「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 99/12/20 19:50
ベオグラード中心部、テラジエ地区にてイェレナ撮影


   1999年も残すところあと僅かとなりました。いつも「(旧)ユーゴ便り」をお読み頂き有難うございます。
   私は報道関係者のはしくれとして、91年のスロヴェニアからクロアチア、ボスニアなどで旧ユーゴ解体の激動を自分の目で見てきましたが、今年は自分の住んでいる町ベオグラードが北大西洋条約機構(NATO)軍から空爆を受ける形で戦争状態になるという思わぬ経験をしました。それは私個人の中で、苦くも実りある経験として記憶されるでしょう。あの空爆が何だったのか、未だに私の中で答は出ていません。いや政治家や学者の間でもまだ答は出ていないのだと思います。米高級政治誌「フォーリン・アフェアーズ」を見ても、9・10月号で痛烈なクリントン批判が出れば、次の11・12月号ではこれに対する強い反駁も掲載されています。
   空爆期間中には「落書き帳(掲示板)」やメールを通じて知人や多くの読者の方からご心配やご支持を頂きました。それが4月、5月私にとって大きな励みになったことは言うまでもありません。このページは商用サイトではないのでアクセス数を競ってもあまり意味がないとは思っていますが、昨年暮れに4桁になったと喜んでいたら空爆を通じてあっという間に5桁に到達してしまったのには驚きました。また「Yahoo!Japan」のトピックスで紹介されたほか、たくさんの方にリンクも張って頂きました。改めてインターネットの力、そして責任の重さを実感しているところです。
ベオグラードの冬
   ベルリンの壁崩壊からチャウシェスク処刑にいたる激動が短期間に起こった「東欧革命」から10年が経ちました。「市場経済へ、EUへ、NATOへ」が冷戦後の新しいゲームのルールとなって、チェコ、ポーランドをはじめ東欧各国が西へ、西へと毎年歩みを続けています。戦争と混乱を経験した旧ユーゴ諸国もそれぞれのスピードは異なるものの同じ方向で模索をしながら新しいミレニアム、新しい時代に入っていこうとしています。民族主義を振りかざして旧ユーゴ解体へ走った政治家たちの多くはまだ各国で実権を握っていますが、秋に大統領選のあったマケドニアではトライコフスキ新大統領が就任し、トゥジュマン亡きクロアチアでは来年早々にも大統領選が行われます。民族主義政治と戦争の時代が、復興と経済の時代に変わっていく機運は5カ国それぞれに育っています。
   もちろんまだ火種はあります。セルビアは依然西側に背を向けたままですが、モンテネグロは独立への足場を着々と固めていますし、両共和国の衝突が起こる可能性はないではありません。コソヴォでは平和は訪れたものの、人道援助の必要な状況がまだまだ続いていますし、アルバニア人当局はユーゴからの独立を旗印に掲げています。
   10年前と比べるとハンガリーやルーマニアのニュースヴァリューが著しく落ちていることからも分かるように、経済の時代は報道の対象になりにくい時代なのだと思います。しかし平和であること、戦争の傷痕が癒され少しずつでも豊かになることが旧ユーゴ5カ国に住んでいる人々の望みであるならば、それもまた喜ぶべきことなのかも知れません。来年以降は私が発信できる内容も地味になるかもしれませんが、それぞれの国が西へ向かう表情を、今までにもまして暮らしている人々に近い視点でこの「(旧)ユーゴ便り」に書き続けることが出来たら、と思っています。
   来たる2000年もこのページをよろしくお願いします。引き続きご教唆と応援をお待ちしています。では皆さんよい新年を!

