「アエラ」新ユーゴ・セルビア共和国デモ原稿

・セルビア大統領の「夫婦支配」を追いつめる街頭デモ
  西側にも見捨てられたミロシェビッチ政権の瀬戸際
・セルビアの抗議デモは「マスコミ革命」の序曲
  地方選敗北でミロシェビッチ政権の情報統制に風穴

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セルビア大統領の「夫婦支配」を追いつめる街頭デモ
 西側にも見捨てられたミロシェビッチ政権の瀬戸際

千田 善


 新ユーゴスラビア・セルビア共和国で、地方選での野党勝利無効決定に抗議する街頭デモは、連続七十日を突破した。

 毎日午後三時すぎからベオグラード中心部の共和国広場で開かれている、野党連合「ザイェドノ(一緒に、という意味)」主催の集会は、いまや「名物」といえるほど定例化した。連日、数万からときには数十万人の市民が笛やラッパを持って集まる。

 その中で、ひときわ目を引いているのが「フェラーリ」の旗だ。

 若者たちが赤と黄色のイタリアの自動車メーカーの旗を振りまわすのを、まわりの市民たちは「マルコへのあてつけだ」と、ニヤニヤしながら見ている。

 大統領の長男マルコ・ミロシェビッチ氏(22)のことだ。最近購入した八台目の乗用車が「フェラーリ」なのだという。

 セルビアではプレイボーイに必須の「三つのP」がある。ピストル、プラブシャ(金髪女性)、それに車−−ひと昔はポルシェ、ボスニア戦争以降は四輪駆動のパジェロが好まれるようになった。マルコはそれより高級志向らしい。

 マルコは自分でラリーに出場するほどの自動車マニア。人身事故を起こした後、大統領の出身地ポジャレバツ(ベオグラードの東八〇キロ)で、「マドンナ」という名のセルビア最大のディスコの経営者におさまっている。

 昨年七月、ここでベオグラードのラジオ局「コシャバ」の開局二周年パーティーが開かれた。ラジオ・コシャバの編集長は姉のマリヤ・ミロシェビッチさん(29)。政府系紙「ポリティカ」もこの様子を報道し、「マドンナ」の音楽の選曲にラジオ・コシャバが協力する、と宣伝に一役買った。

 ボスニア戦争介入を理由にした新ユーゴ(セルビアとモンテネグロ)への国連の経済制裁は、昨年秋に解除されたが、工場設備の稼働率は二割程度で、労働者の約半数は自宅待機。国民生活は一九六〇年台半ばの水準に逆戻りした。

 経済が壊滅状態のなかでの大統領の息子の放蕩三昧、それだけのカネはどこからでるのか。「ミロシェビッチ大統領はキプロスの口座に財産をためこんでいる。一家が逃亡するならキプロスだ」などのうわさもたえない。

 「フェラーリ」の旗は、そんな大統領一家を鋭く風刺する政治的な意義申し立てなのだ。

 母親でベオグラード大教授のミーラ・マルコビッチさん(55)はインタビューで、息子を甘やかしたと認めているが、後悔している様子はない。そのくせ、学生や野党の抗議デモを甘やかすつもりはないらしい。

 ミーラ夫人こそ、抗議デモに武力発動も辞さない強硬派として、最近ますます脚光を浴びているセルビアのキーパーソンだ。

 大統領の妻が政治に口出し、というと、ルーマニアの故チャウシェスク大統領夫妻を連想させる。名前をもじって「ミロシェスク大統領」と呼ぶものもいるが、セルビアの「おしどり政権」には、少しこみいった事情がある。

 スロボダン・ミロシェビッチ大統領(56)とは幼なじみ。父親が自殺、母子家庭で育った大統領と、実母と生後数日で死別したミーラさん。境遇が似ている。

 ただし、夫人の父は第二次大戦で活躍し、「人民英雄」の称号を受けた旧共産党の政治エリート。男尊女卑の風潮が残るセルビアではきわめて珍しいが、妻は結婚後も「格上」の旧姓で通す。本名はミリャナ・マルコビッチ=ミロシェビッチだが、別姓で「ミーラ・マルコビッチ博士」が通称だ。

 「家庭内では対等」(同夫人)と夫(大統領=社会党党首)にアドバイスを与えながら、別の政党「左翼連合」党首として、連立政権に参加している。

 両党とも、もとの共産主義者同盟(共産党)に源流がある。夫の社会党は民族主義と実利主義が基調で、妻の「左翼連合」は旧ユーゴ復活も主張する「ネオ・コミュニスト」として知られる。

