うっちいの音楽箱!特別企画『もっと!MOZART』

晩年〜 早すぎた晩年

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フィガロハウス

フィガロの結婚を書いたとされるフィガロハウス。現在、ウィーンの聖シュテファン寺院のそばに移されている。 オペラ「フィガロの結婚」はモーツァルトの生涯最高の成功であり、頂点であった。しかし、その頂点を境にモーツァルトは坂を転がり落ち始める。

「フィガロの結婚」は大成功であった。それは遠くプラハにまで飛び火し、プラハで大流行する。プラハの街は「フィガロの結婚」一色になり、 流行歌として街頭で歌われさえしていた。モーツァルト夫妻は、今をときめく流行作曲家として、プラハの街に招待される。

モーツァルトは一ヶ月あまりプラハに滞在し、 指揮をし、演奏をし、作曲をし、思う存分その才能を聴衆に示した。プラハの劇場支配人から、次のシーズンの新作オペラの注文まで受け、モーツァルトは意気揚々であった。

この年の5月、モーツァルトの父レオポルトが死去する。そのときのモーツァルトの言葉に、あまりに有名な一節があるので紹介する。

「死は人間にとって最良の友である。」


「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」と立て続けに傑作を生み出したモーツァルト。 しかし、その彼の音楽は先を走りすぎていた。モーツァルトの音楽はウィーンの貴族達ではかみ砕けなくなっていたのである。

「我々ウィーン人の歯では、かみ砕けない。」

皇帝のその評を又聞きしたモーツァルトはがっかりする。

ウィーンでさっぱり人気が上がらなくなってしまったモーツァルト。人気のない作曲家に、聴衆は興味はない。 モーツァルトは運命の坂を転がり落ち始める。人間は、一度その生活に慣れてしまうと、なかなかその生活から離れられない。 収入の減ったモーツァルトは、今までと同じ暮らしをし次第に窮乏し始める。

「親愛なる友よ、これが最後のお願いです。あと○○フローリンお貸し下さい!」

モーツァルトは友人プフベルクなどに、何度も借金の手紙を送った。 その間も傑作は生まれ続ける。特に三大交響曲のすばらしさはどうだろう!シンフォニー第39番、第40番、第41番の3曲は、 ひと夏で書き上げられた。借金にあえぐ人の曲とは到底思えない、堂々とした名作ばかり。しかし、それらの曲を演奏する機会さえ、 今のモーツァルトにはなかった。

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