが銃撃に遭い死傷者が出ましたし、国際社会もアルバニア人のやりたい放題を見てみぬ振り、というわけには行きません。
大塚:空爆期間中の被害、住民の移動(難民化)の実態は?
安田:ほとんど住民の移動はなかったようです。空爆被害では一箇所だけ、集会所が誤爆されたという場所を見ただけです。
大塚:やはりNATO(北大西洋条約機構)、UNMIK、KFOR(コソヴォ展開部隊)はかなりプラスのイメージで受け止められているのでしょうね。
安田:NATOはもう英雄扱いですね。「NATOチョコレート」というのが売られているくらいですから。ただKFORになって、コソヴォ解放軍や一般人の武装解除が進められることになり一部のアルバニア人は猛反発の姿勢を示しています。そんなこともあって、民生部門のUNMIKに対しても表面上は顔を立ててくれていますが、水面下での動きはまだ分からないところがあります。
大塚:愚問かも知れませんが、セルビア人に対する地元の印象は?
安田:敵。自分や家族にされた仕打ちを忘れろって言ったって無理でしょう。怖がってもいますし、強く憎んでもいますし、多くのアルバニア人住民は「セルビア(人)」と聞くだけで、殺したいとも思っているようです。うちのスタッフで元教師の非常に温和な人物がいるのですが、彼でさえも「セルビア人は敵だ」とはっきり言っていて、着任当初の私はかなり驚きました。セルビア人勢力の掃討作戦で住居の92%が何らかの被害を受けていることは話しましたが、住民と話をしてもだいたい家族に一人は収容所送り、虐殺被害者、行方不明者などが出ており、それだけに彼らは紛争が終り平和を愛するというよりはまだ、セルビア人に対する恨みや憎しみの方が強いようです。
大塚:独立に対する思いは強いのでしょうか?
安田:とても強いようです。セルビア人住民がもともと少なかった上、コソヴォ解放軍の「発祥地」ですから。ただそれは独立心が強いとかそういうのではなく、長い歴史の中、様々な紛争に翻弄され続けてきた彼らが自分たちの平和を得るために残された道は独立しかない、と思っているというのが本音のようです。確かに一部強硬派はいますが、多くのアルバニア人住民は家族を愛し、自分達の村の生活を大事にする温和で愛情深い人たちです。
   ここスルビッツァは2年前に本格化したコソヴォ紛争の発火点とも言うべきところで、それだけセルビア警察勢力の掃討作戦が激しかった地域です。このため住宅の92%が何らかの被害を受けています。冬には日中でも気温がマイナスということが多く、6月の紛争終了直後から住宅、電気、水道などの修繕が緊急課題として国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などから提唱されていました。日本政府がこれに対して供出金を拠出するとともに、日本としてのプレゼンスを示すため、というか「顔の見える援助」の顔として邦人モニタースタッフを送ることに決めたものです。政府としては自衛隊や国際交流基金(JICA)よりもUNVが仕事の性格から言って最適だという判断だったのだと思います。というわけでスルビッツァ地域には現在24才から60才までの日本人15人(うち女性3人)がUNVとして入っています。
   ところが、これだけの邦人UNVを一度に派遣するというのは前例のないことなので、事務方にはプロテスタント(セヴンスデー=アドヴェンティスト教団)系の国際的非政府組織ADRAが入っています。ですから私たちはUNVでありながらADRAのスタッフでもあり、UNMIKのスタッフでもあり、B・クシュネール特別代表(UNMIKのトップ)に会うような公的な行事ではジャケットに日の丸を付ける、というちょっと変わった立場にあります。まあこういう混沌としたところは国際組織のいいところだと思っていますが。
   さて現場ではUNHCRの主導で各NGOの役割分担が行われています。その際にADRA、つまり私たち邦人UNVは、日本政府の拠出金を使ってスルビッツァ市と隣のグロゴヴァッツ(アルバニア語名グロゴフツ)市の家屋修復作業に割り当てられました。簡単に言うと被害を受けて屋根のなくなった家に屋根を乗せる仕事です。被害の状況はUNHCRによって5段階(1は自助努力で直してもらう程度、5は壁にダメージが多く屋根を乗せられない状態でこの冬は他の家で過ごしてもらう)に分けられています。その2から4に相当する家々のために屋根瓦、梁に使う木材、断熱材、屋根の下に敷く木材、セメント、釘、砂などを村の資材置き場に運び、さらにそれが各家屋にきちんと分けられているかをモニターします。家が修復されたらカテゴリー5の家の人にひと部屋を分けて住まわせるための交渉手続きをする。大体そんなところが主な仕事になります。アルバニア人の通訳、運転手と3人ひと組で村々を回ります。

