「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 99/10/07 21:28

第26回配信
共存への道は遠く


1コソヴスカ・ミトロヴィッツァ  2オラホヴァッツ 3コソヴォ=ポリエ 4ペーチ
    10月中旬から11月下旬まで、ボスニアに長期出張の予定が入りました。この間もこのページの更新はしたいと思っていますが、時事的な動きに関連した内容を書くことが難しくなりそうですので、今回は主にコソヴォの(本格的に取り上げるのは空爆よりはるか前の昨秋以来ですね)、終わりにベオグラードなどセルビア本国の最新の動きをまとめておこうと思います。
    と言っても私はジャーナリストとして、あるいは通訳として空爆終了・NATO主導の多国籍軍(KFOR)展開後のコソヴォに行っているわけではありませんし、アルバニア語が読めず、またアルバニア語メディアの入手出来ないベオグラードの私にとってはインターネットが頼りなのですが、肝心のコソヴォのアルバニア人発のニュース系サイト(多くは英語で読むことが出来ました)はことごとくインターネット版が潰れてしまっています。日刊紙コーハ・ディトーレしかり、コソヴォインフォーメーションセンターしかり、アルタ通信しかり。これらのメディアは既に何らかの形での報道を始めていますから、ネット版の復活も遠くないことを望んでいますが、現在ベオグラードで一番情報が入るのは「コソヴォでこんなにセルビア人が虐待されている、アルバニア人はケシカラン」という調子のセルビアの体制系メディアです。何ともお粗末な話ですが、以下のまとめ記事も外電(AFPなど西側第三国メディア)かベオグラードのセルビア側メディアが中心になってしまいますので、若干客観性に問題が生じると思いますが予めご承知おき下さい。特別に断りのない場合はベオグラードの、体制とは距離を置いているマスコミ(日刊紙ダナス、グラス=ヤヴノスティ、ブリッツ、週刊紙(誌)ヴレーメ、ニンなど)の情報をソースとしています。

    9月21日、予定されていた19日の期限より2日遅れながら、アルバニア人武装組織・コソヴォ解放軍(KLA)の武装解除協定がKFORとKLAトップの間で成立しました。この協定によってKLAはアギム・チェク司令官をトップとしたコソヴォ保安部隊(KPF、アルバニア語略称TMK)に移行し、人員5000(うち200に武装が認められる)、国連管理・KFOR指揮下の警察組織に衣更えされました。
    空爆後の3ヶ月の間もアルバニア人・セルビア人住民間の対立と緊張が「無法状態」の中で続くコソヴォで、西側にとってこの協定はコソヴォの多民族共存と平和安定への第一歩を目指したものでしたが、実際には新たな緊張の火種となってしまいました。
人道援助は活発に

   9月30日、国連のマクナマラ・コソヴォ問題担当特使は「このままではコソヴォで自分の家で冬を迎えられない人々が80万人にもなってしまうだろう」と警告を発しました。「国連は住宅の建直し援助に今後とも努力するので、35万人は何とかなる見通しだが、30万から40万が親戚・知人宅かテントで冬を越さなければならない状況は不可避だ。」  
   世界のニュースの中心が東ティモールや台湾にシフトしてしまった(?)現在も国連や西側先進国の人道援助活動はもちろん活発に行われています。  
   9月16日にイギリスを出発した8000トン分の寝具、衣料品、医薬品、学用品、食品、住宅建築材などを積んだ8両編成の列車「生命の列車」が12カ国を通り27日にコソヴォに到着しました。これはコソヴォ難民の話を聞いて「何かをやらなくては」と思い立った英国鉄道の一労働者が発案して実現したものです。  
   しかしコソヴォ入り直前のマケドニアで当局が通行料8000ドルを要求(KFORの介入により取り下げ)、またマケドニア鉄道で働くセルビア人を自称する男から脅迫電話があるなど、一筋縄では行きませんでした。ともあれBBCによれば、無事に到着した中でもっとも大きな額になる援助は上記の人道物資ではなく、交通が通常化した折に使われることになる当の列車そのものだ、とのことです。  
   同じ9月27日には南部のジャコヴィッツァをサッカー界のスーパースター、ロナウド(伊インテル・ミラノ所属、ブラジル代表)が訪問。これは国連発展計画(UNDP)の「貧困と戦うキャンペーン」特使として起用されたものです。ジャコヴィッツァの小学校では多数の子どもを含む2000人が熱烈歓迎、モミクチャにされたロナウドは「貧しさに打ち勝てばみんなが、特に子どもたちが幸せになれる」と言うのがやっとだったとのことです。この地域はKFORでもイタリア隊が担当しており、インテルファンの兵士はスター選手の近くにいることで警備が上の空になってしまったとか・・・

