うっちいの音楽箱!特別企画『もっと!MOZART』

彼をとりまく人々〜

ハプスブルク家、ハイドン兄弟


ハプスブルク家
ヨーロッパの歴史を語る上でかかせない名家で、メディチ家と並ぶ大富豪である。絶対王政の時代には、フランス・ブルボン朝と対立した。 1273年オーストリアで興る。南ドイツの貴族から神聖ローマ帝国皇帝に選ばれ、オーストリア・ハプスブルク家となる。 これは1918年まで続いた。また1438年〜1806年までは帝位を世襲。結婚によりスペイン王もかね、スペイン・ハプスブルク家として太陽の沈まぬ国の王となる。

モーツァルトの活躍した18世紀は、マリア・テレジアが家督を継いだ。 彼女の娘に、日本では非常に有名なマリー・アントワネットがいる。

モーツァルトは幼い頃からマリア・テレジアの御前で演奏を行い、その中でいろいろなエピソードを残しているが、 大人になったモーツァルトに対するマリア・テレジアの反応は、他の人々と同じく、冷たかった。 就職活動を続けるモーツァルトのことを、「ドサまわりを続ける乞食。」と息子への手紙で評しているのである。

ハイドン兄弟
モーツァルトの音楽に大きな影響を与えた人物の中に、ハイドン兄弟があげられる。 ハイドン兄弟の兄は、有名なフランツ・ヨゼフ・ハイドンである。

兄の大ハイドンを、モーツァルトは実の父のように慕っていた。また大ハイドンは、モーツァルトの天才を真に見抜いていた、 数少ない一人であった。その親交は深く、モーツァルトはハイドンに6曲の弦楽四重奏曲をプレゼント(ハイドンセット)したりしている。 ハイドンは人生の後半をイギリスで過ごしたが、ハイドンがイギリスに旅立つとき、モーツァルトはもうハイドンとは会えなくなると直感し、 「尊敬する年老いた親友よ、どうぞお元気で。」と涙を流して見送ったという。

弟ミヒャエル・ハイドンは、ザルツブルク時代からのモーツァルトの友人である。モーツァルト11歳の時には、 「第一戒律の責務」をM・ハイドン他と共作している。モーツァルトはこのM・ハイドンから大きな影響を受けている。 私事で恐縮であるが、私はM・ハイドン作曲のレクイエム日本初演に参加したことがある。第11回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル(1990年)でのことであるが、 このレクイエムが、驚くほどモーツァルトのレクイエムに似ているのである。作曲の年はM・ハイドンの方が先であり、記録が残っているかどうかはわからないが、 モーツァルトが親友のこの曲を聴いた可能性は十分ある。特に、「Quam olim Abrahae」のフーガは、あれ?と思うくらいに似ている(^^)。

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