コンピュータに混乱させられた文字の世界
ニセ文字作りの犯人は?


◆目次◆
1.わが国の活字体の出発点
2.国語改革の戦後の出発点
3.国語改革当初の混乱
4.最大の被害者は子供たちであった
5.当用漢字表以外の文字の扱い方
6.「文字形」は生きている?
7.許せない「ニセ文字」づくり
8.JIS水準設定の主役は通産省−あきれかえったお役所仕事−
9.なぜ どうなる 問題点は



1.わが国の活字体の出発点

 「本木昌造」といえば日本の活版印刷術の父とあがめられいる偉大な人物である。
 その彼が明治のはじめ、アメリカ人の活字技師ウイリアム・ガンブルによって近代式活字製造法を習ったことは多くの印刷関連書で語られている。

 その彼が習ったのは活字製造法だけでなく、実は活字書体そのものも丸飲みで導入・習得したのであった。アヘン戦争直後中国に進出した英・米のミッションプレスは、現地の言葉である<漢字>を西洋流の近代式製造法で作成して「漢訳聖書」などを作ったのである。当時の中国での印刷法は主として一枚板の整版方法であり、その書体は明の康煕字典に代表される装飾性の強い「明朝体」であったのである。
 現地の言葉である漢字を再現するに当たって、かれらがその書体を採用したのは当然でもあるが、そうして実用化されていた近代式鋳造活字の書体が丸ごと日本に導入されたのであった。
 上海・美華書館の技師長でもあったガンブルは、任期を終えてアメリカへの帰途日本に立ち寄り、美華書館で使っていた活字を使って電胎母型製造法を本木昌造に教えたのであった。
 従って明治五年、築地活版所が始めて活字を売り出したときの書体は、全くといってもいいほど美華書館と同じ書体であったのである。

  この間のいきさつは、別稿「ホフマン活字のこと」で述べているのでご参照願いたい。

 かくしてわが国にも活版印刷文化が定着し、政府を始め在野新聞・出版社などが競って活字を使い始めたのである。従ってわが国で活字字体といえばこの時の明朝体が基準となりそれが今日までの基本となってきた。
 今回の素案で「康煕字典体」という280年もの昔の亡霊が顔を覗かせた理由の出発点はここにあったのだ。

 こうして康煕字典体を中心とする漢字形が「日本語表記」の主流として敗戦までの国語表記の原点であったのである。

 勿論戦前と雖も、むやみやたらに難しい漢字が使われていたわけではない。このことは現在に夏目漱石や森鴎外の小説などを見ても納得頂けようが、表記としての「文字形」は装飾性の強い康煕字典体一本であったのである。


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