ふりーはーとメールマガジン ====2010/11/30
第113号
「Fool on the Hill 鄙の家」http://www.pluto.dti.ne.jp/~wada/
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● ラヂヲの時間
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録画しておいた三谷
幸喜の「ラヂオの時間」を観ることにしました。
YouTubeから、徳永英明の「壊れかけの
Radio」…。
ラジオと聞くと心が何故か和む。
あとは、ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」
アバンギャルドシャンソンだったかな。(バックはジャズマンがつとめてゐます。)
ラジオからの「連想ゲーム」である。
「ラヂオの時間」観おはりました。
昔、BSS山陰放送のアナウンスブースで喋ってゐた
(30年位前、深夜放送24:00~0:55am「わだひろとのミッドナイト・パートナー(金曜日の深夜(正確には土曜の朝)の番
組)」(小生は普段はナマでやってゐた。))のを思い出しました。(当時の番組(最終
回)の録音が聴取できます)
当時の山陰放送ラジオ、木曜日担当「陶山史朗アナ」、土曜日担当「山陰の貴公子―永東明」とともに人気を誇ってゐたと自負してゐま
す。
お正月に一回だけ三人で「ミッドナイト・パートナーの特番」を組んでもらい、たしか「真夜中の開放区、土曜の夜をぶっとばせ!」
(?)だったような、記憶が確かでありませんが、スタジオからロビーへ(と云っても副調整室直近のロビーですが)飛び出し、画期的な
パーソナリティー、三名そろい踏みによる、掛け合いトーク番組を3時間ぶっ通しだったと思ひますが、お送りしました。この日は番組終
了後、永東明さんの実家(といっても彼はまだ未婚で要するに自宅です。)に泊めてもらい、永東さんのお母様から「三人の喋りがかぶり
まくって、非常に聴き辛かった。」との指摘をうけました。当時、陶山さんは結婚されたばかりで「新婚さん」とよく冷やかされてゐまし
た。永東さんと陶山アナは同期入社で永東さんは営業部でした。しばらくして陶山アナは、報道部の記者に異動されたと記憶しています。
「トチリの史朗ちゃん」とかアナウンサーととしては、不名誉な呼び方もされていましたが、実直で大変明るく楽しいひとがらでした。永
東さんはギターが上手く歌も歌えて、今で云う所ジョージ風キャラと云へば、わかり易いかも知れません。そんな人(仲間)たちに囲ま
れ、素晴らしい、青春の一ページを短い間でしたが、過ごさせていただいたのは、今考えても夢のような時代でした。小生一生の宝です。
アナウンサーでは、松原部長(軽いノリの超ベテラン)、栗原康郎(兄貴)副部長(低音の魅惑ボイス)、伊木順一アナ(正統派、抜群
の滑舌流暢さ)坂口育子ねえさん(知的喋りで一世を風靡)。ベテランの浜田さん(女子アナ)。
伊木アナには、これより前、学生落語研究会時代に「午後のワイド」のスタジオにゲストとして招かれたことがあり、覚えていただいて
おり、旧知の間柄でした。
土曜日のミッドナイト・パートナーが角兵衛こと角谷トシロウ(字は失念)アナに代わって人気を博する少し前のことです。
角谷さんの入社時には、小生、現役でパーソナリティーを務めていました。金曜日のパートナーは、小生が担当する前は水沢(現姓:
原)智恵子アナ(寿退社)で、小生のあと、金曜日を受け持ってくださったのが木村誠アナでした。角谷さんと木村さんは同期入社です。
小生、番組を引き継がせて頂く際、「新進気鋭」と紹介しましたっけ。
そう云へばこの番組をやらせて頂くまでは、鳥取市の「ロゴス文化会館」の一階にある三洋電機のオーディオのショウルームで、冒頭
「阿太朗のこばなし~!!!」と叫んで自作の小話をやって、間髪いれず、前テーマ曲(曲名失念)に入る「「三洋、ヤングプラザ
OTTO」と云ふ番組の公開録音を小中学生のリスナーを集めて、坂口アナや、浜田アナとやらせて頂いてました。浜田アナは流石にベテ
ランでやりやすかったと云うか、相性が良くノリの良い番組作りができたと思ひます。そのうち女子アナさんが、出られなくなり、ショウ
ルームのアシスタントの方とやらせて頂いてましたっけ(実質製作経費削減です。その割にはスポンサーからのクレームは多かったで
す。)。二時間録って、一時間の番組に編集して貰ってゐたやうに記憶しています。このときのディレクターは特に洋楽に造詣の深かった
池田さんです。このあとすぐに彼とスタジオ録りの30分の洋楽新譜紹介番組を「ホット、ホット、ドーナッツ(当時シングル版レコード
のことをその形から、別名ドーナッツ版と呼んでゐました。)」をスポンサーなしで数回製作しました。そのころは小生「阿太朗」と名
乗ってゐました。
小生の番組(パートナーの方)は、テーマ曲(「ダンス天国」)が流れて、カフレバーを上げ、ディレクターさんのCue(「キュー」
