ふりーはーとメールマガジン ================================== 2001/10/07
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[ふりーはーとのメッセージ]

● つるべ落とし

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 10月になり,日が暮れるのが随分,はやまったように感じる。
 それぞれのお住まいの緯度経度でその時刻は異なるのは承知のとおりだ。
 古い(平成5年版)理科年表であるが,そんなには違うまい,引き写す。
 本日の,
 東京での夜明けは5時9分,日暮れが17時48分となっている。
 同じく,日出は5時40分,日入が17時15分である。
 仙台では,日出5時38分,日入が17時10分である。
 広島で,日出は6時10分,日入が17時46分。
 ちなみに根室と那覇では,日出で1時間3分,日入に1時間22分の差がある。

 夜明けと日出,日暮れと日入それぞれの相違について説明する。
 海面上の標準高を0メートルとして文字通り日の出,日没を計算したものが日出,日入である。
 夜明け,日暮れは昔の明六つ,暮六つにあたり太陽の中心の伏角がそれぞれ7度21分40秒になる時刻である(日出前,日入後,約36分となる。)。
 話はややこしくなるが,もう少し我慢して頂きたい。
 現代では,多分世界中で「等時法」を使っている。
 原子時計で正確に時の長さを刻み,暦(天体の運行つまり地球と太陽の位置関係)がずれてくると閏秒とか呼ぶ1秒を省いたり,挿入したり妥協をしている。
 昔は,このような正確さ厳密さはなかったものの,天体運行との間で妥協することはなかった。
 天体の運行が,まさに暦であり,刻そのものであるからだ。

 日暮れから夜明けまでの時間(毎日,変化するし,場所によっても異なる。)を6等分して中央の時刻を子(ね)の刻としたから,今の0時とは微妙にずれるのだが,(上記例で計算すると広島の本日10月7日の子の刻は23時58分となる。)あと丑,寅,卯,辰,巳…と十二支を並べ,昼の真ん中を「午(うま)」とした。
 今でも「正午」と言いますね。
 ところが,各個人が時計の持ちようもないころのこと,時刻を音(鐘,太鼓)で知らせるのが一般的になり,打つ回数で呼ぶ方が便利だということになった。
 夜明けに6つ打つ。
 夜明けから日暮れまでを6等分しこれを一刻(とき)とし,夜明けから一刻(とき)を経た時刻に5つ打った(減らして打ったんですね。)。
 そしてまた一刻すぎて4つ。
 このあとがややこしいですぞ。
 4つから一刻,経つとさっきの午(おひる)になるんですが,そこで,どういうわけ9つ打った。
 これから一刻ごとにまた減らし行き,日暮れに6つ打った。
 夜も昼間と同じく一刻ごと減らし真夜中には9つ。
 明け方に向けて8つ,7つ,明6つと…。
 繰り返しますと,子(九つ)丑(八つ)寅(七つ)卯(明け六つ)辰(五つ)巳(四つ)午(九つ)未(八つ)申(七つ)酉(暮れ六つ)戌(五つ)亥(四つ)…てぇ具合です。

 これで「おやつ」の語源とか,落語「時蕎麦」のサゲとかは,おわかり頂けると思います(好みが別れるとは思うが,時蕎麦は春風亭柳橋さんのが好きでした。)。
 ついでに落語「芝浜」の話をします。
 嬶(かかぁ)に刻ィまちげぇて起こされた魚屋の勝っぁんが,浜ィ出て,財布を拾う噺である。
 この刻を告げたのが切り通しの鐘(鐘を鋳造するの時に金を混ぜたてぇことから,随分と良い音がしたようで…。)。

