CD曲目解説

♪この場所でこの一曲♪
1、 隊商都市パルミラの列柱をみわたせるホテルのレストラン(シリア)
2、 タキシラのジョーリアーン遺跡の内庭(パキスタン)
3、 ダマスクス、旧市街世界最古の喫茶店前の小さな広場。(シリア)
4、 ラホール、ラホールフォート中庭の池の上に作られた舞台。(パキスタン)
5、 エーゲ海エギナ島アポロン神殿(ギリシャ)
6、 オカバンゴデルタで私が泊まったキャンプのメイン棟のテラスのものすごーく大きな樹の下(ボツワナ)
7、 ベルゲンの民俗村、港を見下ろす広場(ノールウェイ)
8、 ランス、サン・レミ聖堂(フランス)
9、 アヴィニヨン、ローマ時代の石切場(フランス)
10、 ニュー・ヨーク、メトロポリタン美術館のエジプト神殿の部屋

 
「私のベスト・テン」と言われると本当に困る。私は何についてもそれなりに「ホーオ、なるほど面白い」と思えるタイプの人間なので何かに順番をつけるように云われると本当に迷うのである。
あと私の苦手とするものは決まった日常生活、毎日同じことの繰返しはすぐにあきてしまうが、演奏家の基本は地道な練習、新作を演奏する事の多い私の生活は忙しいと余計に単調な生活になってしまう。その生活から私を救ってくれるのが年に2、3回の海外演奏旅行。特に現在の日本(東京というか?)と大きく違った文化を育んできた地域に出かけるのが大変に刺激的である。
そこで私が訪れて雰囲気がとても気に入り、ここでこの曲を弾いてみたいと感じた場所をあげてみたい。
ここでは現実としては考えていないので気象条件、風、砂、太陽、湿気、異常乾燥などは考慮にいれないものとする。

@のパルミラの遺跡はシリア砂漠の中央部に位置し、特に紀元前一世紀末−紀元後三世紀まで繁栄したシルクロード沿いの隊商都市。
ここに住んでいた人間の感情のようなものはとうに浄化され実に良い「気」のただよう場所で、私は地面に横たえられた列柱のひとつの上に寝そべってひと時を過ごした。曲は佐藤聡明「神招琴」(二十絃箏)ここでこの曲を弾いた場合どのような神様が降りてこられるのかは不明。

Aガンダーラ最大の遺跡郡タキシラ、ジョーリアン遺跡には僧院の内庭を囲んで29の小室が有る。これはAD2世紀−4、5世紀に世界中から仏陀の教えを学びにきた学生が瞑想をした場所だということで、私はそこに居るだけで心が癒された。
曲は西村朗「琉璃琴」(二十絃箏)

Bこの場所も昼間だとまわりのきたなさが目立つので喫茶店閉店後のp.m11:00以降が理想、店の前のジャスミンがからまる井戸の前あたりに箏を置いて、曲は吉松隆「すばるの五ツ」(二十絃箏)お客様には音楽と星の両方を楽しんで頂けます。帰りにお勧めはキリストも歩いた?といわれるダマスのスーク(バザール)などのある旧市街の夜中の散策、これは神秘的ですらある。翌朝のためのパンやクッキーを焼いている店もあり、現実の生活もしっかり覗ける。

Cムガル朝アクバル帝が創設、シャー・ジャハーン帝などが手を加えた城塞。
少々手入れが悪いところが古びたいい味をだしている。
ここでは月が不可欠なので最後のアザーンが終了後の夜、月は三日月から半月の間くらいがよい。曲は西村朗「タクシーム」(二十絃箏)夜間は冷えるのでお出かけの際は服装に注意が必要。城塞へあがる道路はとても広く出来ているので象でお出かけの方も御安心下さい。

D台風で閉じ込められ思わぬ滞在をした島だったが、ここではアポロン神殿の他に港の高波を眺めながら飲んでいたバーでのライブも捨てがたい。
奥でひっそりと賭け事をしていた漁師のおじさんたちも味があったし。曲は新実徳英「青の島(おおのしま)」(二十絃箏二面)

