「いきる・カツ」と聞えた場合、聞いたほうは「いきる」という前段で頭に浮かぶのは「生」・「活」の2種類であり、後段の「カツ」という発音を聞くことによって「活」を指しているのだな、と判断する。「生」の時は「うまれる・セイ」と呼ぶ。

 「たたえる・サン」の場合、「たたえる」で頭をよぎるのは「称」「湛」「賛」なども同時に浮かぶのだが、音ヨミの「サン」で「讃」を特定する。丁寧な人は「言べんのたたえる・サン」という。

 「歌」の時には、「うたう・カ」でその字を特定するが、「謡」の時には「うたう・ヨウ」であり、「謳」の時には「うたう・ク」と識別する。

 勿論、簡単にその訓ヨミの判らない文字や、音ヨミのみの文字の場合は、勝手に適当な呼び方をすることもある。
 「級」を指して「くらす・キュー」と呼んでみたり、「第」を呼ぶのに「たけ・ダイ」と呼んだりする(「竹かんむりのダイ」という意味である)。
 例題の「世」や「界」にしてみても「せかいのセ」「せかいのカイ」と呼ぶ方が相手に通じやすいのは当然であろう。

 現在の常用漢字の世界では、「思・おもうシ」「想・おもうソウ」「憶・おもうオク」「惟・おもうイ」などが使い分け難いと嘆かれているが、職人たちはそんなことにはおかまいなく、『おもう』と聞いた瞬間に、『訓別字形一覧表』が頭の中を走るのである。

 このことは、先の特徴2の「部首別配列」で、思わぬ副産物を得られると自画自賛したのと同じように、「目的の文字」のことだけでなく、その周辺(この場合同じ訓ヨミの異字種)が残像として印象に残るのである。

 よく言われるように、新聞社や出版社の校閲マンが、誤字誤植のある紙面を目にすると、文章として読む前に先にそちらに目が辿り付くというのも、職業柄とは言え数多く当たっているうちに、こうした残像効果が与えている好影響によるものだろうと確信する。


お  わ  り  に

 当初の予定では、幾つかの例をひいて「職人の心意気」とでも言うべきものを謳歌するという形で終わるつもりであった。友人の助言のおかげで、後半の『文選工の世界』に重点を置いた論調となったのである。
 いま読み返してよかったと思うのは、結果として借り物の言葉ではなく自分の言葉で本音を語れたという満足感である。

(1997年5月10日 記)
【参考文献】
『職人』
永 六輔 岩波新書464 1996年
『歴史の文字』 記載・活字・活版
西野嘉章編 東京大学総合研究博物館 1996年
『文選と植字』
水沼辰夫 印刷学会出版部 1950年
『組版原論 タィポグラフィと活字・写植・DTP』
府川充男 太田出版 1996年
『いろはかるた噺』
森田誠吾 求龍堂 1973年



<私家本>
活字の世界(12)
『文選ケース貼り紙讃歌』
山口 忠男・著
印刷・1997年5月


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