第28回配信
モンテネグロ、何処へ


世界遺産に指定されているモンテネグロ・コトル旧市街(写真提供:www.kotor.com)
   しかし、モンテネグロはどこへ行ってしまうのか。上には「旧ユーゴ5カ国」と書きましたが、既に半分「外国」になっているコソヴォと併せて、来年末には7カ国と書かなければならないかも知れませんし、「泰山鳴動何とやら」で、まるで何事もなかったかのようにユーゴの中にまた収まっているかも知れません。「(旧)ユーゴ便り」でモンテネグロを本格的に扱うのは初めてのことですが、政治闘争が「年末休戦」に入っている今のうちに、独立への足場を着々と固めているように見えるこのユーゴ連邦内の小共和国の状況について簡単な見取り図を作っておくのは無駄ではないと思います。
   12月8日、セルビア主導のユーゴ軍がモンテネグロの首都ポドゴリッツァ空港を閉鎖、モンテネグロ共和国警察と一時ニラミ合いになる、というニュースが流れました。「すわ衝突か」。軍・警察両者がスタンバイレベルを高め、ちょっと早とちりが性根の私たちウォッチャーも警戒態勢を上げざるを得なくなりました。結局この一件は政治的解決を待つ、ということで一時の緊張は収まりました(翌日には空港再開)。が、どうもそう簡単に解決できない火種として残りそうな気配です。11月モンテネグロ当局はユーゴ連邦に所有権(書類上ポドゴリッツァ空港は国営ユーゴ航空の所有)のある共和国内4つの空港(軍事空港を含む)の「共和国営化」をベオグラードの意向とは無関係に一方的に決定、12月9日にはその接収が予定されていました。しかしポドゴリッツァ空港は民間・軍事共用で、軍事空港の部分にはユーゴ軍が展開しています。この軍事空港でモンテネグロ側が勝手に共和国警察用のヘリコプター格納庫の建設を強行開始しようとしたことから騒動が起こったようです。ユーゴ空爆が終わった今秋以降、着々とユーゴ・セルビア離れを進めるモンテネグロ当局の政策がついに衝突寸前まで来たか、というのが実感でした。

親欧米政策と経済改革で独立へ動き始めたジュカノヴィッチ大統領(写真:大統領ホームページ)
   旧ユーゴ連邦解体をめぐるゴタゴタの中で、モンテネグロと言えば(政治的に)セルビアも同然、ミロシェヴィッチ現ユーゴ大統領のロボットのような政権だったのは昔の話です。97年10月、親セルビア政権・ブラトヴィッチ大統領の右腕だったジュカノヴィッチ首相が造反、対立候補として大統領選に立候補し5500票の僅差で当選を果たしました。さらに昨98年の議会選では民主社会党(ジュカノヴィッチ)、モンテネグロ右派の民族党、独立支持の自由連合などが「反セルビア共闘」を作って決定的勝利を収めてから風向きが変わりました。政治的・経済的に無策なセルビアの悪影響を被り続けるのはゴメンだ、と経済改革に乗り出すとともに、欧米先進諸国やスロヴェニア、クロアチアなど旧ユーゴ諸国に対し開かれた政策を取り、共和国主権を強調してゆっくりとではあるもののベオグラード離れを進めてきました。それが今秋からは加速がついて来た感があります。
   モンテネグロの人口は熊本県熊本市と同程度の63・5万(91年の国勢調査による)で、1000万に近いセルビアとは大きな開きがあります。このためユーゴ連邦議会の上院ではセルビアと同じ議席数が確保されているものの、下院の議席定数はセルビア108に対しモンテネグロ30となっており、連邦体制の改革のように上下院双方の審議が必要な重要動議でまともに戦っても勝てない仕組みになっています。このためジュカノヴィッチ政権与党連合は昨年秋以降連邦議会への出席をボイコットし続けています。空爆騒動が一応落ち着いてきた9月中旬、セルビアのマリヤノヴィッチ首相は「兼ねてから懸案だったユーゴ連邦内でのモンテネグロ共和国の地位について見直しを連邦議会で」と討議を提案しましたが、ジュカノヴィッチ大統領は「連邦制度自体が違法であり議会では応じられない」と当然のことながら無視。同月25日にはモンテネグロ独自の関税政策実施を発表、また国籍に関する法律の討議を始めました。さらに10月下旬の政府決定を受け、11月3日からは従来のディナールと並行してドイツマルクも公式通貨として認められるようになり、事実上の通貨主権が確立しつつあります。
