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第4回配信 「あなたの母国語は何語?」
最近はインターネットの時代になり、あまり短波放送でニュースを聞くことがなくなってしまいましたが、冷戦時代に西側メディアが反共プロパガンダを目的として東欧・ソ連圏の言語で流していた放送は相変わらず健在です。しかしヴォイス・オブ・アメリカ、ドイチェ・ヴェレ(ドイツの声)、英BBCの各放送は「セルビア語」「クロアチア語」を別のプログラム(内容はほぼ同じで、上に書いた方言程度の差をつけて前者はセルビア人、後者はクロアチア人のアナウンサーが読む)で放送していますし、プラハに本拠を置く「ラジオ自由ヨーロッパ」は統一プログラムながら「南スラブ諸語(複数形)による放送」としています。
セルビア人がセルビア語、クロアチア人がクロアチア語と言う以上、ボスニア人がボスニア語と言っていけない法はないはずです。ただボスニアの場合はもう一つ難しい問題があります。ボスニアのスラブ系イスラム教徒が「イスラム教徒」という名の民族(一部の日本のマスコミは依然「ムスリム人」と言っていますが、ちょっと変な気がします)として認められたのはティトーのユーゴになってからの70年代で、それまでは「イスラム系セルビア人」「イスラム系クロアチア人」と考えられていました。彼らは第二次大戦中セルビア人からも、「クロアチアの華」とイスラム教徒を持ち上げたナチス傀儡のクロアチア国家からも手ひどく扱われた過去があります。ですから旧ユーゴが解体し、ボスニアが戦争に突入するのに前後して、ボスニアは独立国になるのだから「イスラム教徒」ではなく「ボスニア人」なんだ、ボスニア人の「ボスニア語」なんだ、という考え方が現与党勢力を中心に打ち出されてきたのはある意味で当然の動きでした。しかしクロアチア人やセルビア人の間では、彼らが独自の民族であり、彼らの言語がセルビア語でもクロアチア語でもないボスニア語であるという了解が、まだほとんどありません。逆にボスニア当局側は旧来の「3民族」を「カトリック、正教、イスラム教のボスニア人」と規定しようとしていますが、セルビア人、クロアチア人側は反発しています。これは両民族の公式筋がデイトン和平とは別に、現在の「ボスニア国家」の存在をあまり歓迎せず認めるような認めないような半端な態度を取っていることとも並行した関係にあります。
「あなたの母国語は何語ですか」という質問は、旧ユーゴ、特にボスニアのような微妙な状況下にある国の人々にとっては、「あなたは何人ですか」という意味とほとんど同じです。そして場合によっては「あなたはボスニアという国を認めますか」という意味にもなります。自分がナニ人であると思っているか、というアイデンティティに、また政治に強く関わってくる質問なのです(アイデンティティの問題については、また機会と視点を少し変えて取り上げようと思っています)。
通訳の現場で困るのは、特にボスニアで「ナニナニ語では(何と言うんでしたっけ)」とか聞かなければならない場合です。セルビア人の民族主義者に「ボスニア語では・・・」とわざと言って挑発する場合もまれには考えられますが、大抵はイスラム名前の人には「ボスニア語では・・・」、カトリック名前の人には「クロアチア語では・・・」等々、ということになります。時には取材対象を怒らせ、多くの場合は相手にコビる。通訳が苦労するところです。
ところでセルビアクロアチア語という、「私の学んだ言語」はなくなってしまったのでしょうか。そんなことはありません。コソヴォのプリズレンという町に住む私の友人エディ、アナの兄妹はアルバニア人とセルビア人の両方の血を継いでいますが、彼らが母国語として話す二つのうちアルバニア語でない方の言葉はセルビアクロアチア語だと言っていました。ベオグラードの友人アレクサンドラは、両親ともセルビア人ですが、自分は「学校で教わった国語はセルビア語とは言わなかったわ。私の母国語はセルビアクロアチア語だし、自分はユーゴスラヴィアに住むユーゴスラヴィア人だと思ってる」と言います。私にとってはこういう人々と話す時が一番安心できる時なのですが、彼らのこうした言い方も、例えばユーゴのユの字ももう見たくないと思っているクロアチアやボスニアの人々、あるいはセルビアの超右翼にとっては「政治的な」立場を表したものだということになってしまいます。学者から見ればたぶん同じ言語の呼び名から始まって、すべてが旧ユーゴでは政治(ここでは民族主義という「悪政」を考えています)の周りをぐるぐる回っているのです。私の第一外国語はいったい何語と言うべきなのでしょうか。(98年7月上旬)
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