うっちいの音楽箱!特別企画『もっと!MOZART』

晩年〜

早すぎた晩年



ベルベデーレ宮殿

モーツァルトは晩年をウィーンで過ごした。ウィーンでの生活は、最初は華やかなものだったが次第に窮迫してった。

モーツァルトは幸せの絶頂にいた。愛するコンスタンツェとの結婚。毎日のように演奏会に出演し、貴婦人のレッスンも多くこなす。 自分が演奏会で弾くための曲を空いた時間に書き、数々の傑作が生まれる。モーツァルト主催の予約コンサートは、150名を超える予約者がいて、 これは当時としては驚くべき数字であった。

父レオポルトは息子の成功を手放しに喜んだ。モーツァルトの姉ナンネルにあて、
「おまえの弟は、すばらしい家具に囲まれた綺麗な部屋に住んでいる。息子の予約コンサートには、 身分の高い方々が多数集まっていた。演奏会はこのうえなく素晴らしいものだった。」
と手紙を書き送っている。また父レオポルトは、大ハイドンから、ご子息は私の知る中で最も偉大な作曲家だ、との言葉をもらっている。


1785年、モーツァルトはある大胆な構想を実現させた。オペラ「フィガロの結婚」の上演である。

このフィガロの結婚は、ボーマルシェの原作でありパリで上演された劇であった。貴族が従僕のあの手この手の画策によって笑い物にされる、 という話の筋から、ウィーンでは上演禁止になっている劇であった。それを、台本作家ダ・ポンテがうまく交渉し、オペラとして上演許可をとりつけたのである。 モーツァルトはその才能を開花させ、あますところなく天下に見せつけた。従僕フィガロと小間使いスザナ、アルマヴィーヴァ伯爵と伯爵夫人、時代が時代だけに、 どの登場人物も現実味をおび、音楽は極上の音楽。反対派による妨害工作もなんのその、初演は大成功であった。

フィガロの結婚は大成功であった。しかし、それからのモーツァルトの生活には陰りが見え始める。フィガロは妨害工作もあって上演回数は思ったほどのびなかった。 それどころか、それ以後、モーツァルトの音楽活動もなぜかあまりうまくことが運ばなくなっていくのである。

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