ふりーはーとメールマガジン== 2001/07/01
創刊号
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● 茗荷は
去年の秋,ある新聞の家庭欄に茗荷の育てかたが載った。
さっそく,その記事にしたがって,知人から茗荷の根(多分,地下茎と言ったほうが良いのかも知れない。)を貰って来て,庭の隅の陽があまり当たらぬじとっとした場所を選んで植えた。
今年の春,気が付いたときには,緑の元気の良い芽が出ていた。
記事によれば,「これをすぐに毟って食べないで,大きく育てよ」としてあった。
さらに,植えた翌年(つまり今年)は残念ながら,普通に八百屋の店先にあるような「花芽」は出ないのである。
したがって,今年は,自家生茗荷はあきらめ,来年の初夏を楽しみにすることにしている。
私は,生来,においのある野菜は嫌いであった。
人参は大丈夫だったが,ピーマンは,高校生ころまで食べることができなかった。
なぜか,学生食堂で,季節になるとみそ汁のみとして,しばしば,かの茗荷が,採用され,お椀の表面を覆い尽くすほど入れてあった。
それが,いやでいやでたまらなかった。
除けても,よけても口の中に流れ込んで来た。
歯を篩(スクリーン)にして,汁だけをすすった。
ところが,どうだ。
あれから三十年近く経た最近になって,あまりに見事な茗荷をスーパーで見つけたので思わず買い,薄くきざんで,味噌と味醂を混ぜて(好みによりシラスを混ぜてもよろしい)かき回して,肴に共したのであるが,これが美味でたまらぬ。
爾来,病みつきである。
可笑しなもので,齢(よわい)とともに味覚は大きく変化するらしい。
店先に茗荷が並ぶ季節が楽しみになり,自らも育ててみようと思うほどになってしまった。
しかし,セロリは,未だ嫌である。
よく野菜ジュースに混ぜてあるが,セロリはしっかりその存在を主張している。
ジュースだと,歯で篩(ふる)う訳にも行かぬ。
仕方なく飲む。
白胡椒は,好きだが,黒コショウは嫌だ。
余程の暇があれば,本屋で立ち読みと決めている。
ふむふむ,この著者で,成る程,そうか。
はじめの数頁,あとがきなどを読んで,うん,気分が優れる,これは良い本である。
今,買わねば,今度いつ巡り会えぬとも限らぬ。
と,持ち帰り,やっぱりそうだ,そうなのだ,見ろ,ちゃんと思ったとおりのことが,好みの文体で予想違(たが)わずに書いてある,やはり名著であると,我が意を得て読んでいると,結末までちゃんとそうなっている。
「はてこれは」と疑念が浮かぶ。
やはり,というか当然というか,ちゃんと件(くだん)の本は,我が家に既にあったのだ。
そういう事ってありませんか。
そんな,買って読んだことのある本なんか,絶対に間違っても買ったことがないと言う人は手を挙げてください。
でも,決して茗荷の食べすぎで,物忘れが非道くなった訳ではありません。
茗荷の名誉のために申し添えておきます。
ワダ
庭に元気よく生えた1年目の茗荷
本号の参考図書等
週刊新潮2001.3.29.号 久世光彦 連載「死のある風景」
なんたって「ショージ君」 東海林さだお入門 文藝春秋
http://www.uokuni.co.jp/koho/kiharasi/kiha_doc/94_95.html
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後記
[らいおんはーと 小泉総理のメッセージ]3号に 「変人」のを英訳でストレンジ(奇妙),エキセントリック(風変わり),エクストラオーディナリー(並外れた)のうちから「並外れた」ないしは「普通を超えている」を採用して悦にいる話があるが,らいおんはーととは,そういうものか。
やっと,創刊号をお送りすることができました。できれば,配信停止の希望をなさらず,継続購読(?)してください。
昨日(6月30日)は,近くの神社で「夏越大祓」の厄払いをして頂いて来ました。
ふりーはーとメールマガジン== 2001/07/01