6.「文字形」は生きている?

しかしながら、中国の「康煕字典体=明朝体」そのものも必ずしも整合性があり矛盾がないわけではない。本題とは離れるがその現象の一つ二つを先に紹介しておこう。

 まず最初に「松」という文字形について見る。
 現行では「木へんに公」で「松」と読むしこれが正しい字と理解しているが、時折に「木へんに八口」と書いたマツモトという人の名刺を貰うこともある。そんなときは「変わった字ですネ」と話題の一つにも出来ようが一般にこれは俗字と言われている。
 ところが、「船」という文字は「舟へんに八口」の方が現行字形で、「舟へんに公」というのは俗字となっている。ところが筆写時代のものを見ると「船」という字は殆どが「舩」と書かれている。これ一文字だけを見ていると、昔は「船」をこのように書いたのかと納得も出来ようが、先ほどの「松」と併せ考えるとオヤッという疑問が浮かんでくる。

 同じ様なことは「亠に口」となった「高」が通行字体とされ、口の部分がハシゴになった文字は俗字とされていることや、「中が口の回」が正字で「ハシゴ」の字は俗字とされるのに対し、その逆に「中が口の字」は俗字とされハシゴになった「面」が現行の正しい字形だと教えられている。こうした基準の曖昧さから来る<疑問字>は他にもある。

 もともと、文字の正しい形とは言っても、活字が発明され活版印刷が発達する以前はずっと筆写で伝えられてきただけに、人の書き癖も含め同じ意味の文字が幾通りもあったのだ。しかも漢字形にとどまらず<かな>にいたっては変体仮名とかで異体字の方が大きな顔で通用する書道のような世界もある。
 ところが明治のはじめ、政府は法令の徹底や国民皆教育のため、官報と教科書の印刷を通じて自然と文字形の統一を行い、そこで使われた一つの字形がそのまま<日本の正しい字形>ということになったのは先に述べたとおりである。
 ちょうどその頃がわが国における活版印刷術の黎明期で、その時の活字書体は中国でのキリスト教伝道印刷所「上海・美華書館」での活字をそのまま複製したものであったため、厳密に言えば中国での主流書体である<明朝体>がそのままわが国での正しい活字形となったのだ。
 従って、主としてタテヨコの直線で構築するこの書体の装飾性は、筆記時にはいかにも不自由で「学(學)・亀(龜)・粛(肅)」などの旧字形はいかにも書きにくい凝った書体になっている。

 繰り返すことになるが、それまでの筆写時代には一つの文字に対し幾つもの字体が存在していたのが、活字時代に入って明朝体が正しい字形となってしまい、それまでに使われていたいくつかの字形は全て<俗字・異体字>とされてしまったのである。その現象の一つが先に例題とした「船」であり「高」であったりするのである。
 世の国語学者といわれる人たちがこうした点についてどのように説明されているのかはよく知らない。しかし私は活版印刷の父と言われた本木昌造が、明治のはじめに中国活字をそのまま取り入れて再現した<明朝体の装飾性>に混乱の遠因が潜んでいるのではと睨んでいる。

 何はともあれ、文字形というものがある時代においてはこれが正しいとして用いられてきたとしても、時代の変化とともに「譌字(俗字)」に取って代わられると言う運命を持っていることに否定する気持ちはないが、それとてもしかるべき理屈付けがあって欲しいとは思うのだ。
 たとえば戦後の国語改革で字種数が制限されたり略体が採用されたりするのは、一部の学者の反対があったものの「国語審議会」というしかるべき場で討議された結果に因っている。筆者が理屈付けを欲しいというのはこうしたルールに則った大多数が納得するような事柄を指すのである。


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