←8/19  8月20日(中央墓地)

楽聖特別区

ホテルを出て、最寄りのフランツヨーゼフ駅に行く。

オーストリアの交通システムもドイツに似ている。 オーストリアの一日周遊券は50シリング(約600円)。
忘れないように駅で打刻してから市電を待つ。昨日調べた、市電Dに乗り込む。 が、いつまでたっても目的のSchwarzenberg広場に着かない。駅に市電が停まり、小さくかいてある駅名を確認したとき 私はジェイソンにチェーンソーで脳天からばっさりやられた思いになった(大袈裟)。なんと!逆方向の市電に乗り込んでいたのだ(^^;)


私たちは飛び降りた(いや、ちゃんと停まってから降りましたよ)。二人で苦笑して、
「これもいい思い出だね。」
なーんてドラマみたいなことを言って、戻りの市電に乗り込む。ちょっとロスタイム(^^;)。

Schwarzenberg広場付近で市電71に乗り換えて、約30分。ウィーンは市電網が張り巡らされていて、 市民もとても重宝しているようだ。老人・障害者専用席はもちろん、妊婦や乳児を抱えるお母さん専用の席、はたまた 乳母車専用スペースがあるのにはとても共感を持った。

工事中の多い街の景色を楽しみながら乗車し、中央墓地第2ゲートで市電を降りる。


市電71

乗り降りは自分でボタンを押してドアをあけなければならない。これは 鉄道や地下鉄も同じ。



中央墓地第2ゲートの案内板を見る。楽聖特別区はどうやら32Aという区画にあるらしい。 立派な墓標が並ぶ墓地。私の背丈の倍はあろう墓標が並ぶ。門からまっすぐ、教会に向かって歩いていくと 「MUSIKER」と書かれた区画にさしかかった。ここがいわゆる「楽聖特別区」だ。

左の写真の真ん中がモーツァルトの記念碑、左がベートーベンの墓標、右がシューベルト。 モーツァルトはここに眠っているわけではないので、これは墓標ではない。
たくさんではないが10名弱の人たちが、この楽聖特別区を見学にきていた。ベートーベンの墓の前で しばらく立ち止まる人、シューベルトの墓標をじっと見入る人、彼らの思いはそれぞれだ。


楽聖特別区のこの3人の天才は、つながりがないわけではない。

まず、若いベートーベンは人気作曲家モーツァルトに 自分の作品を見せにいっているし、シューベルトは名曲「未完成」を病の床についているベートーベンに見せ、ベートーベンは その楽譜を見て「素晴らしい」と言ったとか言わないとかの逸話も残っている。また、シューベルトはモーツァルト生前のライバルであったサリエリ(映画”アマデウス” では虚構たっぷりの語り部役で登場)が校長であった学校に通っていたとか・・・。

彼らは古典派とロマン派の狭間でそれぞれ活躍した。モーツァルトは結局、作曲家として収入的に独立できなかったが ほんの少しあとに生まれたベートーベンの時代には、音楽家は収入の面でも独立できるようになってきている。一般に音楽史的には、モーツァルトは古典派に属し、ベートーベンが 古典派からロマン派への橋渡し、シューベルトはロマン派に位置づけられている。

ウィーンにはこの3人ゆかりの地がたくさんある。機会があったらまたウィーンに来て、今度はベートーベンやシューベルトをはじめ いろんな作曲家ゆかりの地を訪れて見るつもりだ。


ベートーベンの墓標


シューベルトの墓標




フィガロハウス


聖シュテファン寺院

中央墓地の後、ザンクトマルクス墓地にモーツァルトに会いにいったが、これは次のページに まとめました。

さて、ウィーン市街に戻った私たち。お昼を簡単にすました後、フィガロハウスに向かいました。

地図を見ながらシュテファン寺院のまわりを 探すが、「見つからない」。あちこち探し回ったあげく、妻がある旅行者に尋ね一件落着。フィガロハウスはちょっと路地に入ったところにあり、 きょろきょろしていないとわかりません(笑)。

フィガロハウスの前では、モーツァルトに扮したある楽団の人が、今夜の演奏会の宣伝をしていました。 オペラ座が休業中でもウィーンにはたくさんのコンサートがある。なぜなら、若手ミュージシャンがここぞとばかりに演奏会を開くからとのことです。

さて、フィガロハウスを見学したあと、聖シュテファン寺院を見学しました。ここは、モーツァルトがコンスタンツェと挙式をあげた教会でもあるし、 モーツァルトの葬儀が行われた教会でもある。教会は観光客でごった返していましたが、静かに祈りを捧げる人もたくさんいました。 特に、聖母マリア像に一心に祈りを捧げる中年の女性の姿には、なぜか心を打たれました。。。


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