---大塚:特に困難を感じたり、逆にやりがいを感じたりしたケースは?
   安田着任二週間目に担当の村で寒さのせいもあり病死人が出たことがかなりこたえました。やはり自分の担当の村で老人でも病人でも死んでほしくないものです。
   組織内部では、ちょっと欧米先進国=白人系の支配志向にはうんざりさせられるところがありますね。国連でも大手NGOでもそうですが、アルバニア人住民(アルバニア人だって「白人」ですけど)に対し上から見下ろして「助けてやろう」という意識が意外なほど鼻に付くのがこの世界に入ってみての驚きでした。ここコソヴォの援助「業界」でも、日本はいま財力をバックに影響力を増していますが、それを面白くなく思っている向きは少なくないようです。まあ私は私は外資系ホテルで11年間仕事をしてきたおかげで、日本の常識が世界に通用しないということは身に沁みて分かっているので(笑)、それほどカルチャーショックは受けませんでしたが。
   やりがいと言えば、ううん・・何でしょうねえ。感謝されることも多いけれど、恨まれることもあるし。強いて言えば歴史の一部を見ているという満足感でしょうか。
   ホテル勤務の時もそうでしたが、私は世界で何がおこっているのか知りたいという思いをずっと持ってきました。だから海外の五つ星ホテルを選んで勤務をしてきたし、コソヴォ紛争に惹かれたのも、UNVに参加したのもすべてこの気持ちからです。ひとつ引用。
   ---私は生身の人間にとって歴史が何を意味するのかを知る為にユーゴスラヴィアにやって来た。---レベッカ・ウエスト 『黒い子羊と灰色の鷹』

地名はセルビア語名。セルビア語名とアルバニア語名が異なる場合、本文では初出の際に併記しました
---大塚:安田さんからは言いにくいことかも知れませんが、毒舌な報道関係者は「国連は世界一の官僚組織だ」なんて言っています。その辺でやりにくいことはありませんか。
   安田一UNVに過ぎない私がおこがましいことはあまり言えないのですが、今も言ったように国連に限らず国際的な大組織には「先進国=白人系」の人種偏見やアジア・有色人種蔑視志向が明らかにあると思うのです。しかもその欧米=白人側からみて「自分達よりも一段劣っている人種」が、「協力して一緒にプロジェクトを行いましょう、いろいろ指導して下さいね」と言っているうちは非常に協力的でいいパートナーになりうるのですが、現在の日本のように財政面などで力を持っていたりする、つまりイニシアティヴを取られそうになったりすると危機感を覚えるのでしょうか、かなり攻撃してくる傾向があるように感じます。何が言いたいかというと、国際組識で働くということはこのような傾向を踏まえた上で自分の活躍の場所を見つけなければならない、ということです。だから国連だけが特に問題がある組識だとは思えません。安易な国連批判などに走らず、そのような傾向を認識した上で自分の「場所」を作り上げることこそ国際的に活躍したいと思う人の必須条件だと思います。
コソヴォ解放軍のリーダー、故A・ヤシャリの写真を高々と掲げる若者
   ところで今回の私達のプロジェクトについて面白いことが起こったので簡単に紹介しておきます。前に紹介した通り、私たちは屋根を作る資材を配布しています。その調達先は本来なら100%現地の業者から調達するのが望ましい形とされていたのですが、リスク回避のため50%を現地業者、あとの50%を国連のロジスティック部門(UNOPS)に発注しました。現地業者の納品は11月一杯で既に終わっていたのに、国連側の納品がまず書類処理に時間を取られ、次にマケドニア国境でマケドニア政府の嫌がらせによって足止めを食らい、国境でトラックが数百台も列をなして野宿するという状況に陥ってしまいました。国連側の最初の資材が到着したのが11月の終り頃、1月下旬現在でも未着の資材トラックがあるようです。しかも梁に使う木材の長さは6〜8メートルなければ大きな屋根は作れないのに、実際には4メートルのものが大量に着いてしまいました。これを継ぎ合わせて作るか、現地業者に長いものと交換してもらうかという検討作業が加わり、それにまた時間が取られて大騒ぎでした。UNOPSにはクレームを送りましたが、現場では実際の発注の確認書も見つからない状況で、どこの誰が間違えたのか判らずじまいです。 私の担当している村は現地業者の資材の割り当ても多く、また村自体の組識がしっかりしているので短い木材の山を渡し、これを現金にするなり継ぎ合わせるなり、どこかの誰かと交換するなり好きなようにしてくれ、と言っておいたら住民が自分たちで仕切ってくれたようでした。後にモニターしたところほとんどの家で屋根が出来上がっていたので安心しましたが。

