←前のページ  8月20日(ST.MARX墓地)

モーツァルトここに眠る

さて、中央墓地を訪れたあと、私たちはモーツァルトの眠る墓地、「ST.MARX(ザンクトマルクス)墓地」に向かった。

モーツァルトは死後、共同墓地に埋められたため、現在もどこに眠っているのか正確な位置を知る者はいない。モーツァルトは 確かに天才を認められていたし、人気作曲家でもあったのだが、その死はただの一市民としての死であった。つまり、一市民として 一般的な葬儀が行われ、共同墓地に埋められたのだ。

しかし、彼の死後間もなく、「魔笛」が大ヒットする。そしてその3年後にはドイツでモーツァルトブームが起こるのだ。 彼の死がもう少し後だったならば、彼の墓標も堂々と中央墓地にそびえ立っていたことだろう。記念碑としてではなく。。。いや、そういう考えは無意味だ。事実はひとつ。彼は、共同墓地に埋められた。


ST.MARX墓地は市電の駅から少し歩くことになる。最寄りの駅は、市電71のLitfass strasseだろう。市電72や市電18には 「ST.MARX」という駅もあるが、このどれもが墓地までは少し歩かなくてはならない位置にある。

先日のザルツブルクから、私の頭の中はいつもモーツァルトの音楽が流れていた。それは、ジュピターであったりコシファントゥッテの序曲であったり パパゲーノであったり、クラリネット五重奏であったり・・・。
「ST.MARX墓地ではどんな頭の中で音楽がなるんだろう。」
私は思う。
「レクイエムのラクリモザ(涙の日)かな?」


ST.MARX墓地入り口

ラクリモザは、絶筆となったレクイエムの中の曲である。「Confutatis」から、attaccaで「Lacrimosa」に静かに移行していくのが たまらなく魅力的で、小学生のときから何度聴いても、いつもぞくぞくする曲だ。ST.MARX墓地へと続く道を歩きながら、私は少しずつ どきどきし始めた。

少し道に迷ったが、ついに墓地の入り口についた。



[MOZARTGRAB]の表示が...


MOZART墓標

ST.MARX墓地はほとんど人がいなかった。入ってから出て行くまで出会った人はたった3人。そのうちの一人は墓地を管理している人。あとの二人は身内の 墓参りらしかった。

快晴の日差しが墓地の木々で遮られ、木漏れ日がとてもさわやかだ。 道の砂利は白く輝き、置かれた一輪車には乾いた落ち葉が載せられている。 妻と私は、その墓地のじゃり道をまっすぐ歩いていく。 中央墓地とはうってかわって、普通の大きさの墓標や十字架が整然と並ぶ、静かな墓地だ。

「中央墓地とは違うね。」
妻が言う。
「むこうはきっとお金持ちが眠っているんだろうなぁ。」
私は言った。

少し歩いていくと、「MOZARTGRAB」と書かれた茶色の矢印が見えてきた。
(モーツァルトの墓だ!)
矢印は細い道へといざなう。少しずつ、赤い花と墓標と嘆きの天使が見えてくる。



「あったね。」
妻が言う。
「うん。」

モーツァルトは誰もいない静かな墓地で、嘆きの天使が見つめる土の下で静かに眠っているのだ。ザルツブルクの生家の人混み。 市街に貼られたモーツァルトの演奏会のポスター。ウィーンのモーツァルト像のもとで写真を撮る人々。そんな人たちを見てうきうきしていた俺。

どうしてもこらえられなくなって、私の目から涙があふれ出る。妻が見ているので格好悪いと思ったけれど、もう駄目。 とめることができない。
「よかったね、うっちい。」
妻が言ってくれた。

涙を流しながら気がついた。
頭の中に音楽なんて鳴っていない。なんにもない。あるのは、モーツァルトの墓標だけ。


W.A.MOZART 1756-1791


やっと涙がとまって、あらためて墓標を眺める。ここにMOZARTが眠っているかどうかは、実際にはわからない。(なんとなく もう少し右のような気もした)。少し離れたところにベンチがあったので、妻とそこに座ってしばしの間ぼんやりとした。

木漏れ日の中、墓地の木々を潤すスプリンクラーの音が静かに響き、遠くの空でウィーンの喧噪が虚ろに響いていた。

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