ブラトヴィッチ前大統領(右端)は再選失敗後ミロシェヴィッチに「拾われる」形でユーゴ連邦首相に就任、親セルビア=反ジュカノヴィッチの一番手に(写真:FoNet)
   市場改革を進める他の東欧諸国でも、無理な改革を進めた政権は次の選挙で野に下っています。マルク導入という大胆な政策に踏み切った共和国政府は今のところ慎重な態度を取り続けているようですが、大きな混乱はない模様です。年金や国営企業の給与もマルクで支払われています。新しく創設された「通貨評議会」は、「十分な外貨準備が裏付けになっている。安定流通までには時間は掛かるだろうが、スタートとしては上々」と評価しています。取引額に制限はあるものの、主な銀行でマルクなど西側外貨が買えるようになりました。現在セルビアの闇レートよりも10パーセントほど高く(ドイツマルクの売りはモンテネグロの銀行で23ディナール程度、セルビアの闇外貨商が20ディナール前後)なっていますが、闇でしか外貨を買うことが出来ないセルビアに比べればモンテネグロの方が「先に行ってしまった」感があります。
   独立へ向けて方向性は明確に打ち出されてきましたが、今すぐに独立を問う国民投票を実施して強行独立へ踏み切れない理由もいくつか挙げることが出来るでしょう。
1 97年大統領選が僅差だったことからも分かるように、モンテネグロ内部には親セルビアの声も強く、今国民投票を実施しても勝てる確信が政府側にない(9月のアンケートで独立支持は約48%)
2 共和国内に展開するユーゴ軍に対しモンテネグロ側は警察しかなく、万が一武力衝突に発展した場合著しく不利
3 欧米はコソヴォ問題が一応の落着をみたばかりの現在、バルカンでのこれ以上の国境線の変更を利益とみなしておらず、まだ独立を支持する「青信号」が出ていない
4 与党連合の内紛から、独立に一番強硬姿勢を示している自由連合が9月末に与党離脱を表明、他の政党は4月の国民投票実施で申し合わせを図っているが与党内でのコンセンサスがまだ出来ていない
   というわけで、まだしばらくは国内の政治闘争が続きそうです。大統領選で落選したブラトヴィッチ前大統領は、「ミロシェヴィッチに拾われる」形で連邦首相の座に収まっています。彼を中心とする親セルビア=親ミロシェヴィッチ派(モンテネグロでは野党)とジュカノヴィッチ与党派の中傷合戦は毎日のように続いています(と言ってもベオグラードの主なメディアはベオグラードに、ポドゴリッツァのメディアはポドゴリッツァに都合のいいようなニュースしか出しませんから、お互いの色の付いたメディア双方を比較しないと分からないところがミソです)。セルビア右翼のセ急進党が「モンテネグロ分離許すまじ」と北部の町プラーヴで声高に宣言(13日付ベオグラード体制寄り日刊紙「ポリティカ」)すれば、ブルザン共和国副首相は「国際承認が欠けているだけで、もうモンテネグロは独立したも同然(同じく13日付ポドゴリッツァ体制寄りモンテナファクス通信)」と表明。本文の最初に書いた空港騒動ではセルビア与党のユーゴ左翼連合が「またジュカノヴィッチ一派が西側スパイとツルンでやった挑発行為」と発表(13日付「ポリティカ」)、一方キリバルダ共和国副首相は「結局西側からまたセルビアが睨まれただけだから、モンテネグロ共和国主権の確立へはプラスになった(11日付インターネット「メディアクラブ」)」、等々、等々。

