◆兵学の部屋 米海軍情報部の国際情勢要約
 
 
 
◆1941年11月1日
 
1)外交情勢
 
 A)日本
 近衛内閣は10月16日に総辞職し、この内閣の陸相であった東条将軍が新内閣の首班となり、陸相及び内相を兼任した。東条首相は内閣顧問も更迭し、政府に対する協力者と入れかえた。  こうして東条は、近代日本のどの首相よりも大きな権力を手中におさめた。  彼は対外強硬主義者であり、反外国、特に反ソ的な人物である。  彼は強い親枢軸傾向の持ち主である。
 東条は、支那事変を解決するとともに枢軸関係を強化し、大東亜共栄圏の建設を続けると述べた。  多くの観察者は日本の早期シベリア攻撃を、一部の者は日本のタイに対する侵入を予想している。  また他の一部の人は、ビルマ道路を遮断するため日本の雲南省への進撃の時期が切迫していると考える。  しかし、東条将軍は、日米会談を続けると言明した。  これは11月15日に召集される5日間の特別議会と合わせ考える時、恐らく日本は少なくとも11月半ばまでは新しい行動に出ないことを示すものである。
 
 B)ドイツ
 独ソ戦の開始以来、ドイツ国民、特にバルト海沿岸地方の住民の間には増大する不安の兆候がみられる。  ダンチヒでは、秩序の回復に警察を援助するため軍隊を呼び戻さねばならなかった。  労働者は兵隊に鉄片を投げつけ、兵隊は群衆に発砲したといわれている。  しかし、こうした不安が重大化しているとみるべきではない。  ヒトラーに対する盲目的な信頼はまだ強く、国内の不和はまだ極めて小さい。  ダンチヒのような問題は孤立した出来事であるので、一般的な傾向を示すと考えてはならない。
 近衛内閣の退陣と時を同じくして、ドイツは極東における三人の重要な任命を発表した。  極東とアジア問題の専門家であるハインリッヒ・フォン・スターマーは、1941年10月15日、”中国政府”の首都・軟禁駐在の公使に任命された。  明くる16日、前サンフランシスコ駐在のドイツ総領事フリッツ・ワイデマンは青島総領事に任命された。  同じ日、1941年7月にボリビア政府の要求によって解任された前ボリビア駐在ドイツ公使エルンスト・ウェンドラー博士はタイ駐在公使に任命された。
 独ソ戦の為に、ドイツ国内の石油事情は1939年9月以後のどの時期よりも深刻になった。  多くの工場の割当て量は60%に減り、個人の消費はほとんど完全に制限された。
 独ソ戦の開始以来、ドイツは極東からのゴムの補給を続ける為、他のルートを調査しなければならなかった。  フランス政府との間に、サイゴンからヴァルパライソ(チリ)へ、それから陸路でブエノスアイレスへ、ついでポルトガルまたはカサブランカへゴムを輸送する協定が出来たといわれる。
 他の供給源からの皮革の補給が思うようにないので、ドイツは獣皮を積んだドイツ船とイタリア船でブラジルの港から封鎖線を突破しようとした。
 ドイツとスペインは労働協定を締結し、スペインは10万の労働者をドイツに送るようになった。  ドイツはスペインに約20万の労働者の”交換”を要求していた。
 捕虜になったロシア人の大部分は、ドイツ軍の占領したソ連地区の再建に使用されている。  約2万のロシア人捕虜は農業に使用されている。
 
 C)イタリア
 ドイツ経済相とイタリア蔵相の重要な会議が10月19日ローマで始まった。  イタリアはドイツの要求する労働力を提供したならば、地中海を確実に支配することになる。  この会議の目的の一つは、イタリアがドイツとの貿易だけでなく、バルカン及び南欧諸国との間の貿易も含めた手形交換を再整理する事であった。
 ソ連におけるドイツ軍司令部で、チアノ・イタリア外相とヒトラー及びリッペントロップ・ドイツ外相との会談が行われた。  この会談の目的は明らかでないが、トルコに対する新しい外交上の手を打つ計画が進められているといわれる。
 
 D)フランス
 フランスとドイツの間の協力の基礎が築かれたヒトラーとペタン元帥のモントワル会議から1年の間に、フランスは徐々に枢軸側に傾いていった。  経済上の協力が行われており、ナチスの圧力によって政治的協力がこれに続くものと思われる。  冬季における独ソ戦の低調化にともない、独仏間の新しい関係の進展が期待される。
 フランスとドイツの間に戦争状態が存在する限り、正常な外交関係は回復出来ない。  しかし、互恵的な基礎に立って、ナチスの総領館をドイツ軍のフランス占領地域に、フランスの総領館をドイツ国内に設置する協定が締結された。クルグ・フォン・ニッダがヴィシー駐在代表に、ジョルジス・スカピニがベルリン駐在代表に任命されるものと思われる。
 