    クシュネール国連行政官の後見により、アルバニア人、セルビア人の代表の話し合いの場として開かれていた「移行評議会」をこの週からセルビア人代表がボイコット。セルビア抵抗運動という政党を率い、セルビア系住民の事実上トップと目されるトライコヴィッチは、「セルビア人がコソヴォ保安部隊に入る可能性は最初からシャットアウトされていた。今コソヴォのセルビア人は多民族が共存しているような制度にも環境にも入れない。もはや地域的にセルビア人地区を制度化(カントン化)して、アルバニア人と同等の権利を勝ち取るしかない。」と戦争勃発直前のボスニアのセルビア人のような物騒なことを言い出しました。このトライコヴィッチはミロシェヴィッチ・ユーゴ大統領の利益代表ではなく、むしろ現在ベオグラードで反政府運動を続けているセルビア野党と強い関係を築いている立場なのですが・・・。トライコヴィッチと共に移行評議会をボイコットしたセルビア正教会ラシュカ・プリズレン教区アルテミエ主教は、「クシュネール行政官は、『現在の混乱の責任はミロシェヴィッチにある』の一点張りだ。私もミロシェヴィッチ政権を支持してはいない(第24回配信で書いたように、アルテミエ主教を始めセルビア正教会はセルビアの野党・反政府デモを支持しています)が、7、8月以降の責任はKFORにある」と言いつつ、やはりセルビア人がKPFに対抗する武装勢力を持つことを是認しています。
    セルビア正教会の発表によればKFOR展開後3ヶ月でセルビア人がアルバニア人側から受けた被害は、非アルバニア系住民(ジプシーなど非セルビア人を含む)の追い出し20万、殺害350、誘拐などによる行方不明450、住宅略奪や焼き打ち5万軒、正教会・修道院の破壊70件・・・とのこと。情報の出所が出所だけに、数字の信憑性には注意する必要がありますが、空爆と多国籍軍の展開で今までの力関係が完全に逆転したこと、「やられっ放し」だったアルバニア人の全員を美化する必要はないことだけは結論として導けるでしょう。

    伝えられてくるニュースからは、現地のセルビア人、アルバニア人の相互不信が極みに達している印象を受けます。前回の配信で引用したように、クシュネール行政官も「コソヴォに残ったセルビア人の住む地域が島状の飛び地になってしまっている」ことを認めています。

    一番極端な例は北部のコソヴスカ・ミトロヴィッツァでしょう。この町では北部と南部がそれぞれセルビア人、アルバニア人の居住地域に分かれ、境界線となったイバル川の橋にKFOR兵士が展開することで何とか混乱を避けています。町が分断されたボスニアの元激戦地になぞらえ、「コソヴォのモスタル」と呼ぶジャーナリストもいます。セルビア人は南部の中央郵便局に行けず、アルバニア人は北部の病院に行けない(30日に最後のアルバニア人の患者と医療関係者が退避し、今後アルバニア人住民はプリシュティナに入院しなければならなくなりました)状態です。
コソヴォ情勢を報ずる中立系日刊紙「ダナス」

