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Cambodia CHRONICLE


1/4 ドン・ムアンにて
2/4 シェムリアップにて
3/4 祇園精舎にて
4/4 カンブジャ・ライフ
+1 王様の離宮
カンボジアの写真 #1
カンボジアの写真 #2
カンボジアの写真 #3




1999年10月当時のレートは100リエルは3.6円、1ドルは137円が目安です。



1/4 ドン・ムアンにて

カンボジアといっても、プノンペン北西にある小さい町シェムリアップに旅行の間ずっと滞在していた。この町がアンコールワット周辺の観光拠点 になる。首都プノンペンは、選挙後の暴動が多発していたので断念。というか、観光スポットがないのだ。

カンボジア国内へは日本から飛行機で直接行けない。他国での乗り継ぎが必要だ。そこでタイ経由の便を選ぶ。タイまでは全日空による快適な空の旅。 熱帯低気圧を避けた飛行機は、1時間遅れでバンコクのドンムアン空港へ到着。空港内は、特有の多国籍体臭の香りが鼻をつく。乗り継ぎは翌日の早朝。 24時間営業の空港なので、貧乏旅行者向け仮眠スポットは数多く用意されている。壁際の2つ繋がった椅子をゲットし、睡眠。

冷房の寒さで起こされた後、チェックインを行うため、6時にトランジットカウンターへ行ってみる。 ・・誰もいない。次に乗るバンコクエアウェイズは タイの小さい航空会社。不安がよぎる。

30分経過。まだ誰もこない。近くにいた空港の職員が航空会社に電話をかけてくれたが、不在のようだ。やばい・・




2/4 シェムリアップにて

しばらくしてバンコクエアウェイズの社員らしき人が来て、手書きでチケットを発行してくれた。ちょっと寿命が縮んだ。 プロペラ機の小気味良い振動に悩まされながら、離陸。タイとカンボジアの国境地帯は雲に覆われていた。

農地の真ん中に作られた、まるで「農道空港」のシェムリアップ空港までは1時間でついてしまう。東京−北海道くらいだろうか。空港の建物も まるで田舎の駅舎で、入国手続き兼税関はあっという間に通過し、入国できた。

今回の旅行で僕は日本人顔を確信した。魑魅魍魎のようなタクシードライバーによる勧誘はまよわず日本語だ。その中からバイクタクシーを 選んでしまうと、他の奴等は「ドロボー、ドロボー」の大合唱である(このドライバーが泥棒なのか、客を横取りしたのが泥棒なのかはわからんが)。

旅の最後までへこまないように、1泊8ドルもするトイレ・シャワー付きのゲストハウスを選んだ。トイレが水洗で感動した。シャワーは当然水のみ。 カンボジアの安宿のベッドにはたいてい蚊帳が完備されている。蚊取線香を忘れたため、この後数日に渡り壮絶な蚊との戦いが繰り広げられる事になる。 (シャワー、トイレの前にはバスルームにいる蚊を一掃する作業を行ってから)蚊取線香が売っている事に気がついたのは最終日だった。

ガイド兼足としてバイクタクシーをチャーターした。運転手の名前はソム・オール(som all)さん(25)。ためである。彼の方が英語が堪能だった。 やはり英会話は生活がかかると覚えてしまうものだ。バイクは世界のホンダドリーム号。アジアで多い2人乗り専用タイプ。 バイクに乗ってて気がついたが、信号がない。標識も。邪魔な自転車や子供、牛、水牛はクラクションでどかす。真性の田舎だ。

初日はあまり移動せず、マーケットの店で食事した。鶏肉煮込み定食を注文。1800リエル。ちなみにコカコーラ(ストロー付)は2000リエル。食事の方が 安い。しかも、たいていの食堂(屋台)は冷たい中国茶が飲み放題である。毎日30度を越えるmuggyな気候なので、このサービスはありがたい。 ん?氷がたくさん入っている。コオリ・・ ぐるる




3/4 祇園精舎にて

江戸時代、島野兼了は徳川家光の命により、オランダ船に乗り込みアンコールへ向かう。「祇園精舎」視察の為。


その日の朝、アンコールワット前広場にある食堂で、僕とソムさん(運転手)は重大な打ち合せをしていた。

「バンテアイ・スレイ、見れまっせ(笑)」

「ほ、本当か(驚)、危なくないのか?(疑)」

「そりゃもう。ただ、アンさんが30ドル出せばの話だがね(薄笑)」

バンテアイ・スレイは町から30k以上北にある遺跡で、その彫刻はカンボジアいちだ、と彼はいう。僕の情報では、外務省は立ち入りを 禁止中、なんとしても行きたい人は、警察に50〜100ドルを払ってついていってもらう、と聞いていた。しかし、現在は途中の派出所に30ドル払えば危険もないそうだ。 結局、行く事にした。

舗装されていない道をごとごと1時間。この道はわずかな雨でも泥の塊と化し、バイクでの侵入は不可能となる。運がいいらしい。 ジャングルの開けたところに赤い壁面の建物が見えてくる。「女の砦」ことバンテアイ・スレイに到着。彼の言う通り、すばらしい ものだった。 クメールルージュも地雷も出てこなかったし。が、遺跡には弾痕や爆弾によって破壊された跡がいたいたしく残っていた。

午後から、「大きな寺」ことアンコールワットへ向かう。空中参道と呼ばれる大きな参道を歩き、いくつかの門をくぐりぬける。 日本人顔に、「オニサン、ツメタイオノミモノ」と迫ってくる子供をふり払い、内部へ。暗い部分が多く、暗闇で線香売ってるおばさんが 座ってたりすると驚く。中央祠堂(まんなかの塔)の階段は、神立高原のスーパーダウンヒルを思わせるほど急だが、手摺ようななまっちょろい ものはついていない。京都の寺とは大違いだ。頂上まで登ると、気分は王様。通ってきた参道を見下ろす(見下す)事ができる。 しかし、中にいるより、参道の横っちょの草原に降りて見てる方が気に入った。視界の端から端まで魅惑のワットが広がり、しかも手前の 池には蓮が咲いている。まさに祇園精舎・・・