 フランス艦隊
 最近、ヴィシー艦隊の移動については報告されていない。  艦船の所在は次の通りである。
ツーロン    戦艦2、空母1、重巡4、軽巡3、駆逐艦35、潜水艦23
北アフリカ   戦艦1、軽巡1、駆逐艦4、潜水艦10
カサブランカ  戦艦1、軽巡2、駆逐艦8、潜水艦12
ダカール    戦艦1、軽巡2、駆逐艦5、潜水艦10
マダガスカル  潜水艦2
西インド諸島  空母1、軽巡2
仏印      軽巡1
 
 フランス植民地
北アフリカ
 ドイツは、ウェイガン将軍を追放し、その代わりにシリアにおけるフランス防衛を指揮したデンツ将軍を任命するよう、ヴィシー政府に大きな圧力を加えている。  ヴィシーから帰ったウェイガン将軍は、フランス政府はアフリカのフランス領の現状を変更するように決定しておらず、アフリカにおける航空及び海軍基地の使用を枢軸側に認めるような譲歩をしていないと言明した。  ヴィシーとベルリンの間の協定によって、ドイツの領事館がアルゼーとモロッコに設けられるという。
シリア
 10月28日、英国はシリア共和国の独立を正式に承認した。
 
 E)ラテン・アメリカ
  傾向
陸軍および海軍
 アルゼンチンは、西半球の防衛における自国の役割と必要な物資の入手について討議するため、陸海軍使節団の米国への派遣を考慮中であるといわれる。
経済
 ドイツは関係諸国におけるドイツの経済上の利益に対する米国の輸出禁止品目の適用による効果をなくすため、グアテマラとコスタリカにいるドイツ人を使用し、これら両国政府内の同調者に働きかけて、ある程度の成果をおさめた。
 米国の輸出入銀行は、道路を開発するため3,000万ドルをメキシコに融資することになった。
全体主義の浸透状況
 表面の事象から観察する限り、ラテン・アメリカの情勢は引き続き改善されている。  これはソ連におけるドイツ軍の成功から見るとき、特に喜ばしいことである。  今日まで、こうしたドイツの顕著な成功は、ナチスの活動に対するラテン・アメリカ諸国の態度を緩和するという形で米州諸国全体にみられた。  しかし、今日では、これら諸国はナチスの活動に対し融和的な態度に出ることは具合が悪い、と考えるようになったと思われる。  ラテン・アメリカ諸国は枢軸の活動を抑制するため、これまでよりはるかに効果的な方法をとると考えられる。  恐らくメキシコ、グアテマラ、コスタリカおよびペルー以外の諸国も、これと同様な態度をとるものと思われる。  メキシコは口先では民主主義に賛成しているが、民主主義諸国とナチ・ファシスト側の双方に好意を示し、日和見的な態度を続けている。  グアテマラとコスタリカは、一般に認められている両国の弱点から、やむをえず枢軸側の感情を過度に害しないようにするだろう。
 
2)日本陸軍の状況
 信頼できる筋によれば、ソ連を攻撃のため満州、朝鮮および内蒙に配備されている日本軍は684,000に増強された。  同時に増援軍が仏印に到着しており、同地の兵力は5万から約10万に増加すると思われる。  大規模な航空基地が北部仏印に建設中である。  広東における日本軍も強化されている。  福州付近の日本軍守備隊は引揚げた。  ソ満国境で小衝突事件が起こり、双方に死傷者が出たとソ連側は発表したが、日本側はこれを否定した。
 
3)日本海軍の状況
 日本海軍省のスポークスマンによれば、今日の日本海軍は切迫したあらゆる不測の事態に対処する準備が出来ている。  編成の改定だけでなく艦船の戦時定員を含む動員計画が実施された。
聯合艦隊は本国水域の軍港にとどまっているが、恐らく主力艦を含む一部の部隊は日本海の基地に移動した。  しかし、相当兵力の艦隊航空部隊は南部台湾に移った。  一般に中国沿岸に行動する第3艦隊は、日本本国の水域にとどまっている。  他の艦隊はいつもの軍港にいる。  軍隊輸送船と貨物船は地上部隊と補給物資を仏印に輸送したが、護衛艦はつけなかった。
 
4)中国の軍事情勢
 10月13日、3日間の市街戦の後、中国の攻撃部隊は宜昌から撤退した。  それ以後、この方面では散発的な小衝突も報告されていない。  山西省北部、湖南省北部および広東省付近で小さな衝突が起こった。
 ソ連は重慶に対し、戦時補給物資の中国への輸送を続けることが出来ないと通告した。
 
5)ドイツの軍事状況
 A)陸軍
兵力
 前回(1941年10月15日)の要約以来、ドイツ陸軍の兵力についての情報は無かった。
配備
 信頼できる筋によれば、1941年10月8日現在のドイツ陸軍の配備は次のように見積られる。
 
ソ連地域(計167個師団(内、機械化師団19個、自動車化師団21個)
  北方集団   31個師団
  中央集団   77個師団
  南方集団   59個師団
  フィンランド  8個師団
ポーランド・東プロシア
          10個師団
バルカン
          14個師団
イタリア・リビア
          3個師団(内、機械化師団2個)
オランダ・フランス・ベルギー
         30個師団
ノルウェー
          7個師団
デンマーク
          2個師団
ドイツ(東プロシアを除く)・オーストリア
          19個師団(内、自動車化師団2個)
 
