「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
選んでください!
最終更新 21:49 98/12/15
第10回配信
日本だからできる援助

旧ユーゴ大地図にリンク   11月は仕事で再びボスニアに滞在する機会がありました。幸い戦後復興は(ボスニア連邦に比べセルビア人共和国は遅れているものの)かなりのペースで進んでいます。前回の配信でも書いたように、諸外国の支援も従来の政府レベルでの人道的援助に対して雇用の促進や具体的なビジネスを期待する企業の経済的・投資的性格のものが割合を増しています。 しかし、難民帰還や地雷撤去といった地道な作業には大変な時間がかかる以上、戦争中から政府・非政府機関が続けてきた仕事の重要さは今も変わりません。というわけで今回は仕事の合間を縫って、旧ユーゴで活動を続けている日本の代表的非政府組織(NGO)「難民を助ける会」サラエヴォ事務所の武田勝彦所長、新村浩子プログラムコーディネーターのお二人に会って頂きました。

   このページの読者の皆さんには「難民を助ける会」(AAR)のことは長々説明する必要はないかも知れませんね。「平和問題ゼミナール」独立運用サイトとして私の友人で同年代でもある横田暢之氏(同会・前ベオグラード事務所所長、現在理事・国際部長)の報告も始まりましたので、ぜひこちらもご覧下さい。

AARのサイトにリンク

   日本で最初の難民救援NGOとして発足、政治・宗教・思想上中立な、市民によるヴォランティア団体として79年以来活動を続けている。国内はもとより、アジア・アフリカ・ヨーロッパ各地にこれまで300人を越える人員を派遣して人道的活動に携わっている。旧ユーゴでの活動は91年ハンガリーでのクロアチア難民支援に始まった。94年からはベオグラードなどに現地事務所が設けられ、医療品・医薬品援助、戦争による心的外傷(トラウマ)に対する心理社会支援活動などを中心に行ってきている。

---大塚:今年から旧ユーゴの事務所はこのサライェヴォだけになりましたね。それだけ平和になっているということだと思いますが、しかし皆さんのお仕事の活動範囲はより広く、責任も大きくなりますね。最近のサライェヴォ事務所の活動についてまずご説明ください。
   武田:確かに平和へ向かってはいますが、まだ今秋の選挙後の政治状況も不透明ですし、私たちの仕事はたくさんあると思っています。今年度は終了分・予定を含めて9つのプロ
サライェヴォ事務所の武田勝彦さんと新村浩子さん
ジェクトが挙がっています。最近は長野オリンピック・ピースアピールの一環として、日本全国から集められたひざ掛け(「愛のひざ掛け」)1万枚の配布を行いました。主にサライェヴォ近辺のお年寄りや子どもが対象です。それからセルビア人共和国の方では小学校の教室増設や暖房設備の整備を今進めているところです。
   また戦争が始まってから、主にセルビア人ですがセルビア人共和国に逃れた難民がいるわけですが、この秋にボスニア連邦側の不動産法が変わって、戦争前に現連邦側に住んでいた人々の不動産の所有権がきちんと手続きをしないと宙に浮いてしまうことになりました。それでセルビア人共和国側でその関連の法律相談を行っています。重大な問題なのでトラブルにならないように和平履行会議上級代表事務所(OHR)なども広報活動をやっていますが、難民センターにいる人々まではなかなかきちんとした情報が届かなくて、誤解をしている人もたくさんいます。そこで私たちがセミナーを組織して新法律の説明と手続きの補助をしているのです。

武田さんは銀行勤務の後イギリスの大学院で国際関係論を研究、NGOの世界に入った。現地滞在2年半。
---大塚:具体的なモノを配布するというのは一般の読者の方々にもイメージがつかみやすいと思いますが、例えば今のお話で挙がった学校の工事のプロジェクトなどはちょっと違いますよね。主にコーディネーターとしてのお仕事になりますか?
   武田:そうですね、コーディネーター兼現場監督と言うか(笑)。サライェヴォ事務所としてこのプロジェクトに決められた予算があるわけですが、その中で業者をオーガナイズして工事の細かいところまで業務を管理します。もちろん私たち自身で工事にも立ち会いますよ。今回の場合は小学校側が「付き合いのある2、3の業者のどれかにしてほしい」、と希望してきましたが、そのままOKしたらいわゆる「なあなあ」でお金の流れが不透明になってしまう可能性がありますよね。それにサライェヴォには建設会社に詳しい国際機関もありますので、そこのブラックリストに挙がっていないかどうかなどを照合したりしながら、どこの会社にやらせるか学校側と相談して決めていきます。工事の各段階できちんと施工されているかにも気を付けますし、完成のチェックまで私たちが厳しく目を光らせなければいけない仕事です。