Eこの大きな樹は様々な鳥の住処になっており、私はよくこの樹の下で昼寝をしたり本を読んだりしたがヒーリングそのもの。曲は池辺晋一郎「梢にて」(二十絃箏)テラスの外側には人以外の客層も期待できる。

Fやわらかな午後の陽を浴びながら静かなベルゲンの湾を見下ろす場所で曲は吉松隆「夢あわせ夢たがえ」(二十絃箏、Cl,Vn,Vc)

Gランスの大聖堂の隣に静かに佇むとても温かな雰囲気のある聖堂。
曲は柴田南雄「七段遠音」(二十絃箏)

H天然の反響版を背負っているので響きが素晴らしい。
曲は湯浅譲二「内触覚的宇宙第3番 虚空」(二十絃箏、尺八)

Iニュー・ヨークを歩き疲れた人の憩いの場、ここはやはり古典箏曲「乱」

このように並べてみると私がどのような状況で演奏したいと思っているのかが透けてみえる。人工的に造られた場ではなく、永い年月により浄化された大気と自然が音楽をひきだしてくれる場所とでもいったらよいか。いつもはあまり意識はしていないのだがやはり私は日本人で邦楽人。

吉村 七重

「The Art of Koto」シリーズ 企画意図

2000発売    VOL,T 
2001、8月   VOL. U from Yatsuhashi to Miyagi
2003 , 2月   VOL.V 20-stringed Koto

Celestial HarmoniesのEckaet Rahn氏の プロデュースによるVOL,1からVOL.4までの四枚組CD。内容は箏の歴史に添って吉村七重の音楽を紹介するものであり、選曲については吉村七重に一任されている。1、2集は伝統古典音楽から宮城道雄まで、3、4集は二十絃箏による現代の音楽を計画している。
箏の歴史及び曲目解説については学術論文仕様のレベルを、というRahn氏の要望により国内外の学者から最も相応しい学者を選任した。京都私立芸術大学が2000年にオープンした、日本伝統音楽センター助教授Steven G.Nelson氏。滞日研究生活が長く日本語にも堪能で日本音楽に対する知識が豊富である。
何より、氏の学識はは机上のみならず実践を伴い地歌(箏、三絃、歌)を暗譜で演奏出来る人である。
音つくりのエンジニアは30年来の付き合いのトランス.ライブ小島巌氏。Eckaet Rahn氏はこのチームを、Steven G.Nelson氏、小島巌氏、吉村七重の完璧な仕事といっている。

「The Art of Koto」ミニ情報

UA[united air line]の機内オーディオに採用されました。
        2003年5月  Vol.3より「錦木によせて」
        2002年5月  Vol.2より「春の海」「瀬音」

「The Art of Koto Vol.1」 企画意図

このCDのプログラム五曲を選ぶに当たり次の4点に留意した。
1、 日本の箏曲は江戸時代のなかで発展し完成したので、その歴史の流れを見ていく事
2、 江戸時代の中で年代順に代表的な形式を5つ選ぶこと、
3、 箏曲界が生み出してきた代表的な作曲家を5人選ぶ事、
4、 1、2、3、で選んだ曲がプログラムとして完結する事、