 夫婦で硬軟両方の政治路線を使い分けている、ともいえないこともない。しかし今回のデモ対策では、大統領が武力行使に慎重で、場合によってはいさぎよく地方選敗北を認める構えなのにたいし、「左翼連合」は実力行使を主張し、対立しているのだという。

 ミーラ夫人は最近も月刊誌『ドゥーガ(虹)』の連載コラムで、抗議デモを続ける野党勢力が「セルビアに内戦を起こそうとしている」と激しく批判した。

 ミーラ夫人のコラムは、ミロシェビッチ政権の「次の一手」を占う風速計とみなされている。

 大統領はどちらかといえばマスコミ嫌いで、情勢が微妙なときほど沈黙をきめこむ。決断を先延ばしにし、「重大演説」の効果的なタイミングをはかるスタイルだ。

 これにたいしミーラ夫人は自分のコラムや、新聞・雑誌のインタビューその他で政府系マスコミへの「露出度」が高い。しかも、コラムの内容のほとんどが、数週間後にミロシェビッチ政権の政策転換として実現してきた。

 ボスニア戦争への対処でも、最初はボスニアのセルビア人勢力支援を主張、九四年に同勢力が欧米の和平案を拒否すると、セルビア本国による断交、経済封鎖を「示唆」「予測」し、実際にその通りになった。大統領の側近中の側近だったヨビッチ副党首更迭など、人事にも口をはさんだ。

 ミロシェビッチ氏がセルビアの政治の表舞台で脚光を浴びるようになったのは、いまからちょうど十年前だ。

 当時、妻は夫に「大幹部の娘婿」との風采の上がらぬ風評を一掃し、「偉大な愛国者(セルビア民族主義者)」へイメージチェンジするよう知恵を授けたという。これが奏効し、ミロシェビッチ氏は民族主義を利用して、「ベルリンの壁崩壊」後も政権維持に成功した。

 十年前のミロシェビッチ氏は、ほかの幹部たちが運転手付きの黒塗りの高級車にのっているのに、自分でフォルクスワーゲンを運転していた。ほかの幹部が豪邸に住んでいるのに、ベオグラードの下町の市場の近くの2DKのアパートに住んでいた。

 ちょうどソ連でゴルバチョフ政権が誕生した直後で、若く(当時は四〇代半ば)、決断力・実行力のある改革派の指導者、しかも謙虚で清潔、というミロシェビッチ氏の印象は新鮮だった。

 いまや故チトー大統領官邸があった高級住宅街デディニェ地区に豪邸を数軒所有、その一軒に放蕩息子を住まわせているという。

 ところで、いまでこそ「街頭デモではなく、法と秩序の枠内で解決しよう」というミロシェビッチ大統領こそ、実は大規模な街頭デモで政敵を退陣させる手法を考え出した張本人だ。

 八七年に恩人・親友でもある上司を更迭し、セルビア共和国の実権掌握に成功したミロシェビッチ氏は翌八八年、のべ四百万人を動員し、四十以上の都市で大集会をひらき、地方幹部を次々に辞任に追い込んだ。文革時代の紅衛兵運動を連想させる手法だった。

 このときのセルビアでの民族主義高揚が、ほかの地域の民族主義を刺激し、各共和国で独立運動が起こり、旧ユーゴが崩壊・内戦への道をたどることになったのは、今では有名な話だ。

 ミロシェビッチ氏は当時、集会参加者と警察が衝突したさい、警察を非難し「だれも人民をなぐることは許されない」との名文句をはき、人気をさらに高めた。

 ミロシェビッチ大統領はいまだに、自分の過去の栄光を演出した「名文句」にしばられ、ベオグラードなどでの野党側の街頭デモへの実力行使に踏み切れないでいるようだ。皮肉なことだが、街頭デモで権力基盤をかためた大統領が、野党側の街頭デモで政権の瀬戸際に追い込まれているのだ。

 心配なのはボスニア和平への影響だ。ミロシェビッチ大統領がボスニア和平協定(九五年十一月、デイトン合意)に署名した三人の当事者の一人だからだ。

 西側にとってミロシェビッチ氏は、ボスニアのセルビア人勢力にいうことをきかせるための「便利な道具」でもあった。

 そのため欧米諸国は当初、ミロシェビッチ政権への批判に及び腰で、イタリアのディーニ外相などはベオグラードを訪問したはいいが、野党側に自制を求めて市民たちを唖然とさせた。