---大塚:あとUNMIKトップのB・クシュネール特別代表ですね。いまセルビア本国のメディアでは一番評判の悪い男なんですが、「国境なき医師団(MSF、昨年ノーベル平和賞受賞)」の創設者、仏厚生大臣など、いつも人道援助の世界では目立つところにいることもあって、以前から毀誉褒貶いろいろあった人物だったと思います・・・。
   安田実際の仕事ぶりについてはあまりよく知りませんが、日本を含むいくつかのNGOの知人からいろいろな批判があることは聞いていました。でもやり手であることは間違いないし、理論よりも行動が先に出るタイプのようで、UNMIKの特別代表という、紛争処理の混沌の中での仕事は彼にはぴったりだったように思います。実際、誰がここまでプロジェクトを立ち上げ、資金調達をし、実行に移し、その結果がコソヴォの住民に行き届いたかを考えると、もっと高い評価を得て当然と思います。特に私は現場志向の人間なので彼のやり方を強く支持しています。ちなみにスルビッツァ市民の間ではクシュネールは神様のように思われており、12月に彼の視察のあった際には多くの家族が持っている一番良い服を着て、国連旗を振って出迎えていました。

---大塚:下世話な話で恐縮ですが、UNV、つまりヴォランティアというからには本当に無給なんでしょうか。またオフィスアワーや残業などはどうなのでしょうか。
ちょっと安田さんのお部屋を拝見
   安田基本的には無給です。ヴォランティアですので。
   ただし渡航費と滞在費は出ます。普通に生活していればまあ少し貯金できる程度ですね。もちろん気楽な外国人暮らしが出来るような余裕はありませんよ。
   宿舎については、今回は大量の日本人ヴォランティアが入ったこともあり、一軒家を借りて8名でシェアして、夕食のみ作ってくれるコックさんを雇い、月に900ドイツマルク払って住んでいます。でもこれはADRAが事務局として入っているからであって、通常のUNVはすべて自力で探すことになっています。任地が変わった2月からは私も市役所近くのフラットを500マルク/月で借りています。もちろん自炊になります。
   オフィスアワーは8時から4時まで、ですが、仕事なんてものはきりがないもので・・・。私のアシスタントは朝7時半には来ていて、夕方5時くらいまでは仕事をしていてくれます。これ以降は終バスがなくなるので、よほどのことがない限り帰ってもらっています。アシスタントも私も残業手当てはなし。その代わり、仕事がきつい時などは私が自腹でお礼をすることもあります。本人はなかなか直接受け取ろうとしないので、彼の奥さんや子ども向けにお土産を渡したり、とか。

---大塚:しかし安田さんは海外でも有名な某高級ホテルに就職されたはずでしたが、UNVを選ばれたのはどういうきっかけだったのでしょうか。またコソヴォに赴任する前には何か特別な準備が必要でしたか。
   安田まず私の出発点はホテルの管理職です。コストコントロール部及び営業・市場開発でしたので。もちろんUNVを最終目標にしたのではなく、人道援助に関わりたかったのです。大学を卒業後、いくつかの大切な人の死を経て、人生について考えちゃったのです。ホテルにしてもどんな仕事にしても企業である以上、その最終目標は利益を生み出し、さらに発展、増殖していく(山村貞子のように?)ことであると思っていますが、特に年齢が上がり、立場が高くなるに従って、人に対して不誠実であったり嘘をついたりすることを余儀なくされることが多くなります。会社のため、家族のためにみんな頑張っているわけですが、経済的に安定しても本当の自分は後悔するのではないか、と思うようになりました。身近な人の死を通して、このままでは私は人生において本当に大切なものを見失っていくのではないか、と。そして会社を辞めてしまったのですが、私の場合人道援助の現場にいることによってその「本当に大切なもの」を見出せたように今のところ思っています。
また一つプロジェクトが完了。後ろには国連旗と日の丸が(中央が安田さん)
   今回のコソヴォの応募はインターネット上でUNVの日本語版HNETで見つけました。ちょうど私が上海にいた頃からクローズアップされるようになってきており、この21世紀を目の前にした現代社会で、なぜ虐殺が起こっているのか、国際社会は抑止力を持たないのかというような、憤りというよりは疑問を持ってニュースを追い掛けていたし、実際に何が起こっているのかを見に行きたいとずっと思っていました。
   このプロジェクトについての特別な準備は何もしていません。ただ国連について日本にある国連大学内の国連広報センターでヴォランテイアとして三ヶ月間勉強しましたし、その間に行われたシンポジウムや国際会議などはほとんど傍聴しました。
   前にもお話したように、今後はスルビッツァ市の行政の仕事が2月5日から8月9日までということになっています。その後は分かりませんが、可能な限りここにいてコソヴォの復興していく様子や、これからの道のりを見ていきたいと思っています。