と云って「喋っていいよ」の合図です。今もテレビでディレクターさんが指を折りながら、どうぞって無言でやってるのが時々映りますよ
ね。アレです。)を待って、喋り始めます。
ディレクターさんからの指示はヘッドホンで聞き、レコードの曲やCMが流れてゐるときは、トークバックレバーを倒し、副調整室と会
話ができます。
映画「ラヂオの時間」のとおりで何も変はりません。
カフレバーとは、カフ(咳払い)とか電波に乗せたくない音を発するとき、下げてマイクをノイズを出さずオフにするレバーのことで
す。
今も、テレビでもニュースなどを読む卓にはついてゐるのが映ることがありますよね。
構造は、多分、スイッチではなく、スライドボリュームかな。
一度、曲がフェードアウトして(絞って)しまってあるのに、カフレバーを上げそこねて(つまりマイクオフのまま)喋り始め、放送事
故となったことが、あります。
多分小生の放送のときは、ディレクターの「市橋」さんが、2度ほど放送事故届を書いてくれた筈です。
もう、一度は、放送の終わりに近い時点でリスナーからの生電話をとり番組の終了時刻になっても電話を切ることができず、数分、番組
をおして(伸ばして)しまいました。
あと、定時ニュースが隣のブースから生で5分ぶんあった為、ニュースのアナウンサーは、冒頭で「わださん、お疲れ様。」とのアドリ
ブコメントを入れ、一生懸命、ニュース原稿読んでくださって、時間をちぢめてフォローしやうとしてくださいましたが、放送終了時間が
深夜数分伸びてしまったため、自動的にタイマーで、午前1時に電源が切られる鳥取などの中継局では電波が停波してしまい、ニュースが
最後まで流れなかったと後日、聞きました。
もはや、時効とは思ひますが、当時のディレクターだった市橋さん、アナウンサーの(陶山さんの同期の方でしたが、お名前は失
念)**さん、大変ご迷惑をおかけいたしました。
「ごめんなさい。」
小生は当時鳥取に在住し、毎週、放送日の前日夕方、米子のBSS本社まで通ってリクエストカードの整理や番組でかける選曲などの準
備をし、放送終了後は、米子駅からほど近いホテルに宿泊させてもらってゐました。
何時(いつ)だったか、ブラスロックで当時大人気の「シカゴ」広島公演が郵便貯金ホールで催ったときは、CBSソニー広島支社に掛
け合って招待と云ふ形でディレクターの市橋さんの車で米子から広島まで連れて行ってもらいました。CBSソニーの営業の方に小生を
「うちのタレントさんです」と紹介されたときは、正直、気恥ずかしい思ひで一杯でした。
一度は、永東明の米子市民会館での公録に殴りこみ(?)をかけ、もみくちゃにされながら、サインを求められたのも恥ずかしい想いで
です。
リスナーから「吉田拓郎の鳥取公演のチケット入手できないか」とハガキで問い合わせがあり、自腹でチケット代を立替(確か二枚だっ
たので当時としても一万円を超える値段だったと思ひます)、鳥取のレコード屋さん「丸福」レコード」で購入し、チケットが標準の封筒
に入りきらないので折り曲げることをせず、あり合わせの紙で糊づけし封筒を自作し、送ってあげたこともありました。拓郎公演の当日の
彼の感激の感想がリクエストカードに書かれて送られてきたのは、ホッとすると同時に嬉しかったです。
また、番組のファンクラブのような組織もあり、機関誌も作ってゐて、それに原稿を頼まれ拙文を草したこともあります。
小生ののネタ帳とかCueシート(番組の進行表)、リクエストカードの一部、上記の機関誌の一部、局が配っていたラジオの週刊プロ
グラム等も探せば小生の実家のどこかに埋もれてゐる筈です。それらが出てくれば、更に正確な紹介ができる事と思ひます。
さう云へばダニエル・リカーリの「二人の天使」を
BGMとして使い、ラブレターもどきのリクエストを小生の甘い声で読み上げる「ラブレター・ミッドナイトのコーナーは好評でした。
ゴメンなさい。ごめんなさい。放送の現場にゐたのは、40年前位前です。十歳もをサバよんでしまいました。
「Twitter」や「mixi」に表示される小生の顔写真は、その当時(1972年・昭和47年9月頃)のもの(学生証のショウ
メイ写真)を接写したものです。
「若
かりしころの @jazzywada」(顔写真をクリックする
と当時の放送がmp3でダウンロードまたは再生できます)
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後記:いままでとのダブりがあるかも知れませんが、一応新作です。mixiの日記にもほぼ同じ内容で日記を掲載していますが、完成度は、明ら
かに、こちらの方がが、高いです。
当時放送の最終回をスタジオで市橋Dに同時録音していただいたテープがありました番組の後半だけですがmp3ファイルにして
掲載しました。(2013/04/27)
ワダ
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2010/12/01(書き始めてから日にちを,また、またいでしまいました)
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