 その後、オルブライト新国務長官就任が決まったアメリカがミロシェビッチ政権を強く批判。これを受けて、対セルビア貿易拡大に積極的だったEUも経済制裁をちらつかせ、圧力をかけている。

 ベオグラードの観測筋は「西側に必要なのはミロシェビッチではなく、セルビアの安定」といいきる。今年後半にはセルビア大統領選も予定され、抗議デモの行方次第では政変の可能性もある。

 (ちだ ぜん・ジャーナリスト。著書に講談社現代新書『ユーゴ紛争』など)


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セルビアの抗議デモとミロシェビッチのマスコミ統制

セルビアの抗議デモは「マスコミ革命」の序曲
 地方選敗北でミロシェビッチ政権の情報統制に風穴

千田 善


 新ユーゴスラビア・セルビア共和国で、野党連合や学生の抗議デモが二カ月半も続いている本当の理由は、マスコミの支配権だ。

 大規模な抗議デモは、セルビアの「マスコミ革命」の序曲でもある。

 もちろん、抗議デモの直接のきっかけは、十一月の地方選での野党勝利が無効にされたことだ。壊滅的な経済状態、生活水準低下への国民の不満も根底にある。

 しかし、それだけでないことは、毎日夜七時半、ベオグラードの街頭に立ってみれば分かる。

 うるさいのだ。

 寒いのに窓を開け放して、ナベやフライパンをたたいたり、笛やラッパを吹き鳴らしたり、市民が「騒音デモ」をおこなっているからだ。

 七時半は国営テレビの定時ニュースの時間だ。連日数万からときには数十万人が集まる集会やデモを、国営放送はいっさい無視するか、たまに取り上げれば、政治解説委員が野党指導者を「外国の手先」と口汚く非難する。

 ときには、数万人の集会が終わり、デモに出発した後の共和国広場を映して、たった数十人しか参加していなかったかのような「報道」もするという。

 七時半から三十分間、寒いのとうるさいのをがまんしてナベをたたき続けるのは、ミロシェビッチ政権のマスコミ統制にたいする、せめてもの抗議というわけだ。

 ベオグラードの独立系FMラジオ局「B92」は、連日のデモや集会とともに、夜七時半からの「騒音デモ」をレポーターの携帯電話やリスナーの電話参加で生中継する。

 「〇〇地区はこんな様子です。ガンガンガン・・」

 「ミロシェビッチ大統領の豪邸のあるデディニェ地区でも、ようやく最近、騒音がはじまりました。もっと応援してください」

 −−という具合だ。他愛のない番組だが、与党側はB92を目のかたきにしている。

 昨年十一月、野党の抗議デモがはじまると、B92には強力な妨害電波がかけられた。一週間ほどして、妨害電波の発信元が警察であることが判明した。抗議すると、突然、B92のスタジオに国営放送局からファックスが入り、放送が中断した。「放送アンテナ賃貸料未納」を理由に、中継回線を切断したのだ。

 ところが、この放送妨害が抗議デモに拍車をかけた。欧米各国からの非難も相次いだため、三日後、またもや突然、B92の放送が再開された。

 「国営放送側の公式説明は『中継用の同軸ケーブルに雨水が入ったため』ということでした」と、B92のニュース・キャスター、プーポバツさん(二九)は笑う。

 プーポバツさんは、今回の地方選での不正が「最近五年間のミロシェビッチ体制がおかした最大の誤り」と指摘する。

 「というのは、自分で不正をし、それが発覚したという点です。たとえば、(クロアチアやボスニアでの)戦争の初め、人びとは抗議の声を上げませんでした。さらに、九三年の超インフレのときにも、政府や担当者の辞任はありませんでした。それをみんな、国営メディアの情報操作で切り抜けてきた。しかし、今回は違います。地方選挙の投票泥棒という事実が隠せなくなり、人びとの抗議がかつてなく高まっているのです」

 この直前、隣のクロアチアでも独立系ラジオ局「ザグレブ・ラジオ101」の閉鎖が問題になった。関係者は「ミロシェビッチがまた、トゥジマン(クロアチア大統領)のまねをしてマスコミ統制を強化しようとした」とみている。

 ミロシェビッチ大統領は九一年のクロアチア戦争について、軍事的には負けなかったが、テレビなどを通じたマスコミ戦争に完敗した、と総括した。

 そこで、すでにテレビや新聞のほとんどを国営化していたクロアチアにならい、マスコミ対策を強化。九二年以降、ミロシェビッチ政権は、セルビアのテレビ(一〇〇%)、ラジオ(約六十局のうち二局を除く)をほぼ掌握したうえ、株式会社だった独立系日刊紙『ボルバ』(闘争)も強引に国営化した。