 お気付きでしょうが,夜と昼の長さは異なるので,一刻の長さも当然,夜昼で違って来る。
 すごいもんですな(何が?)。
 季節(厳しく言うと毎日),場所(緯度,経度)で全部一刻の長さが,違うんですから。
 これを「不定時法」と呼ぶんだそうですが,粋(いき)なもんです。
 機械時計は等時法なもんだから,2つの振り子(テンプ)でちゃんと夜と昼で進み具合の違う針を動かす不定時法の時計を作ったのですから日本の職人てぇのは,たいしたもんです。
 いわゆる和時計,殿様時計てぇやつで。
 これとて,流石に,毎日の変化にはついて行けない,そこで春分,夏至,秋分,冬至この間ををさらに6等分した二十四節季毎(約15日毎)の補正で間に合わせた。
 (二十四節季と言うのは完全な太陽暦で,地球と太陽の位置関係15度おきに小寒,大寒,立春,雨水,啓蟄,春分,清明,穀雨,立夏,小満,芒種,夏至,小暑,大暑,立秋,処暑,白露,秋分,寒路,霜降,立冬,小雪,大雪,冬至とある。他に雑節として,土用,節分,彼岸,土用,八十八夜,入梅,半夏生,土用,二百十日,彼岸,土用があるが,こちらも完全な太陽暦。昔は旧暦(太陰暦)を用いたとお思いでしょうが,季節の方はしっかり太陽暦を使って正確を期してたんですね。)

 しかし,日本だからまだ良いんです。
 北欧など極地に近いところだと白夜とかになったら,一刻が4時間(等時法で言うところの)てぇことになっちまうし,明け六つと暮れ六つを同時に撞っちまいやがんの。

 以上のごとき話を知って,小生,現代和時計の製作を企んだことがある。
 パソコンを用いれば,簡単とタカをくくってのことだ。
 表計算ソフトに当地(福山市)の一年間の夜明け日暮れ時刻を理科年表を頼りに計算しながら入力した。
 子の刻,正午と日本標準時の差も簡単に計算できた。
 で。
 時刻関数を使って,文字通り刻々とは変わらないものの「今何刻(とき)でぃ?」って表を開くと数字で表示はできるものができた。
 これを時々刻々グラフィック表示できれば,なんとも面はゆいが,世界でひとつ当地だけのとは言え江戸時代の時計職人達が夢見たであろう正確無比な不定時法和時計の完成となる筈であったのだ。
 が。
 ここまで来て,さすがに大儀になって止めた,と言うよりは,小生にはそこまでのプログラムを組む能力がない。
 三百六十五日,夜明け(明6つ)日暮れ(暮6つ)の時刻表はどこかに保存してあるはずなので,あとを継いで完成していただける方にお譲りしたいと思っている。

 この和時計を何に使うのか。
 そこまでは,考えていなかった。
 ただ,この時計で暮らすことができれば,江戸時代の生活パターンが取り戻せる。
 夏は長時間(等時法で言うところの)働く必要があったが,冬は短時間(  〃  )で同じ日当が得られたのだ。
 何だか愉快である。
 小生,最近,歳のせいと言えばそれまでだが,少し睡眠障害症の傾向がある。
 多分,この時計で暮らせるなら治るような気がするのだが,いかがだろうか。
 人様に使われる身故,世間が許してくれそうにない。
 実になんとも残念である。

 秋のつるべを落とすがごとき日没を見ながら思い出したことを書いてみた。


広辞苑から:
・つるべ【釣瓶】縄や竿の先につけて井戸の水を汲み上げる桶(おけ)。また、その装置。
・つるべおとし【釣瓶落し】(1)釣瓶を井戸に落すように、まっすぐに早く落ちること。(2)転じて、秋の日の暮れやすいことにいう。「秋の日は―」

参考図書等:
○ 理科年表 国立天文台編1993(平成5)年版 丸善(株)
○ 大江戸テクノロジー事情 石川英輔 講談社
○ 大江戸えねるぎー事情 石川英輔 講談社
○ 大江戸りさいくる事情 石川英輔 講談社
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後記:この一日(ついたち)午前10時50分,志ん朝さんが63歳で亡くなった。あまりに早い死に言葉もない。昭和53年正月に東京芝で行われた落語会(通称「着物の会」(聴きに行くのに和服でなければならなかった。)のとき(この日は,上野本牧亭の昼席でも志ん朝さんを聴いたので,まぁ,おっかけをやったようなものだ。本牧亭では確か「ぞろぞろ」だったと思うが,芝でのネタは失念した。)に頂いた色紙(※)が手元にある。なんとはなしに,亡くなる数日前に突然,出てきた。
志ん朝さんの兄の馬生さんの調子も好きであった。親父さんの志ん生を彼らの背後に見ていたのかも知れない。しかし,芸は一代と言う気もする(亡くなると,みんなむこうに持って行ってしまう。)。
秋の陽のような見事な引き際を想った。
ご冥福を祈る。     ワダ



※噺を演る志ん朝さんを背後から見た自画像であろう

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