---大塚:現在の経験を今後どう活かしていきますか。
   安田やはり世界のどこかで同じような仕事をして行くのだと思います。でもその前に今回のコソヴォ復興について、大学院で論文を仕上げること、それからコソヴォのアルバニア系住民の現状をきちんとした形で国際社会にアピールしたいと強く思っています。

---大塚:UNVに特に要求されている能力とか資質は何かあるでしょうか。ある程度の語学(英語)力は当然だと思うのですが。また「(旧)ユーゴ便り」の読者の中には、これから平和学や人道援助の世界で活躍をめざしている人がたくさんいるように思いますので、読者へのメッセージもありましたらお願いします。
   安田UNV駆け出しの私が偉そうなことはあまり言えませんが、敢えて言えば言語能力に対するコンプレックスは日本人UNスタッフは程度の差こそあれほとんどの人が持っているんじゃないでしょうか。また帰国子女などで言語がかなり流暢な人もいますが、それはそれで日本人の良さをなくしているように感じられることもあります。
2月には体調を崩してコソヴォで手術を受けた安田さんだが、現在はまた元気に活動中
   私の個人的な考えですが、言語能力は読み書き話しができればOK、難しい書類をこなすのは専門家の仕事だし。それよりも正しいと思ったことは押し通す強さとか弱者に対する優しさとか、周囲との協調性、(日本人なら)日本人らしさなどの方がよっぽど大切なように感じます。国際組識で働く上で、大切なのは日本人であることを捨てることではなく、むしろ自分のアイデンティティーを強く押し出すことによって各国人との調和を計ることだと思います。国連職員は出自の国の国益を考えて行動を取るべきではないのですが、実際問題として現場でいかに効率よく仕事をこなしていくかと考えた時、どうしても背中に日の丸を背負わずにはいられないように感じます。まあ、人によりけりなんでしょうけれども、少なくとも私はそう思います。あと、職務経験ですね。特に日本人たった一人で外国人に取り囲まれた環境で仕事をするなんていう経験はとっても役に立ちますね。そういう意味では海外のホテルの市場開発室なんてとってもよい訓練場所になりますよ。常に周囲と闘っていなければならないし(笑)。
プライヴェートでのコソヴォ

安田:私が現在スルビッツァ市という田舎にいるせいか、少なくとも現在はアルバニア人住民と精神的に違和感を覚えることはありません。ただ先進国社会ではプライバシーを尊重するという名目で他者との距離を置くのが当然ですが、ここの人は心の中の隠しておきたい部分まで平然と、ずかずか立ち入ってくる。でも不思議とそれが不愉快じゃないんですね。単純に言ってしまうと非常に素朴、こちらが彼らに対して攻撃をしない限り決して他者に対して悪いことはしない、と言えばいいでしょうか。お人好しの義理堅い人たちで、信用するに値する人物も多いように感じます。  
大塚:食べ物や習慣などには抵抗はありませんか?
安田:食べる物は、連日昼夜共に豆のスープとパンとキャベツのサラダ。たまに鶏の足の焼いたのとか牛肉の煮込みとか。とても美味しくて3ヶ月で5キロ太って一時帰国の際に家族にあきれられました。トルココーヒーも飲めますが、煮出し紅茶にお砂糖を滝の様に流し込んで飲むお茶の方が流行っています。習慣で思い出しましたが、着任当初トイレットペーパーを売っていないことに困りました。グロゴヴァッツとかプリシュティナに行かないと買えないんです。みんな水で済ませているようで、まあ、それも慣れると気分のいいものです。
   もし紛争地での人道援助を目指すなら、大学院で学んだこと+サバイバル能力を育くむことが大切なように思います。まず自己管理、自分の職務遂行上に必要な物はすべて自分で調達できること、逆に言えば他人を頼らないこと。そしてどんなに汚いトイレ、またはトイレでない場所でも用事が足せる神経、零下の野外の井戸で髪を洗っても風邪をひかないなど、健康管理も重要ですし、危険を事前に察知することを常に心がけるのも大事です。それから火を起こせること、現地スタッフを味方につけるやり方を覚えること、救急処置の基本は身につけて置くこと、銃や砲声などに過剰に反応しないこと、女性は女性らしさを前面に出さないこと、など安全管理も必須です。こんなことは大学院の授業ではまず学べないと思いますけど。でも、ここコソヴォなんかよりずっと危ないところがたくさんあり、国連職員はそういう地域に出掛けているんですよね。それに比べたらここなんてまだまだ甘い場所です。それと前述と重複しますが在外での日系企業外での職務経験は必須です。今回も日本での仕事のやり方をそのまま持ち込んでトラブルを残していったUNVがたくさんいました。理想を言えば日本の企業で数年働き、仕事に対する基本動作を身につけた上、海外の外資系企業で押しの強さや国際感覚を身につける、というのが最適だと思うのですが・・・。

