印刷出身で結構漢字に慣れているとはいえ、こうした漢文調がすらすら読める訳ではない。先に挙げた、早川光三郎氏の解説書の注釈や読み下し文を何度も読み返しての咀嚼である。
 それにしても読書好きの人達にはよく判って頂けるとは思うのだが、これほどまでに格調の高い「序」や「推薦文」を持った書物にはあまりお目にはかかれない。これだけでもこの『蒙求』のもつ立派さが想像されるのではなかろうか。

 前ページで説明したごとく、李瀚の原典に対して後世(宋代)の学者である徐子光が、<補注>を行った蒙求という意味であり、一般にこれを『補注蒙求』と呼んでいる。勿論、小瀬甫庵がその複刻印刷を図ろうとして手本にしたのも、この『補注蒙求』の方である。
 引き続き、本文の一、二を紹介してみたい。

 次の第5葉は、三国志で有名な「三顧の礼」のくだりである。興味のある方もいるかと思い、その読み下し文も併記した。

図4参照=上巻第5葉

<第3句> 「孔明臥龍」(こうめいがりゅう)
<第4句> 「呂望非熊」(りょぼうひゆう)

蜀志にいふ、諸葛亮字は孔明、琅邪陽都の人なり。躬ら隴畝に耕し、好んで梁父の吟を為し、毎に自ら管仲・楽毅に比す。時の人之を許す莫し。惟崔州平・徐庶のみ亮と友とし善く、謂ひて信に然りと為す。時に先主新野に屯す。徐庶之に見え謂ひて曰く、諸葛孔明は臥龍なり。将軍豈之を見んことを願ふか。此の人は就いて見る可く、屈致す可からず。宜しく駕を枉げて之を顧みるべし、と。先主遂に亮に詣る。凡そ三たび往きて乃ち見る。………(以下略)


 以上の第5葉まで巻頭の数ページを転載して、この『補注蒙求』の本の性格を説明させてもらったつもりである。
 こうした編成で、大型字を使った「四字成句」の本文が、596句まで続き、それぞれに解説文[補注]がほどこされているのである。まさに現代風の「故事ことわざ事典」というところである。
 何度も繰り返すようであるが、この本の格調の高さと、読むたびに心に響くその豊かさには満ち足りた思いにさせられるというのは私の一人よがりであろうか。
 ともあれ、甫庵もこうした興奮と「儒学者」としての精神の昂揚に導かれて、この本の複印を決心したのに違いない。
 完成した『甫庵版・補注蒙求』は、上・中・下の3巻に分かれ、上巻は第1句〜第204句、中巻は第205句〜第400句、下巻は第401句〜第596句までとなっているのである。


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