CROポップの女王がイガロに

  新年をホテルやレストランで迎える人が多い旧ユーゴ地域では、歌手も年末は稼ぎどきです。しかし新曲を出せばヒット、昨年辺りからクロアチアポップの(ちょっとトシ食ってるけど)女王の座を不動のものにしつつあるドリス・ドラゴヴィッチが大晦日の夜はザグレブでもドゥブロヴニクでもなくモンテネグロの保養地イガロで歌うというニュースにはビックリしました。トゥジュマン大統領の死去で一時は「自粛」説も流れましたが、主催者側がコンファームを取ったそうです。サライェヴォのグループ「ハリ・マタハリ」やベオグラードの人気歌手も集めての新年のお席代は、地元庶民にはちょっと高めの179マルク(1万円弱)。ベオグラードでもCROポップには根強い人気がありますが、まだクロアチアの歌手が堂々とコンサートを開ける状況ではなく、この点でも「先を越された!」。
   確かに強くて大きくて威張っているのはセルビアだから、独立したいけれどもさせてもらえない小国は可哀相だ、という判官びいきの視点はユーゴ紛争を通して先進国の政治でも報道でも続いていると思います。しかし報道関係者にも実情がよく分からない政治の世界の出来事を「悪逆非道のミロシェヴィッチ対正義漢のジュカノヴィッチ」と単純に割り切ってしまっていいのでしょうか。上にも書いたようにジュカノヴィッチは「小ミロシェヴィッチ」ブラトヴィッチ前大統領の右腕だった男ですし、ミロシェヴィッチがセルビア共和国大統領からユーゴ連邦大統領にシフトした時、ジュカノヴィッチ一派はこれを承認する連邦議会に出席しています。ベオグラードでは、モンテネグロという共和国自体が海があることを利して経済制裁下タバコ・原油などの国家ぐるみの密輸で甘い汁を吸ってきた、と見る人も少なくありません。欧米先進国やクロアチアなどの旧ユーゴ諸国に対し開かれた政策を取るのも結局ジュカノヴィッチらの個人的利権がらみではないか、と考えることも出来るわけです。まあしかし、機を見るに敏な方、先進国にこびる方が今のこの世界では勝者ですからねえ。
   クロアチアとは昨年後半から既に独自の外交関係を築き、国境デベリ・ブリエーグを越えての行き来は普通になりつつあります(ユーゴ連邦当局は公式の国境として認めていません)。最近は牛乳、ジュース、マヨネーズなどまだベオグラードではほとんどお目に掛かれないスロヴェニア製品が増えているそうです。他の旧ユーゴ諸国から見れば「先進国」、でも本当の先進国を相手には輸出が伸ばせないスロヴェニアにとっては、小なりとは言えモンテネグロも無視出来ない市場になるわけですし、今後さらに南東欧方面へ経済的に進出して行く上で重要な拠点になる可能性があります。
   モンテネグロ自体の産業は威張れるレベルのものはありませんが、オフショアと観光の整備に期待が寄せられています。前者はもちろん世界中で小さな国がやっているように、税率と法的障壁を低く設定して(タックスヘヴン)、少なくとも書類上は外国資本(ペーパーカンパニー)を招くというもの。世界の海には実際にはリベリアやパナマとあまり関係ないのに両国の旗を立てた船がたくさん存在していることは読者の皆さんもご存知だと思いますが、モンテネグロもこれに近いことをやろうというわけです。観光はまだまだ投資と整備が必要な分野ですが、ユネスコ指定の世界遺産も2つ(ドゥルミトル山岳、コトル市旧市街)を抱え発展の可能性を秘めています。というわけで最後はコトル湾の話題です。

世界遺産の町コトル

コトル近郊の町ペラスト(写真提供: www.kotor.com)
   値段が高く従業員は居丈高。コーヒー一杯注文しても持って来るまで30分掛かる。そんなわけで海の恋しいセルビアの人々も、予算の許す限り夏休みはモンテネグロを避けてギリシアへ行ったりしており、モンテネグロ観光の評判は今のところ散々です。しかしやっぱり海は海。クロアチアの景勝地ドゥブロヴニクにも近く、政治的状況が落ち着き観光産業も整備されてくればこの小国の発展の切り札になるのはやはり観光ではないかと思われます。いくつかの湾が複合して一つの大きな湾になっているコトルの海も魅力的なところです。岬に出口を塞がれた形の静かな内海は湖のようですし、目の前に見える岬に行くのに十数キロもドライヴしなければならない地形もちょっと不思議。聖トリフォン大聖堂(12世紀)を初め地中海文化の薫りをよく伝えるコトルの旧市街はユネスコの世界遺産に指定されています。しかし市域で下水道、ゴミ処理の整備が遅れていることなどからコトル湾の汚染が指摘されており、共和国と地元当局はイタリアの援助を受けながら本格的な整備に取り組み始めたばかりです。写真も多く、コトルの美しさがよく分かるサイトはこちらです。

(99年12月下旬)


写真の版権はそれぞれカッコ内に示した先に属します。www.kotor.comに謝意を表します。またジュカノヴィッチ大統領のホームページから借用した同大統領の写真について私はこのページへの転載許可を数回にわたり求めましたが、現在までに回答を得ることが出来ませんでしたので、筆者個人の責任で正式な許可なく掲載することにいたします。これら画像の無断転載をお断りいたします。
Zahvaljujem gospodinu Zlatku Vucinovicu i kolegama iz www.kotor.com za dozvolu za koriscenje slika. Zabranjuje se svaka upotreba bez ovlascenja.

バックナンバーの訂正

  第25回配信「年金の代わりに光熱費」の中でユーゴの5〜7月の年金の総額は35億ドルで、と書きましたが35億ディナールの誤りです。また前回第27回配信「クロアチアの曲がり角」で野党HSLSの日本語名をクロアチア社会民主党と書きましたが、クロアチア社会自由党の誤りでしたのでそれぞれ訂正します。


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