うっちいの音楽箱!特別企画『もっと!MOZART』

青年時代〜

コロレド大司教



ミラベル宮殿庭園

ミラベル宮殿から眺める美しい庭園の向こうには、ホーエンザルツブルク城がそびえる。 この美しい地も、モーツァルトにとってはいまいましい大司教のいるただの田舎にすぎなかった。

モーツァルトは13歳にして、ザルツブルクのコンサートマスターとなった。無給ではあるが、 彼はもはや「神童」ではなく、一人前の音楽家として扱われることになった。 それからも彼は旅を続ける。当時、音楽の本場はイタリアであったが、彼は自分の音楽を本物にするべく イタリアで多くの音楽を吸収しようと走り回る。
マルティーニ神父にフーガを習ったり、 ローマで秘曲「ミゼレーレ」を2回聞いただけで完全に採譜したりした。14歳の時には、 教皇クレメンス14世より黄金拍車勲章を受けるなど、神童は一人前の音楽家として順風満帆の船出をしたかに見えた。 しかし、彼の人生を大きく変える事件が起こる。ザルツブルク大司教ジークムント・フォン・シュラッテンバッハが死去したのである。


年老いた大司教シュラッテンバッハは、モーツァルトの天才を理解し、音楽を理解する大司教であった。 しかし、新しく赴任してきた大司教ヒエロニュムス・コロレドはどうだろう。音楽は芸術ではなく、 教会の道具だと考え、音楽家は彼にとって召使い以外のなにものでもなかった。彼はモーツァルトの名声を一応認め、 無給から有給のコンサートマスターに昇格させたが、モーツァルトは自分を召使いとして扱う大司教コロレドが嫌で嫌でたまらない。

モーツァルトは、どうにかして故郷から逃げ出そうと、就職活動に東奔西走する。しかしそのたびに失敗し、 時々故郷に帰っては教会の仕事をした。

神童であったモーツァルトが青年になったとき、人々の反応は冷ややかなものであった。もちろん、誰もがモーツァルトの才能を心から賞賛し、 天才音楽家として扱った。しかし、それが「就職」という、ごく一般的で現実的な問題になったとき、モーツァルトは天才ではなく、 ただの田舎音楽家として扱われたのである。どこの国に行っても、どこの街に行っても、そこにはすでにイタリア人音楽家が華やかに活躍をしていた。 いくらモーツァルトが天才でも、音楽の本場はイタリアであり、イタリア人音楽家こそが「本物」の音楽家であったのだった。モーツァルトは、 ますます故郷”ザルツブルク”を憎んだ。

青年時代〜コロレド大司教

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