---大塚:どの小学校を優先的にやるか、などはニーズ調査をやるわけですね。私は昔はNGOというのは恒久的なプロジェクトに携わるのかと思っていましたが、実際には年度ごとに数件のプロジェクトと予算が決まって、一つのプロジェクトは数ヶ月のタームで終える場合がほとんどなんですね。
   武田:そうです。まあ次の年度も続ける意味があると判断される場合もありますが、何年がかりという大型援助案件とは違って「小回りが利く」のもNGOの良さだと思いますよ。並行して複数の仕事を進めるのは楽ではありませんけど。

---大塚:決められた予算の中でニーズを調査する、経理のセンスも必要ですね。東京本部の方でプロジェクトが指定される場合もあるんですか?
サライェヴォ市北部の住宅街にあるAAR事務所
   武田:大半はこちらのニーズ調査の結果を本部にくみ上げてもらっていますが、たまには日本側で決められた仕事の実動部隊になる時もありますよ。例えば先日の長野五輪「愛のひざ掛け」配布がそうですね。どこに何枚を配るかは私たちが調査して大体決めていましたが、日本から実際に届いたひざ掛けは少し私たちが思っていたものよりも色が派手で、こちらのお年寄りに喜んでもらえるかどうか少し不安でした。でも意外に評判が良かったので安心しました。
   新村:それに配布には長野市や長野五輪実行委員会の方も同席して、難民センターで直接手渡していただきました。「日本の気持ちがよく感じられた」と言ってくれる難民の人がいて嬉しかったです。

---大塚:よく日本のNGOでも「日本だからできる援助」ということが言われますが、旧ユーゴないしボスニアではどんな点で独自性を出せると思いますか。
   新村:ボスニアは欧米やイスラム諸国の援助がたいへん活発ですから、私たちもその辺は常に考えていないといけないと思うのですが、一つにはセルビア人共和国側への援助がそうです。欧米やイスラム諸国の援助はボスニア連邦に少し偏っているのが実状です。学校の施設の話にしても、法律相談にしてもEU諸国の団体は「政治的背景があってウチには出来ない」ということのようでしたが、実際には学校を見ても、医療機関や難民センターの実情を見ても連邦と共和国の間でかなり格差が出来ているのが分かります。日本自体がボスニア連邦だけ、セルビア人共和国だけに肩入れしてはいませんし、私たちAARの立場も中立ですから、現在援助ニーズが高いのにあまり手の届いていないセルビア人共和国の方でも活動を続けることに意義を感じています。それにセルビア人側、特に共和国東部は欧米やイスラムに対する敵対感情が強いのですが、「公平」なイメージのある日本の団体だからこそ受け入れてもらえるということは大きいと思いますね。

新村浩子さん
新村さんは約2年の広告代理店勤務の後AARに入った。現地滞在1年半。
---大塚:新村さんの目から見て、旧ユーゴの人々の印象はどうでしょうか。
   新村:大らかな人たちですね。悪く言えばちょっといい加減と言うか。ボスニアにはボスニア人、クロアチア人、セルビア人という敵対していた3民族が住んでいて、よく「俺たち(自民族)はあいつら(他民族)とは違う」という言い方をしますが、実際にはほとんど変わらないと思います。現時点での3民族の支配地域での経済格差や仕事に対する取り組み方に少し違いがある程度です。でも法律相談なんかに行くと、もと「敵」への憎しみの深さにぶつかりますね。私たち外国人がいくら「仲良くしろ」と言ったところで、肉親を殺された人にしか分からない感情なのだと思います。
   戦争前のユーゴは共和国ごとに分業体制が確立していましたし、比較的豊かなスロヴェニアやクロアチアだって、どちらかと言えば貧しいユーゴやマケドニアなどの市場がなければ苦しいはずです。経済を元にまた共存融和が始まって行くと私は思っています。
   ボスニア内の連邦と共和国の交流はほとんどありませんでしたが、今セルビア人共和国に行くとスロヴェニア製の車椅子が使われています。仕事には直接関係ありませんがクロアチア製のチョコレートも売られていました。医薬品でもある薬はスロヴェニアで、別の薬はセルビアでしか作れないので、ボスニアの半分では別の半分で手に入りやすい薬がない、などということも今までは続いていました。これからこういう問題は徐々に解決されて行くでしょうし、そんな風にして少しずつでも前に進んで行ってほしいです。