其の結果、六段、乱れ、残月、五段砧、千鳥の曲を選んだ。
まず始めの二曲「六段」と「乱」は同じ(段もの)の形式でありながら曲の性格が対極にある面白さがある。(段もの)の形式は段(一つずつのヴァリエーション)の中の拍子の数が決まっているのだが(六段は1段が102拍ずつ)、「乱」だけは特別で各段の拍数がイレギュラーになっている。又普通 序、破、急という様にだんだん早くなり最後にゆっくりに戻るのだが、「乱」は曲の途中でゆっくりになったり速くなったりということがある。したがって「六段」は非常にシンプルで力強く「乱」は華麗で変化に富んでいる。そして作曲者の八橋検校はこれまで必ず歌を伴っていた箏の音楽に、独奏曲として(段もの)を登場させるような大胆な改革を行った天才である。
「残月」の形式は(手事物)と言い京都で発達したもので前後の歌の間に派手な器楽だけの部分を持つ。この曲は高雅な趣きがあり上品で技術的にも高度なものを持っている。作曲は峰崎勾当。
続く「五段砧」、これは箏の調絃が高音域(Dを一絃にした本雲井調子)低音域(下2線Gを一にした平調子)という音域の違うの箏による画期的な二重奏。箏曲には音域の違う箏どうしの合奏という形式はこれまでなかったのだがこの曲は唯一の合箏曲といえる。江戸爛熟期に活躍した光崎検校は、八橋検校の考えに戻り新しい段ものを作曲した。
「残月」「五段砧」と力のこもった名曲が続いて少し耳が疲れたところで、爽やかな「千鳥の曲」を聴いていただきたいと思う。
「千鳥の曲」は(古今組)といわれるもので古今調子という特別な調絃を持つ。江戸以前の箏の音楽に戻る意志を持つ吉沢検校の優雅な作品であり、プログラム
の最後にやすらぎを置いてみた。        2000 3/17  吉村七重

「The Art of Koto Vol.2」 企画意図

vol.1に続きvol.2では、箏曲古典の基本である 箏組歌 から宮城道雄までをプログラムした。

1、「四季の曲」(八橋検校・17世紀)、
八橋検校が筑紫流箏曲から学んだ箏曲を改定し「八橋の十三組」として制定した中の一曲。
       歌、十三絃箏
2、「八段」(八橋検校)、
一集で入れた、「六段」、「乱」と同じ段もの。
        十三絃箏
3、「楓の花」 1897  (箏替手付き二重奏、明治時代新曲)
        歌、十三絃箏二面。(替手、深海さとみ)
4、「尾上の松」(江戸時代伝作者不詳、箏手付宮城道雄)
        歌、十三絃箏、三味線(深海さとみ)
5、「瀬音」  1923 十三絃箏、十七絃箏
宮城道雄が考案した低音箏十七絃箏を使用したはじめての十三絃箏との合奏曲。
6、春の海  1929  十三絃箏、尺八(三橋貴風)
邦楽界最高のベストセラー曲。

「The Art of Koto Vol.3」 企画意図

The Art of Koto三枚目のCDは20世紀の音楽、現代音楽となる。
1969年生まれの新楽器二十絃箏による演奏なので、作品は1969年からはじまっている。
90年までに作曲された五曲を収録。

伝統的な十三絃箏の延長線上として、新たな可能性に挑戦するために創案されたこの箏は、作曲家と演奏家の双方の欲求から生まれた。以来30年にわたって作曲家と演奏家の協力関係の中から優れた曲や演奏が生み出されてきたと言えよう。

今回のCD選曲にあたり、二十絃箏に大きな影響を与えた作曲家、そして二十絃箏の新たな面を引き出したと思われる曲を選んだ。

初期の名作を三曲
二十絃箏にとって初めての記念すべき曲「天如」。
暖かな親しみ易いメロディで二十絃箏のファン開拓に貢献し、初めて二十絃箏を弾く人が必ず弾く曲「五つの小品」。
箏や尺八の演奏概念を変革した「秋の曲」。

次は1982年以降私が永年一緒に音楽をしていくことになる作曲家の中の御二人。
伝統の束縛から抜けてもっと箏の奥深いルーツを見つめ、自由な発想で楽器としてみた二十絃箏に曲を書いた「七重」
二十絃箏の誕生を祝福して神が宿るようにとの祈りを込めてかかれた「神招琴」。二十絃の美しい音色が愛でられている。

それぞれに二十絃箏の音色、演奏法に工夫を凝らし確固とした音楽世界を持つ名作であり、これらの曲により新楽器二十絃箏は生命を与えられ普遍的な箏としての地位を確立した。

吉村七重

The Art of Koto 収録曲目 日本語解説
2003/4/18吉村七重 箏リサイタル<古典による>プログラムより抜粋
解説:スティーヴン・G・ネルソン 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター助教授

