1. ヨ ー ロ ッ パ へ の 日 本 紹 介

 ヨーロッパに於ける日本研究のことはよく知らないが、多分彼らの眼に「日本の姿」が想像されるようになった書物としては、マルコ・ポーロの『東方見聞録』で「黄金の国、ジパング」と紹介されたのが最初ではなかろうか。
 西暦1271年に15歳でイタリアのヴェネチィアを旅立った彼が中国へ到達し、フビライの「元朝」に仕えたのは1274〜1290年の17年間の長さであったという。
 ちょうどそれはフビライの全盛期でもあり、彼自身「日本」への足跡はないが、途中二度にわたった「元冦の役」も極く間近で見聞しているようなので、中国人とは違ったまなざしで、この日本を眺めていたに違いない。

 1540年代になって種子島への鉄砲到来と前後して、フランシスコ・ザビエルが来日し、西国の守護大名・大内義長らの庇護を得て、わが国で初めてのキリスト教布教が始まるのである。
 彼は、1552年に中国の広東省で没するので、日本のことをどれほどヨーロッパへ伝えていたのかは分からない。むしろ布教に専念したその生涯からみれば、これといった研究史的な書物は残す間もなかったのではなかろうか。
 ただ彼の開拓した日本での布教の種は、その後続々と来日したイエズス会の宣教師らによって華開くのである。ザビエルの離日後30年、1570年代の後半には、イエズス会の伝道者55人、教会数約150、信者10万人に達していたと言われているが、これらは主に織田信長の積極的な援助に後押しされてのことだろう。

 なかでも、「日本史研究」で有名なルイス・フロイスは、その巧みな日本語と観察眼の鋭さで信長に気に入られ、その布教拡大に大いに役立つと同時に、「イエズス会日本年報」の記録者として、筆まめに日本の状況をヨーロッパへ書き送ったのである。後年彼の書き表した『日欧文化比較』(松田毅一・E.ヨリッセン著『フロイスの日本覚書−日本とヨーロッパの風習の違い』中公新書)は、安土・桃山時代の社会生活や民俗風習がヨーロッパの習慣と対比される形で記されているので、今読んでも面白い。
 その意味で、ヨーロッパ人に未だ見ぬ「日本への憧れ」をかき立てさせたのは、先のマルコ・ポーロとこのルイス・フロイスの功績であった、と言えるのだろう。


「2.天正遣欧少年使節と印刷機の到来」へ
前ページへ
ホームの目次へ