そのわりに、寺の中庭で牛が放牧されてたり、スーパーダウンヒルの階段でガキが「先に登った方が勝ちごっこ」をやってたりして、すげぇ 庶民的な一面があるのでした。




4/4 カンブジャ・ライフ

日本でも田舎へ行くと、「空が大きく」見える。これは視界に妨げとなる建物があるかどうかにかかってくる。シェムリアップの町を離れ、 ちょっと郊外にでると、すぐに視界の妨害度は0になり、空の青と田園の緑がくっきりと分かれ、日本の人はきっとなつかしい印象を受ける。 民家が高床式なのを除けば。

一般家庭の高床式住居には電気はない。そうすると、冷蔵庫も使えない(買えない)ので、食料の買い置きは不可能である。そのため、スーパーは 存在しない。かわりに、町には屋台と露店が多い。そこで食事の半分は、市場で食材を買ってきて自宅で調理するが、それ以外の時は屋台の 食べ物をテイクアウト(ビニール袋にひとまとめにぶち込むのだ)して家に持ち帰るのも一般的なようだ。

露店は飲み物や駄菓子などを売っている。ここで僕もベビースターもどきとすいかの種(各100リエル)を買ったが、店の子供に「え〜、そんなんかうの? たべるの?」という疑惑の眼差しで見られた。

マーケットの食堂で夕食を取っていると(お腹は完全に敗北していたため、お茶は割り切ってがぶ飲みするようになっていた)、足のない人が寄って きた。座っている僕を少し見上げるような位置に彼の顔があった。バイクで走っている時は気づかなかったが、人が集まるところでは 結構足が無い人を見かける。ちょうどお釣でもらった100リエルをあげると、手を合わせてお礼された。彼の感謝の気持ちは真実だろう。

「・・おじいさんが少ないな」と、ふと気がついた。40代より上の人が極端に少ない。ポルポトさんの大虐殺の影響だろうか。しばらく

カンボジア出国の日、前夜の停電の原因になった雨は上がって良い天気だった。バイクの運転手に別れを告げ、1日3便だけの空港でチェックイン をした。ちょうど日本の老人ツアーも同じ便に乗るらしく、マイクロバスで到着。バスから降りるなり、魑魅魍魎のように空港前の広場に散らばって 記念撮影を開始した。この旅行中、最も恐いものをみた気がした。

出国審査では髭面で、日焼けによる顔面がただれている男は、荷物を入念にチェックされた。X線の機械など置いてないので、職員による手作業だ。 プロペラ機の心地良い振動に頭を悩ませながら、カンボジアを後にした。




+1 王様の離宮

1999年10月当時のレートは1バーツは3.3円が目安です。

ポンコツプロペラ機は、雨の空港に傾きながら着地。再びドンムアン空港に到着した。ここで12時間待ちになる。どうやら老人会の連中も同じ 飛行機で日本に帰るようだが、彼らは定石通りのアユタヤ観光らしい。バンコク市内やアユタヤは、一度行っていたので僕はパス。そこでアユタヤ よりちょっと近くて、マイナーなバーンパインへ行く事にする。ここには少し前の王様が創った離宮があり、そこで涼をとったそうな。涼? 常時蒸し風呂状態から早く抜け出したい。

バーンパインへは列車がお得。空港駅から上りはバンコクへ、下りはバーンパインやアユタヤ、チェンマイ行きになる。なにより安い。 だいたい東京−千葉くらいの距離で8バーツである。しかし弱点も多い。本数が少ないのだ。そして時刻表が読めないので、 いつ来るか分からない(分かったところで時間通りには来ないだろうが)ので不安になる。結局駅で1時間待ち。

シャイな僕は、席に座らず乗車口近くを陣取った。扉は開けっ放し。閉めると暑いから。外には佐倉(仮名)のような田園地帯が流れて行く。 目を凝らし、駅のプレートの英語表記を探す。「Bang Pa-In」を見つけ、佐倉駅(偽名)のような、ホームの無い駅に降り立つ。

うっとうしいタクシードライバーを蹴散らし、歩いて離宮へ向かう。それらしい白い壁を見つけたが、入り口はなかなか見えてこない。 どうやら入り口は駅から一番遠い所に有りそうだ。へろへろ壁伝いに歩いていくと、小さな出入口があって、兵士が守っていた。 「疲れたから、ここから入れてくれへん?(片言英語)」コクっと肯き、中に入れてくれた。正面入り口から入ると、入場料 50バーツ取られるはずだが、ただで入れた。ラッキーだ。

離宮内部は中国風、ギリシャ風、西洋風の悪趣味な建物がばかでかい庭園に点在していた。しかし、暑い。涼むどころか、歩くと確実に体水が 失われていく。よっぽどバンコクのエアコンで涼しいデパートに行っておけば良かった。来るんじゃなかった。こんなとこ。

帰りの電車も駅で1時間待ち。空港につくと、(色々と)耐えられなくなり、「ピザハット」で久しぶりの洋食にありつく。日本行きの全日空の 出発は22時過ぎ。窓際の席だったが、隣の印度の人の匂いと、あぐらが気になって寝付けない。映画は「トゥルーマンショー」。 なかなか良かったです。しかし、横のインディーが気になる。ああ、なぜサンダルで旅行できるのだ?




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