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前回の訪問の時は、地震後の修復作業中で思うような写真が撮れませんでした。
2回目の巡礼がこんなに早く行けるとは思ってもいませんでした。たくさんの巡礼の人々が 絶えることがありませんでした。私の好きなお祈りの1つ「平和の祈り」を作った聖人、 聖フランシスコの聖堂です。写真をクリックすると大きな写真になります。 |
聖フランシスコの大聖堂 聖フランシスコの保管する石棺のある墓
聖フランシスコの大聖堂と地下聖堂
聖フランシスコの大聖堂の建設は、聖フランシスコの死からほんの2年後の1228年に
始まった。この聖堂は上下二つに分かれ、下部の聖堂は30年かかって1258年に、上部
の聖堂は1230年から52年の間に建設された。
北はテーショ渓谷、南はウンブリア平原の上に張り出して切立つ岩の多い土地は、アッシ
ジの裕福な市民より、フランシスコ修道会へ寄進されたが、修道会の規律でこの称号の受
け入れを固く禁じていたため、会則に従い教皇グレゴリオ九世の所有として登録されている。
公正起草書によると教会と修道院がヴァティカン市の財産となる。
犯罪者の死刑が行われていたので「地獄の丘」と呼ばれていたこの地は、聖フランシスコ
の遺体を保存することになり「天国の丘」と命名された。
建築家が誰だったのか知られていないが、おそらく修道会長のエリア・ディ・ボンバローネ
修道士と思われる。
1230年5月25日にはサン・ジョルジョ教会の臨時の墓地から、聖人の遺体が実際に持
ち運ばれた。現在、地下聖堂内に安置されている。簡素で飾り気のない地下礼拝堂は深い
感動を引き起こし、私達を瞑想と祈りに導いてくれる。
墓の4隅には聖人の四使徒「レオーネ」「ルフィーノ」「アンジェロ・タンクレディ」「マッセオ」
の遺骸が葬られている。
上部の聖堂には有名なジョット作の「フランシスコの生涯」の28枚のフレスコ画が見事である。