    9月26日のAFP電によれば、セルビア人は既に武装組織を編成して北部の入り口の哨戒に当たっているようです。KFOR兵士の面前でもお構いなし。本業はコンピューター関係というセルビア人青年は「動員」されて、北部に残っている136世帯のアルバニア人住民がこっそり増えたりしていないか調べる任務に当たっており、「外国のブン屋さんの取調べもするぜ、スパイがいるかも知れねえからな」とAFP記者もスゴまれたとか。別の青年は「この町ではアルバニア人7万5千、セルビア人2万5千が今までも実質的にはバラバラに住み分けてきたんだ。奴らがセルビア人の乗った車に悪さをすれば、こっちも向こうのバスに投石するよ。目には目を、だ」。
    たまたまセルビア正教の墓地は市の南部に入っているため、毎日曜日にセルビア人の未亡人が亡夫の墓参りをするのにKFORが護衛付きのコンヴォイを組織しています。墓石がひっくり返されるなどの嫌がらせは当然のようにあり(KFORによれば現在まで65件)、AFP記者が同行した際も北部に帰るKFORのバスに投石があったとのことです。橋を越えてセルビア人地区に入った時、ある女性がさも安心したかのように「ああ、セルビアだわ」。
    自称「セルビア人K・ミトロヴィッツァ市」のイヴァノヴィッチ市長は「実数1000から1200のセルビア人自衛組織を作る必要がある」と強調しています。「セルビア人は獰猛なサメが周りにうじゃうじゃいる小島に取り残されているんだ、ということをクシュネールにも分かってほしい」。

    南部のオラホヴァッツ市(紛争前の推計人口約7万)はセルビア人とアルバニア人の人口比が約1対9と、コソヴォの他の地域と変わりません。しかし少数民族として居残ったセルビア人は様々な迫害に脅えています。同市当局関係者によれば(このニュースもセルビア体制系のタンユグ通信によるものなので数字などは慎重に読む必要がありますが)、これまでにセルビア人5人が殺害され、21人が誘拐、セルビア人の住宅104軒が焼かれた他盗賊などに荒らされた家が620軒にのぼる、とのことです。市役所のヴィトシェヴィッチ氏は、「セルビア人唯一の医者が逮捕され、1ヶ月もの間拘留されている。拘留命令を出している地裁はみんなアルバニア人だからだ。アルバニア人2人がKFORの兵士に『あのセルビア人は怪しい』と指摘するだけで翌日には逮捕されるような状況なのだ」と言います。  
筆者(中央)の左はセルビア人、右はアルバニア人。日本人には見ただけではどちらがナニ人か殆ど分からないのだが。93年、日本のテレビ取材に同行したプリシュティナで
    州都プリシュティナにもほど近いコソヴォ=ポリエはセルビア人が1389年にオスマントルコと戦った民族の聖地とも言うべき所で、現在もセルビア人の比率が高くクシュネールの言う「島状の飛び地」状態になっています。9月28日、同市内の市場で爆弾テロが発生し2人が死亡、42人がけがをする事件が発生しました。KFORもこのテロの予告をを受けていましたが「警戒態勢をアップしていたものの手の打ち様がなかった」(ラヴォア広報官)と言います。翌29日から同市のセルビア人は抗議の意を表明するためプリシュティナ・ぺーチ間の幹線道路にバリケードを築いて閉鎖。一方近隣のアルバニア人村では「この抗議行動に抗議するため(!?)の」バリケードを張ったため現在コソヴォの東西を結ぶ交通は混乱状態にあります。
    ラジッチ市長も「国際社会、KFORが信用できず、人道援助関連も期待できない以上、セルビア人は独力で自治・自衛組織を作らなければならない」と述べています。

    空爆終了とともに撤退したユーゴ軍第三軍パヴコヴィッチ司令官は「KPF成立はまた西側とアルバニア人勢力がツルンで作り上げた笑劇に過ぎない」と同軍がコソヴォに戻ることを主張しています(9月23日発ユーゴ国営タンユグ通信)。これを支持する政治家がベオグラードのミロシェヴィッチ政権内にもありますが、野党・セルビア民主党のコシュトゥニッツァ党首は「もしユーゴ軍が無理にコソヴォに再展開したらそれこそコソヴォを独立させたいアメリカの思うツボだ」と言います。またアメリカの空爆=力の介入を招き、ついにはセルビアがコソヴォを失うのだけは避けたい、ということです。
    既にクシュネール行政官と国連(UNMIK)の指導のもと、コソヴォと接する国境の管理はアルバニア系住民に任され、セルビア当局はコソヴォ・セルビア本国の州境で事実上の国境管理と税関業務を行っています。ドイツマルクが正式通貨として認められ、ユーゴディナールは最小限の範囲でしか使われていません。取りあえず空爆期間中難民化した際にセルビア人から書類を剥奪された帰還者が対象ながら、新しい独自の身分証明書や旅券の発行が検討されています(UNMIKは来る選挙に備え10月1日から身分証を発行する予定でしたが、まだ人口の実態が把握できないほど混乱しているため1ヶ月延期されました)。セルビア側から見れば、コソヴォはこの3ヶ月で既に半分外国になってしまったのです。
    共存への道ははるかに遠く、少なくともベオグラードで見ている限りはコソヴォのアルバニア化は避けられない情勢です。問題は少数民族としてとどまる非アルバニア系住民に対してどれくらいの安全と権利が保証されるのか、ということでしょう。KFORやUNMIKが「武装辞さず」とまで言い出したセルビア人をどのように懐柔していくのか、がこれからのコソヴォ情勢をウォッチする上でのポイントになりそうです。

