「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 22:46 98/05/31
第2回配信
「新しい国が出来て」

  一つの国が出来る時、何が変わるのでしょうか。私が91年のスロヴェニアやクロアチアで見たのは、国が国としての「体裁」を整えていくプロセスでした。新しい制服を着た独自の軍と警察(旧ユーゴ連邦軍への徴兵拒否は90年から続いていました)が権力、あるいは権威として認められるようになる。新しい通貨。自動車の新しいナンバープレート。ユーゴの名を冠した機関や公社の名が抹消され、スロヴェニア鉄道やクロアチア郵便局が出来、切符や切手のデザインも変わっていきました。
  7年前まだスロヴェニアが旧ユーゴ連邦から独立をめざしてひた走っていた(戦争勃発直前の)時期、首都リュブリャーナの町ではスロヴェニアを示すSLという自動車の国籍シールが売られていました。もちろんどんなに自分で独立を宣言してみても、国際的に認められない限りはただのユーモア商品です。
  「シエラレオーネ(アフリカの小国)から文句つけられて換えなきゃならないんだってさ、ハハハハハ・・・」
  まさか第一次大戦後からずっとユーゴスラヴィアの中にあった地域が独立を果たすとは思えなかった当時のベオグラードの人々は、戦争が始まる前の日までこんな風に笑っていたものです(ちなみに現在のスロヴェニアの国籍章はSLO)。

  Djavo odneo salu. (悪魔が冗談をかっさらって行った=冗談が冗談でなくなった)

  7年が経ち、スロヴェニアやクロアチアは既に国際的に認められた独立国になっています。第一回で書いたように、その発展のスピードは当初人々が期待したほどではないものの、中欧の「中進国」として着々と歩みを進めています。それに比べるとユーゴの「残りもの」セルビアとモンテネグロから構成される現ユーゴ連邦と首都ベオグラードは「三流国」に転落したままという感じです。セルビア人はよく言います。「ついこの間まではユーゴのパスポートと言ったら、西側にも東側にもヴィザなしで行ける大変なパスポートだったんだ。泥棒業界でも高く売れたと言うよ。それが今は西ヨーロッパはおろか、前には同じ国だったスロヴェニアやクロアチアにも行けない、泥棒に頼んでも買ってくれないものになっちまった。」

  ゴルダナ(セルビア人女性、20代)は戦争前には毎年のように家族と美しいクロアチアの海岸で夏休みを過ごしたといいます。また行ってみたい。また昔の友だちに会えるかも知れない。「敵の国になってしまったから、クロアチアの人たちは私たちを憎んでいるかも知れない。でも私もセルビアの政治は駄目だと思うし、ナニ人であるかよりその人が良いか悪いかが大事という人はクロアチアにもたくさんいるはずだから恐くないわ。」
  そう言う彼女がクロアチア大使館で問い合わせたところ、ユーゴのパスポートを持つ人でヴィザが取れる要件は次の通りでした。
1・クロアチア出身の難民であること、または
2・クロアチアに家族か近い親族がいて、身元保証書を送ってくること、または
3・カトリックであるという教会発行の洗礼証明書があること

  ベオグラード育ちの正教徒であるゴルダナはクロアチア行きをあきらめざるを得ませんでした。

  ネボイシャ(セルビア人男性、40代)はベオグラードのレストランのウエイターです。しかし今の職での給料はせいぜい月額15000円程度。セルビアでは平均より少し下くらいですが、その生活は楽ではありません。奥さんはデパートの売り子ですが、その薄給は数ヶ月遅れが当たり前。男の子二人のうち上の子の高校卒業が近づいていますが、卒業後とてもまともな就職の可能性はありません。ハノーヴァーに出稼ぎに行っている友人や親戚(この戦争でセルビア人が入国しにくくなる前から10年以上住んでいる人たちです)を頼って自分もドイツで働こうと考えましたが、ドイツは折りからの不景気やユーゴとの険悪な関係もあってなかなかセルビア人にヴィザを出しません。そこで考えました。
  クロアチアのパスポートを取る。クロアチアのパスポートならば、ドイツにヴィザなしで入れます。もちろん労働ヴィザを取るのは楽ではありませんが、観光目的で一度入国してしまえばあとは最悪の場合非合法で働いても、ベオグラードで暮らしているよりはまともなカネが入るはずです。
  ネボイシャの生まれはクロアチアの西スラヴォニア地方。95年クロアチア軍が軍事進攻をしてから民族構成は大きく変わってしまいましたが、伝統的にセルビア人の多かったところです。この地域に残っている親戚に頼んで、国籍証を取りました。これでクロアチアには簡単に入れます。あとは身分証明書を現地で取り、パスポートを申請します。
  「そうしたらドイツだって日本だってヴィザなしで行けるぜ、やっぱり一流国だよな、オレの生まれた国は。」
  しかし奥さん(セルビア人、30代)は言いました。「でも私たち家族を置いて一生ドイツにいるわけじゃないでしょ。稼いで帰ってきたらあんたこの国で外国人よ」
  一度は決心したネボイシャも考え込んでしまいました。クロアチアとユーゴの関係は、戦争をしていた数年前に比べれば徐々に良くなって いる(ベオグラードの一等地に大使館が出来たのもその証拠です)とはいえ、まだ二重旅券を認めるところまでは行っていません。彼が仮に一、二年稼いで帰って来るとして、可能性としては次の二つになります。

1・クロアチアのパスポートでユーゴに帰り、今持っているユーゴのパスポートは返上、以後は外国人としてベオグラードに暮らす(合法)。
2・第三国を経由するなど複雑な帰り方でうまく国境をごまかして通り、最終的にはユーゴのパスポートで帰ってくる。以後は認められていない二重旅券所持を続ける(非合法)。

  少年時代から40年近く暮らしているセルビアの首都ベオグラードで、セルビア人のネボイシャが外国人として暮らさなければならないのでしょうか。暴力団まがいの右翼の連中に自分がクロアチア国籍であることが知られれば何をされるか分かりません。あるいはいつ当局に知られるかと恐れながら、役に立たないユーゴのパスポートを持ち続けてユーゴ国籍にこだわるか。税金や滞在許可でどちらが有利なのか。子どももやがては外国に自由に行かせられたらいいと思うが、クロアチア国籍を取ることで問題は生じないだろうか。せっかく取った国籍証をまたクロアチア当局に返すことも考えながら、ネボイシャの悩みが続いています。

  かつて自分の国だったところへ入れない。あるいは長年暮らしてきた自分の国で突然外国人になってしまう。新しい国が出来、新しい問題が生じています。

  それにセルビアの政治改革と経済発展が遅れ、そのために先進国がヴィザを(なかなか)発給しないのはある程度仕方ない(どの国にもその国なりの入国管理の理屈があるのは当然でしょう)としても、また政治の責任は政治家を選ぶ当の住民自身にあるとしても、先進国に行く可能性が閉ざされてしまえばセルビア人の考え方はいよいよ偏狭にならざるを得ませんし、それだけセルビアの政治が生まれ変わる可能性は小さくなってしまいます。簡単に答えの見つけられないディレンマです。
  私たち日本人のよく知っている西ヨーロッパは今一つになろうとしています。しかしその外側にもヨーロッパがあり、そしてそれが準EUとでもいうべき中欧・バルトの「二等国」とそれ以外の旧ソ連、バルカン諸国のような「三等国」に差別化されようとしている、これも今起こっている現実です。(98年5月下旬)


*人名には仮名を使用しています。


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