---大塚:旧ユーゴで日本人スタッフを置いている事務所はここだけになりましたが、ボスニア以外でのお仕事はどうですか。
   新村:クロアチアで従来のカウンセリングを続けていますし、マケドニアでは孤児や父子・母子家庭の高校生などを対象にスコピエ大学での奨学金を出しています。
ハジッチ仮避難所でアルバニア人の子どもたちと(右端が武田さん)   武田:この夏のコソヴォ紛争ではボスニアにも5000人の難民が流入しました。大半はアルバニア人です。先日はサライェヴォ近郊のハジッチ地区の仮避難所で長野のひざ掛けのうち500枚を配布しました(右写真)。AARでは現在コソヴォ難民への緊急募金をお願いしていますので、「(旧)ユーゴ便り」「平和問題ゼミナール」の読者の皆さんもよろしくお願いします。
   ボスニアだけではなくて、これからも旧ユーゴ全体に目を配り続けて行きたいと思っています。コソヴォも欧米の援助団体のテリトリーという印象はありますが、日本の団体ならではの仕事もきっと出てくると思います。

---大塚:最後に、日本で平和問題に関心を寄せる若い読者の皆さんにメッセージをお願いします。
   武田:日本でも最近はこういう問題に関心を持つ人が増えていることは確かですが、中には何から始めたらいいか分からない、という人も多くいると思います。旧ユーゴにしても事情は複雑ですし、報道から伝わってくることは全体の中のほんのわずかな情報に過ぎません。でも本気になれば報道だけではなくいろいろな情報が入る時代ですから、自分の目と頭を使って物事を見ていってほしいですね。常に既製の情報に疑問をもって接することも大事だと思います。


Due to the kindness of Mr.Dirck Halstead
今年6月、コソヴォ南部からアルバニア・ユーゴ国境の山岳地帯へ逃れる人々
   お二人の話の中にも出たコソヴォは何とか政治交渉までこぎつけ、戦闘の方は沈静化しています。幸いほとんどの難民は屋根の下で冬が越せそうだとのことです。しかし12月11日には国際赤十字、赤半月、ユーゴ赤十字の代表者がベオグラードで記者会見を開き、「コソヴォを始めユーゴの状況は依然として危機的だ」と訴えました。「コソヴォにはまだ10万、モンテネグロにも3万5千の難民がいる」(ドゥバイッチ・ユーゴ赤十字代表)「難民だけでなく住民の状況もよくない。これからも援助元(ドネーター)に対してアピールしたい」(メルケルバッハ・国際赤半月代表)。
   また国連難民高等弁務官事務所(UNCHR)も、来99年の難民(全世界で約2200万)対策に9億1500万ドル、うち旧ユーゴに1億5600万ドルが必要であると発表しています。
   私は旧ユーゴ諸国で平和が進む状況を来年も報告しつづけて行きたいと思っていますが、一方で戦後復興や経済発展だけに目を向けていると「難民を助ける会」の皆さんのような地道な仕事をつい忘れてしまいがちです。改めてこうした活動の意義を認識できたインタビューでした。では皆さんよいお年を!(98年12月中旬)


難民を助ける会の皆さんに謝意を表します。ロゴの版権は同会に属します。またコソヴォ難民の写真はディジタルジャーナリストのサイトより借用したものです。無断転載をかたくお断りいたします。
ALL RIGHTS FOR THE PHOTO OF KOSOVO REFEGEES RESERVED BY Mr.DAVID BRAUCHLI/ASSOCIATED PRESS/DIGITALJOUNALIST. UNAUTHORIZED MISUSE IS PROHIBITED.

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