    コソヴォと関係あると言えばもちろん関係ありますし、直接連動しているのでもないので関係ないとも言えるベオグラードの方では、いよいよ熱い秋の戦いが始まりました。
9月21日、ベオグラード中心部の共和国広場で開かれた「変革のための連合」集会初日は雨模様だったが熱気は十分

    第24回でも比較的詳しく書いた、都市部で人気の民主党を中心とする「変革のための連合」が9月21日にベオグラードを始めセルビアの20以上の都市で同時集会を開始。毎日午後8時頃に集まり、集会と市内を練り歩くデモが続いています。これは3年前にベオグラードを賑わせ結局3ヶ月続いた反体制デモと同じ形で、今回もジンジッチ民主党党首は長期戦を考えているようです。当初ベオグラードでの参加は約2万人とやや低調でしたが、週末の26日には5万人に拡大、さらに大学の新学年となる10月1日からは学生団体が公式に同調、勢いは徐々に高まっています。
    主催者も長期戦を見越して、集会では毎日少しずつ違うテーマを出しながら体制を糾弾しています。例えば26日は「文化の堕落」を主題としてシミッチ・セルビア共和国文化相を糾弾、ゲストの演劇人、画家など文化人が発言しました。
    日本でもニュースになったと思いますが、9月29日にはミロシェヴィッチ邸などがある郊外の高級住宅街に向かおうとしたデモ隊が警官と市中心部のミロシュ公通り(軍参謀本部やアメリカ大使館など空爆と「逆誤爆」でボロボロの建物が集中している大通りです)で衝突、デモ参加者60人(外電による)、警察側5人(内務省発表)が重軽傷を負いました。翌30日も西部のサヴァ川に掛かる橋の上で警官がデモ隊列を寸断、先頭を歩いていたジンジッチら野党幹部も警棒で殴打されました。
    ミロシェヴィッチ社会党政権の御用放送である国営セルビアテレビが「参加者は1000人程度に過ぎない」「ジンジッチは国賊」と放送するなど、体制側は様々な妨害キャンペーンを今後とも続けるものと思われますが、野党も少なくとも社会党が選挙実施を口にするまでは引き下がりそうにありません。「このまま93年のような超インフレと月給5マルクになってしまうのを黙って迎えるわけにはいかない」「コソヴォでセルビアは負けたのにそれを当局は隠そうとしている」「もうこの政権のせいで不幸になるのはゴメンだ!」と、今夜も人々の不満を結集して「変革のための連合」が集会を行っています。(99年10月上旬)


プロフィール> <最新レター> <バックナンバー> <(旧)ユーゴ大地図
落書き帳(掲示板)> <関連リンク集> <平和問題ゼミナール> <管理者のページ


当サイトは、リンクフリーです(事後でもいいので連絡ください! →管理者メール )。
必ずカバーページ(http://www.pluto.dti.ne.jp/~katu-jun/yugo/)にリンクをはってください。

CopyRight(C)1999,Masahiko Otsuka. All rights reserved.
Supported by Katsuyoshi Kawano & Kimura Peace Seminar
更新記録 大塚真彦プロフィール 最新のレター レターバックナンバー 旧ユーゴ大地図 落書き帳 関連リンク集 平和問題ゼミナール 管理者のページへ