♪四季の曲 八橋検校 古典箏曲組歌

序、花の春立つ朝(あした)には、日影雲らで匂やかに、人の心もおのづから、伸びらかなるぞ四方山。
一、春は梅に鶯、躑躅(つつじ)や藤に山吹、桜かざす宮人は、花に心移せり。
ニ、夏は卯の花橘、あやめ蓮(はちす)なでしこ、風吹けば涼しくて、水に心移せり。
三、秋は紅葉鹿の音(ね)、千草(ちぐさ)の花に松虫、雁(かり)鳴きて夕暮れの、月に心移せり。
四、冬は時雨(しぐれ) 初霜、霰(あられ) 霙(みぞれ) こがらし、冴えし夜(よ)の曙、雪に心移せり。


 近世箏曲の祖、八橋検校(1614〜1685)作曲の箏組歌。八橋十三組のうち、特に重い「奥許し三曲」の一つに数えられる。歌詞は四季の季題を綴った四つの歌に『源氏物語』の初音の巻の冒頭部分による序の歌を付したもの。第一歌以下は、八橋検校に多大な影響を及ぼしたとされる筑紫箏の<四季>ないし<秋山>の歌詞をほぼそのまま引き継いでいるが、音楽的な内容に関しては筑紫箏の曲に似たところが少ないため、八橋検校が歌詞を再編して新たに組歌形式で作曲したと思われる。
 四季というのは、大昔から日本人に好まれたテーマで、勅撰和歌集の巻立てから美術工芸品のモチーフに至るまで日本文化史の中で大きな役割を果たしてきた。これが、単に季節に対する日本人独自の豊かな感受性によるといってしまえばそれまでであろうが、この曲の歌詞からはもう少し深い意味合いを読み取ることが出来るのではないだろうか。すなわち、序の歌に「のどかな立春になると四方の山を見る人々の心もひとりでにのどかになる」とあるように、自然そのものというよりも、自然と人間との関係に焦点が当てられている。自然の摂理の中に生きている人間は、その循環を意識し、また精神的に超越していかなければならない存在でもある。そう考えてこそ、第一歌から第四歌の結びの句「〜に心移せり」の意味が生きてくるのではないだろうか。
 高度に様式化された箏組歌形式をとりながら、所々で個々の季題の描写に箏の特徴的な技法も効果的に用いられている。この「古典中の古典」と呼ぶべき雅びな曲調が、吉村さんの箏と歌でどう表現されるか、大いに楽しみである。

♪楓の花 松阪検校

[前弾]
 花の名残もあらし山、[合]梢こずゑの浅緑[合]松吹く風にはらはらと、
      [合]散るは楓の花ならん。[合の手]
 堰(いせき)を登る若鮎の、さばしる水の水籠り(みごもり)に、鳴くや河鹿の声澄める、
      大堰(おおい)の岸ぞ懐かしき。
[手事]
 川上の遠くほととぎす、[合]しのぶ初音にあこがれて、[合]舟さしのぼし見に行かん、
      戸無瀬の奥の岩躑躅(つつじ)

京都の松阪春栄(1854〜1920)が明治30年頃に、箏高低二部合奏のために作曲した手事物形式の明治新曲。松阪は、<春の曲>など名古屋の吉沢検校作曲の古今組四曲に手事と替手を補作したことで今は有名であるが、比較的保守的だった明治時代の京都で新形式による作曲をも行った。作詞者は尾崎宍夫で、歌詞は京都嵐山の晩春から初夏の風物を平明な七五調で歌ったもの。題名の楓は花楓ともいい、葉に先立って小さくて紅色の花が四月頃に咲き、木全体が紅く見える。前歌の河鹿はカジカガエルの事で、雄は美声の持ち主である。
 曲は標準的な手事形式で、前歌と後歌に挟まれた手事は京風手事物の形式を引き継いで、マクラ・前チラシ・手事・後チラシという構成となっている。しかし音の世界でいえば、この手事には繊細な韻と陽の対象が聞こえたり、異なった音域に調絃された二面の箏が織り成す重音性も特徴的で、明治新曲における様式改革の好例といえよう。また前歌と後歌はともに途中で一旦静まってからテンポを打ち替えて、以下、川の流れを描写するかのように流麗なリズムとなる。吉村さんの本手(高音)と深海さんの替手(低音)で曲のこうした特徴が十二分に表現されることだろう。

