* ようやく念願の「聖ベルナデッタ」に会えました。今にも起きて来そうに、静かに素敵な寝顔を
   私に見せてくれました。そして、その美しさに思わず私は涙してしまいました。
   あなたも何時か、ヌヴェールの「ベルナデッタ」に会いに行きませんか?

サン・ジルダール修道院敷地内の「聖ベルナデッタ」関係の主な場所の紹介
水の聖母   大聖堂 「聖ヨセフ」小聖堂 聖母の洞窟

ルルドで聖母マリアの出現に出会って後、ベルナデッタの心の中で、全生涯をイエスのあとに従って
生きるようにという呼びかけが、少しずつはっきりとしていきます。
 この呼びかけに応えて、1866年7月7日の夕方、ベルナデッタはヌヴェール市サンジルダール
にある修道院の門をくぐるのです。
サン・ジルダール修道院の正面 修道院の聖堂に眠る「ベルナデッタ」 聖堂へ入るとベルナデッタの写真が迎えてくれました
サン・ジルダール修道院の正面 修道院の聖堂に眠る
「ベルナデッタ」"
聖堂へ入るとベルナデッタの
写真が迎えてくれました

  「ヌヴェール愛徳およびキリスト教的修道会」
   1680年 フランス ヌヴェール市近郊サンソージュ村で創立。
   創立者ベネディクト会司祭 J・B・ド・ラヴエンヌ師。
  貧しい人々のうちに、イエズス・キリストを見つめなさい。その人々を尊敬することは、
  主に栄光を帰することです。
   姉妹達は「愛を神ご自身のように大切にし」貧しい人のうちにおられるイエズス・キリスト
  に対する愛徳の仕事に、自己の全存在を奉献した(会則から)
   このヌヴェール愛徳修道会本部修道院の文書保管所には、聖ベルナデッタに関する多
  くの記録が保管されています。

修道院の側面より全景 ベルナデッタが亡くなった聖十字架病室
修道院の側面より全景 ベルナデッタが亡くなった聖十字架病室

   ベルナデッタは、つつましい家庭に生まれました。家族の生活は徐々に極貧の状態に
    陥っていきました。その中でベルナデッタは常に病気がちな子どもで、幼い頃からすでに
    胃が悪く苦しんでいました。1855年に流行したコレラの犠牲になることはまぬがれたも
    のの、度々喘息の激しい発作に見舞われました。健康が思わしくないために、修道生活
    への道は閉ざされているように思われました。フォルカード司教がベルナデッタをヌヴェ
    ール愛徳修道会に受け入れてはと提案したとき、総長メール・ルイズ・フェランは、「司教
    様、彼女は修道院の大黒柱になるでしょう」と答えました。短い生涯の間に、彼女は少な
    くとも三度、病者の塗油の秘跡を受けました。彼女は喘息だけではなく、肺結核をはじめ、
    右膝結核性関節腫瘍....等に徐々冒されていきました。1879年4月16日、水曜日
    痛みはその激しさを増し、11時を少し回った時、呼吸困難に陥りそうになりました。その
    ため暖炉の前にある肘掛け椅子に移され、両足は小さな足台にのせられました。こうして
    15時15分頃、ベルナデッタはサン・ジルダール修道院の聖十字架病室で静かに息を引き
    とりました。その時の肱掛椅子は資料館で見る事が出来ました。そしてその聖十字架病室
    も当時のままの床板で、私たちを迎えてくれました。修道院のシスターの好意で私たちは
    その部屋に入る事ができ、祈る事が出来ました。

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