諸作戦
東部戦線
 10月後半にいたって、ドイツ軍の大攻勢はソ連軍の頑強な抵抗と悪天候のため低調となった。
フィンランド戦線
 フィンランド軍は、オネガ湖畔のペトロザヴォトスクの占領に続いて、レニングラードからムルマンスクに至る鉄道に沿って北進した。  中部フィンランドの東部で作戦中のフィンランド部隊は、ペトロザヴォトスクから北進中の部隊と合同した。  フィンランド軍は冬が過ぎてから攻勢を再開する予定である。
北部戦線
 ドイツ軍はソ連軍のバルト海における最後の拠点ダコエを1週間前に占領した。  レニングラードの攻防戦は続いているが大きな変化はない。  包囲されたソ連軍部隊は、ラドカ湖によって一部の補給物資と増援兵力を得ているといわれる。  ソ連軍はまだヴァルタイ高地方面を保持しており、ドイツ軍はイルメン湖とセリゲル湖を結ぶ線の東方地区に進出していない。
中部戦線
 ドイツ軍はヴィヤズマとブリヤンスクの包囲線でティモセンコ軍の大部分を殲滅したと公表したが、ソ連はこれを否定し、この軍の大部はモスクワ付近の新しい陣地に後退したと発表した。  ドイツの中央集団の北方部隊はスモレンスクからモスクワに至る道路を進撃してカリーニンに迫ったが、ソ連軍の反撃によって進撃は止まっている。  ソ連軍の頑強さと悪天候のために、ドイツ軍の機械化された装備の威力の発揮と鉄道による補給が妨げられ、その進撃は低調となり停頓している。  しかし、土地が凍結する季節になれば、ドイツ軍の機動力が発揮されるようになるかもしれない。
南方戦線
 最近の2週間に、ドイツ軍はクルスク、ハリコフ、クラマトルスク、スタリノおよびタガンログを占領、ロストフは脅威され、その西方20マイル付近で激戦が展開中といわれる。
 南方のオデッサは、ドイツ軍とルーマニア軍によって占領された。
 
 B)海軍
配備
ティルピッツ(戦艦)            9月29日 ダンチヒ湾
シャルンホルスト(戦艦)         10月13日 ブレスト
グナイゼナウ(戦艦)           10月13日 ブレスト
シュレジッヒ・ホルスタイン(旧戦艦) 10月17日午前 キール出航
シュレジエン(旧戦艦)          10月 7日 バルト海
グラーフ・ツェッペリン(空母)      10月12日 ステッチン
アドミラル・シェーア(重巡)       10月24日午前 ハンブルグ出航
リュッツオウ(重巡)           10月17日 キール
ザイドリッツ(重巡)           10月12日 ブレーメン
プリンツ・オイゲン(重巡)        10月13日 ブレスト
アドミラル・ヒッパー(重巡)       10月17日 キール
ニュールンベルク(軽巡)          9月29日 グジニア
ライプチッヒ(軽巡)           10月20日 キール沖
ケルン(軽巡)               9月29日 グジニア
エムデン(軽巡)             10月20日 キール
推定150隊(潜水艦)          ドイツ・ノルウェー・フランスの大西洋岸の諸港を基地とし作戦中
 
諸作戦
 独側の1941年10月21日の発表によれば、バルト海とエストニア沿岸の作戦は終わった。  海上部隊はバルト海の諸島の作戦の成功に大きく寄与した。  艦隊の各艦は地上部隊を輸送し、機雷原を突破し、艦船乗組員は地上作戦に参加した。
 レーダー提督はデーニッツ提督の主張する全面的な潜水艦作戦を承認しなかった。  レーダー提督は、ドイツ海軍の努力をバルト海、黒海および地中海に集中し、大西洋における作戦の規模を減らすよう勧告したものと思われる。
 最近、約20隻の潜水艦は西経30度の西方の北緯50度と56度の間の海域で作戦している。  一部の潜水艦は西経53度以西に行動した。  5〜6隻の潜水艦はアゾレス諸島とカナリー諸島付近の作戦を続けた。
 
 C)空軍
兵力と配備
 信頼できる筋による10月1日現在の配備状況は、次のとおりである。
 
西部戦線  1,032機
独ソ戦線  2,545機
地中海方面  380機
中部ドイツ  583機
 
 独ソ戦の飛行機の半数以上は、モスクワ作戦のために充当されているといわれる。
 1ヶ月の飛行機生産高は2,200機である。
 
諸作線
西部戦線
 前回(10月15日)の要約以来、英本土方面に対するドイツの航空作戦に大きな変化がなかった。
東部戦線
 最近の2週間に、ドイツは次の成果を発表した。
(1)ムルマンスク鉄道の攻撃
(2)カリーニン地区に対する補給路の攻撃
(3)オデッサから退却するソ連船腹3万トンを撃沈
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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