 八橋検校

「乱輪舌(みだれりんぜつ)」とも呼ばれるこの曲は、八橋検校作曲と伝えられる箏の独奏器楽曲として<六段>・<八段>と並んで非常に有名である。本来、こうした段物は箏組歌の「付け物」、つまり付属曲として教習・伝承されるものであったが、皮肉なことに現在では組歌は滅多に演奏されず、段物が逆に近世箏曲の最古典曲を代表するような存在となってしまった。
 <乱>は、他の段物とは違って、各段の拍子数は一定していない。さらに、テンポの作り方も他の段物とは違っており、ゆっくり始まって次第次第に速度を増していくのではなく、演奏家の解釈次第ではあるが、曲中の所々に緩急の変化がいろいろみられる。つまり、段の拍子数の面でもテンポの面でも、いわば自由自在に伸び縮みしているのであって、これが「乱」という名の由来になったと考えられている。
 箏組歌に比べて、段物の成立事情は複雑で、多くの事がいまだ不明である。<乱>の八橋検校作曲説が初めて唱えられたのも案外遅く、1779年の序を持つ『箏曲大意抄』の奥書においてであった。これに対して、1822年の『弥之一蔵版砧の譜』には倉橋検校(?〜1724)作曲という説が記されている。八橋検校が活躍した17世紀当時には、すでに一段あるいは算段構成の<りんぜつ>(<林雪とも>)が民間で流行して、箏・三味線・一節切(尺八の一種)の合奏が行われていたらしい.一方、筑紫箏にも三段構成の<輪説>があった。内容的には民間の<りんぜつ>によく似ているが、その先行関係が不明である。なお、「輪説」とは本来は雅楽の箏の技法の一つであるが、いつのまにか器楽曲の名称となっていたのである。
 三段構成のものが複雑な構成に発展して、それを今の形に近いものに整えたのが八橋検校あるいは倉橋検校ということになるだろうか。いずれにしても、この不朽の名曲はこれからも箏曲の代表的な作品として伝えられていくだろう。今回の演奏では、高度な技法を要求する現代曲を数多く演奏してきた吉村七重さんが、<乱>が潜在的に備えた「激しさ」を音響としてどのように具体化するか、そして、それによってこの作品の新しい面をどのように切り開いていくか、大いに期待したい。

♪残月 峰崎匂當

[前弾]
 磯辺の松に葉隠れて、[合]沖の方(かた)へと入る(いる)月の、光や夢の世を早う(はよう)、
      [合]覚めて真如(しんにょ)の明らけき、[合]月の都に住むやらん。
[手事 初段・二段・三段・四段・五段・チラシ]
 今は伝手(つて)だに朧夜(おぼろよ)の、[合]月日ばかりやめぐり来て。

 寛政年間(1789〜1801)前後の大坂で活躍した、峰崎匂當(生没年未詳)作曲の手事物の名作<残月>である。峰崎匂當は、<雪>などの端歌の作曲家としても有名であるが、大坂における三味線手事物形式の確立に大きな役割を果たし、<吾妻獅子><越後獅子>など作品も多い。その中でも<残月>は特に難曲とされ、手事のみならず、歌意の表現や節の技巧でも峰崎匂當の代表作と評されている。
 作詞者は不明であるが、大坂宗右衛門町の松屋某の娘が若くして没したので、その追善曲として作られたらしい。曲名は個人の法名「残月信女」にちなむという。歌詞は短いが、若い人の死に遭遇して遺された人々の深い悲しみや空しさを痛切に表現している。歌は歌意にふさわしく低い音で始まりずっと低音域が続くが、そうした中で、「月の都の〜」以下での高音域の使用は際立って効果的な結果をもたらす。