 『ボルバ』の記者・職員の九割は退社し、新たな日刊紙『ナッシャ・ボルバ』(我々のボルバ)を創刊し、抵抗を続けている。

 しかし、とくにテレビは、農村部にいくと国営放送しかうつらない。テレビを通じた情報操作は、田舎にいくほど徹底する。与党社会党はこうした農村部のかたい支持基盤に支えられてきた。

 ところが昨年十一月の地方選挙で、主要十八都市のうち十四都市で野党連合「ザイェドノ(一緒に)」が勝利し、マスコミ統制の一角が崩れかねない情勢になってきた。

 これらの都市の多くは、自前の市営ラジオ放送局をもっている。与党側による開票操作などの不正工作が破綻し、野党系市長が正式に誕生すれば、もはや国営通信社のニュースを垂れ流しに読むだけのラジオ放送ではなくなる。

 旧ユーゴスラビアが崩壊した後も、セルビアでは旧共産党のミロシェビッチ政権が継続してきた。農村部で政府に批判的な番組が放送されれば、ローカル・ラジオとはいえ、第二次大戦後初めて(一部では史上初めて)の重大事件になる。

 「ラジオ戦争」はすでにはじまっている。野党側の勝利が確定しているクラグエバツ市(ベオグラードの南一二〇キロ)では一月下旬、新市長がラジオ局の明け渡しを求めた。ところが、放送局の社会党幹部たちがバリケードを築いて立てこもった。これを守ろうとする警官隊と野党支持者が衝突、野党の国会議員を含む数十人が重軽傷を負った。

 セルビア全体で現在、ラジオは約六〇の放送局がある(少数民族の言語での放送も含む)が、政府系でないのはベオグラードの「ラジオB92」と学生主体の「ラジオ・インデックス」(学生証という意味。B92と同じ時期に放送中止命令を受けた)だけ。しかも両放送とも出力が弱く、ベオグラードも全域はカバーしていない。

 つい最近まで、ベオグラードの若者にもっとも人気があったラジオは政府系の「ラジオ・コシャバ(北風)」だった。二年半前に開局したばかりで、ベオグラードで一番高い旧共産主義者同盟本部ビル内に本社を構える。

 どうしてそんな建物が借りられたのか。編集局長がミロシェビッチ大統領の長女マリヤさん(二九)なのだときけば納得する。B92が妨害電波をかけられていた十二月初め、

 「セルビアの政権に不満をもつ人がいるなんて、どうしてかしら。ここ数年の(ボスニア)戦争にセルビアが参戦しなかったのは、最近百五十年のバルカン半島の歴史の中で初めてのことなのに」と、マリヤさんは父親の「平和主義」を手放しで礼讚した。

 ラジオ・コシャバはミロシェビッチ政権のマスコミ政策のシンボル的存在だったが、国営放送と同じく最近の抗議デモをほとんど報道しないため、聴取者はB92などに流れつつあるという。

 地方選の結果によっては、ベオグラードに史上初の「独立系テレビ局」が誕生する可能性もある。

 現在、ベオグラードで受信できるテレビ(地上波)は合計九チャンネルある。四つは音楽や映画などの娯楽専門局で、報道番組があるのは五チャンネル。国営以外では、ベオグラード市営放送「スタジオB」、政府系新聞社直系の「ポリティカ」の二局だが、いずれもいまのところ大統領の側近が幹部をつとめる「御用放送」だ。

 しかし、野党出身のベオグラード市長が誕生すれば、「スタジオB」が与党の統制を離れる。二百万人が、政府のいいなりでない報道番組を、ラジオだけでなく、テレビで見られるようになる。

 地方選での野党勝利を認めてしまえば、セルビアの情報統制には大きな風穴が空く。今年後半に予定される大統領選挙、共和国議会選挙では、地方選以上に「反政府票」が増えるだろう。

 与党陣営内部、とくに「ネオ・コミュニスト」と呼ばれる強硬派は、がんとして敗北を認めず、開票結果を不正に操作して得られた「与党勝利」に固執している。

 「いったん敗北を認めれば、亀裂の入った堤防のように、政権そのものが土石流で押し流されかねない」という本能的ともいうべき危機感が根底にあるのは間違いないだろう。

(ちだ ぜん・ジャーナリスト)



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