---大塚:ベオグラードでも感じますが、コソヴォ問題はまだそう簡単に終わりそうにはないですよね。一方で私が深く関わっている報道の世界では、「もうコソヴォは過去の話、次は東ティモールだ、オーストリアだ」とどんどん先に行ってしまいがちです。最後に「安田さんから見たコソヴォ」をまとめていただけますか。
   安田どんな国家でもその成立期前後には多かれ少なかれ混乱があったはずです。逆に抑圧がなければ独立の気運が高まる必要もないわけですし。だから国連安保理決議1244に基づいての国連暫定統治・多民族融合国家の創設については、大賛成とは言い難いものがあります。また現在の雰囲気を見ていると、ここで国際社会が変に押さえつけると武装解除中のコソヴォ解放軍がどのように反応するかまだ予想がつきませんし、住民がどのような運命をたどるかを考えても、本当はどうすればよいのか、については判断がつきかねるというのが現状です。だからこそ私は見続けて行きたい、とも強く思っていますが。
ここにはヤシャリを初め、セルビア人勢力の犠牲者が多数埋葬されている
   コソヴォに注目するようになって分かったのは、国際社会やメディアが必ずしも真実を反映して行動をとっているわけではないということです。
   (コソヴォ州内でセルビア人勢力がアルバニア人住民に対して行ったと言われる)虐殺についても、あったことは事実だと現場の状況から確信していますが、報道されたのは本当の一部分にしか過ぎないし、大塚さんも指摘した通り、もはやコソヴォネタはクールではなくなっています。つまり国際社会が「アメリカ主導のNATOが介入して紛争を止めさせ、コソヴォは安定して一段落、現在は国連が暫定統治を(よたよたしながら?)行っていて平和が訪れた」といったストーリーを世界に流してこの問題を終らせてしまったように感じます。でも、まだ7000人とも10000人とも言われている行方不明者、収容所に入ったままの人、安否さえはっきりしない人とその家族、セルビア人住民への憎悪、アルバニア人住民どうしの殺し合い、コソヴォ=アルバニア系地下政府の圧力など、問題は山のように残っています。2000年の現在でもここコソヴォではこんなことが起こっていて、そしてこれからも起こり得るということを、特に平和至上主義の日本人にもっと知ってもらいたいと思っています。
   コソヴォは農業、特に飼牛と養蜂が盛んで、気候が良くなると蜜蜂が野原を飛び交い、牛や羊が草を食み、夏は一面のヒマワリ畑、秋は紅葉の丘に焚き火の煙があがる、という本当に美しいところです。 「乳と蜜の流れる土地」であり得るこの地にどうして20世紀の終わりにもなって血と涙が流されなければならなかったのか、平和とはいったい何なのか、私自身まだまだこの地で考えなければならないことがあまりにも多く残されています。

大塚:お互い健康に気をつけて仕事とウォッチングを続けて行きましょう。今回は立ち入った質問まで丁寧に答えて下さって有難うございました。

(E-メールによる取材は2000年2月上旬時点、出稿2000年3月上旬)


安田弓さんに謝意を表します。地図を除く画像の権利は全て安田さんに属します。内容及び画像の無断転載をかたくお断りいたします。
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